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再びnoteを始めます(笑)


noteでブログを始めたのはいいが、書いては削除、また書いては削除。を繰り返していた私。

最初に投稿した文章にはスキをくれた人がいたので、記念に残しておいて、早何カ月。。。。

とりあえず、継続する!を大切に。面白いことがあろうが書きたいことがなかろうが、書いていくことを大切にすればいいんだと向き合う事もあれば、いや、書くからには読んでもらえる文章に。。一人でもためになることを書かなければと身構えたりして、立派な迷子になってしまっていた。

しかも、食べ物屋さんの紹介や観光名所の紹介とはいえ、ライターとして地元の新聞やフリーペーパーに書いていた経験もあることから、自由!フリーダム!!テーマも字数も好きなように書くというのがこれまた難しい。

字数やテーマやしかも読者に一番届けたいことまである程度決まってるライターの仕事と違って”ありのまま”に自分が思っていること感じていることって言葉にした途端、本当か?と疑ったり、逆に恰好付けたりして読み返したくないものなっちゃった。。恥ずかしい。。

迷子が迷子のまま綴るツラツラとしたそれは、読み返したくなる内容になるはずもなく、そんなこんなで時間が経ち、すっかりもっぱら、note愛読者に。

皆様の文章に励まされ、更新を楽しみにする「スキ」の文章に多く出会い、お気に入りの人達も沢山でき、すっかりnoteを楽しませてもらう日々が続いていた時に、ふと書きたい意欲がわいてきた。

書きたいというより、発信したくなってきた。

そして発信することになぜ、こんなに抵抗があるのかもわかってきた。

ワタクシ、超氷河期時代やロストジェネレーション時代だからじゃないか?


誤解のないように伝えると、新卒で就職した旅行会社が倒産した悲惨は出来事はこの時代だったからだ!というような出来事を話したいわけでは決して、、ない。

私が気づかないうちに染み付いた、自分たちの世代が持つ独自の文化というか感覚、思考回路というに気づかず、新しい手段を手に入れることが億劫になっていたのだ。

もとより、発信するという経験を持つ必要もなかったし、持ちたいとも思わなかった。

第二次ベビーブームと呼ばれた学生時代の私は競争が当たり前。

私たちは与えられた問題を人より早く正確に説く事が大切で、自分で問題意識を持つことや自分で正解を考え抜く力が大いにして弱い。

そこに違和感と持つ人は、そんな中でも自分軸を持つことができる今の時代にぴたりと合った人たちのように思うけれど、多くの人はそのレールの上で自分になりに一生懸命頑張っていたと思う。

団塊世代の親たちは、頑張れば夢は叶うものだと話をしていたし、みんなが持ってるものを一番に手に入れたかったし、みんなが持ってる物が欲しかった。。

手に入れる事ができなかった時は自分の努力が足りないのだと思っていた。

情報に正しいか正しくないかを自分で判断することはなく、公共の電波で流れているものは事実だと信じて疑っていなかった。

大方そうだと思う。特に私は田舎者だった。

何より、学生時代はインターネットの世界と無念だったというのが大きいと思う。

だって、大学の卒論はワープロですもの。
※ワープロ(ワードプロセッサ:感熱紙で印刷できるタイプ)だったと記憶している。

私達世代は良くも悪くもリアルが全て。

デジタルネイティブ世代には、そんな感覚はなさそうだった。

そんな全体的な感覚の違いをnoteに投稿するミレニアル世代から感じたことで、これがジェネレーションギャップであり、私がnoteに自分の想いを綴れなかった理由の一つなんじゃないって思ってきた。


そしたら、私がしたい事が点になって線になって、放射線状に広がってきた。

その一つに、ロスジェネ時代のみんながんばろうぜ!!という気持ち。

ロスジェネ世代のリアル話を。

ずっこけ話。夢で終わった事。それでも未来に期待する想い。やっぱり真面目に頑張ってしまう全てのロスジェネ世代を応援したい。

頑張ってる人はちゃんと、報われる世の中であって欲しいなと思ってるから。

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