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神童が天才じゃない理由

どうも、ゆうりぬんです。
今回のタイトル、“神童が天才じゃない理由”
とある訳ですが全員の神童が天才じゃないということではありません。
神童の中にも天才はいるでしょうし、神童じゃないあなたも天才かも知れません。
そして、今天才じゃないあなたも天才になれるかも知れません。
それでは、“神童が天才じゃない理由”について話していきます。

皆さんは神童と言われればどんな人のことを思い浮かべますか?
おそらく、4歳でバッハを弾いたり6歳で微分積分を解いたり、みたいな子だと思います。
確かにこれは凄いことであって誰にでもできることではありません。
ですが僕が思うに、これは“天才”ではなく“天才肌”なんです。
これは似ているようで全く別物です。
この神童と呼ばれる天才肌の持ち主たちが何故天才ではないのでしょうか。
それは、独自性に欠けるからです。
簡単に言うと“オリジナルじゃない”ということです。
既存のものをなぞっているに過ぎないのです。
あえて悪い言い方をすると“二番煎じ”ということになります。
才能溢れる子ども達は親や先生に褒められる為に多くを学びますが、それが足枷になっているとも言えます。
なぜかというと褒められることによって自分の辿っている世界に疑問を持たなくなるからです。
天才とは“オリジナルである”ことを成し遂げます。当たり前に疑問を持ち、新しい当たり前を創り出すことが出来るのです。
一方、天才肌の神童達はバッハの美しい旋律を奏でることは出来ても、自分で作曲することはありません。既存の知識を得ることに労力を費やしますが、新しい知識を提供することはありません。
いくら若いうちに微分積分を解けるようになろうがレベルアップが早かっただけで天才肌じゃない人も勉強すればいずれ解けるようになることでしょう。
つまり、独自のルールを創り出す訳ではなく既存のルールに従っているだけなのです。
先程、神童は天才ではなく天才肌だと言いましたが、言い直すとするなら“まだ”天才では無いということです。
神童であろうが、天才肌であろうが、特に突出した思想や技術がない人でも
天才になる素質は誰にでもあります。
ただ神童のような人の方がそれに近いというだけで、むしろ神童のような人じゃない方がルールに対する不満を持ちやすいために天才になる素質があるとも言えるのではないでしょうか。
いくらとんでもないスペックを持っている神童でも、疑問を持たない限り神童は“天才から近いようで最も遠い存在”とも言えると思います。
以上が、“神童が天才じゃない理由”です。

じゃあ、天才になる為にはどうしたらいいのでしょうか。
答えは単純です。“様々なものに疑問を持てばいい”のです。
“なぜ”という感情は誰にでも持てるものです。
常にこの“なぜ”という感情を忘れずに持っておけば想像力が膨らみ、オリジナリティを創り出すきっかけになります。
ただ疑問に思うことなら簡単ですが、あらゆる物事に疑問を持ち元ある根底を覆すとなれば、
言わば“常識に喧嘩を売る”ようなものですから
勿論、楽ではなく、むしろ困難な道のりと言えるでしょう。
ですが、そんな茨道を通ることが出来た者こそが真の天才となれるのです。
今ある現状で満足し、困難なことにチャレンジするなんて真っ平ごめんだという人は天才になろうとすることをオススメしません。そういう人は天才肌の道を行くように努力することを強くオススメします。その方が天才になろうとすることよりも圧倒的に楽だと思います。
天才になれたからと言って将来最高の暮らしが出来るとは限りませんし、そういう暮らしを出来るのは天才肌の方だと思います。
しかし、天才はあらゆる人々に感動と衝撃を与えてくれるので、もしどうしても天才になりたいという方がいましたら全力で応援させていただきます。

今回の記事はいかがだったでしょうか。僕は天才になりたいとも思うけど楽に生きたいとも思う傲慢な奴なので楽に生きる天才を目指そうかと思います(笑)
こういう話が皆さんの人生のスパイスにでもなればいいな〜と思います。
今回の話はあくまで個人の見解ですので、異論は余裕で認めます。
では、今回はこの辺で、
以上、天災のゆうりぬんでした。

ばいばーーい🐝

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