1日1本のヤクルトが飲めない
習慣にすることは得意だ。
好きなこと、興味のあること、やらなきゃ気が済まないこと。日々の暮らしの中に取り入れていくことは、なんだかパズルに似ている。
どう動いたら、これを日々に詰め込むことができるか。可能なのか。端に寄せるものは寄せて、考える。可能と判断すれば、取り入れる。
1度取り掛かってしまえば、いつの間にか新しく取り入れたことも「暮らし」になっていて、やって当たり前の項目になる。自分をそういう気持ちにさせるのが、なんだか昔から得意なようだ。
そんな自分でなければ納得がいかなかった。常に何かで在りたかった。そんな思いで日々生活していたら、限界はあっという間にやってきた。
1日1本、ヤクルトが飲めない。
なんとか詰め込んだルーティーンで生きていた時。母が職場に来るヤクルトレディからヤクルトを買ってきた。
母は何かと私にいろいろくれる。だいたいは食品で、有難く受け取っていたし、ヤクルトも有難いもののうちのひとつだった。
「わたし、定期的に買うようにするから、そのついででね。良ければ飲んで。」
自分じゃなかなか買わないヤクルト。体に良いことも知っている。
毎日1本飲めばいい。
いつものように、毎日の暮らしの中に「ヤクルトを1本飲む」を追加するだけだ。身構えもしない習慣だ。
飲めない。
冷蔵庫の中に残り続けるヤクルト。賞味期限が切れて、焦って飲み始める頃に母がまた買ってきてくれる。
「ありがとう。でも先週の分がまだ……。」
「まだあるの?毎日飲んでる?」
「飲めてない……。」
母に不思議そうな顔をされる。
飲むだけ。それができない。できない程の日々に初めて違和感を覚える。
なんで1日1本のヤクルトすら飲めないの。
ヤクルトだけではない。
美味しそうと思って買ってきたお菓子や食べ物を、買って満足して食べないままなんてこともその頃から増えていた。
ひと息つく余白すら残っていなかった。
実際、よく考えればひと息つく余白くらいあっただろう。ヤクルトの80mlを飲み干す余白くらいあっただろう。
でも自分の中ではそんなことをしている場合ではないくらいの「やらなきゃいけないこと」に常に追われていた。
半分、というかそれ以上、自暴自棄になって追い込むことで、ようやく自分を動かせていた。
そんなのは長続きしなくて、小石に躓いて、暫くその場で息を整えることになる。
空を見上げて、息を整えて、前に走り出せない自分にも嫌気がさしているせいで、なかなか呼吸が落ち着かない。
ふっと目をやるとヤクルトがあった。ヤクルト……飲むか。
美味しい。飲んでみればあっという間。これっぽっちのことが、毎日できないなんて、やっぱりおかしかったよな。
それから毎日、ヤクルトを賞味期限内で飲めるようになったし、お腹の調子も良くなった。あまりに単純で、呆れ笑いが出てしまう。
しかしその場で自分を落ち着かせるのも嫌、前に走り出す元気も無くて嫌。どんな状態でも常に満足していない。
1度自分を追い込んでしまったせいで、もういいって言っても自分に信じてもらえなかったようだ。
しかしここで一旦、歩き出してみないかという提案をされる。走れなくても、歩いていれば前には進む。それで自分が納得してくれるなら……と、ようやく体を起こす。
確かに辛い毎日なのだけど、呼吸を整えていた日々もきっと過ぎれば愛おしくなって、前みたいな自暴自棄になることは無くなるだろう……と思いたい。
明日から、少しずつ、ヤクルトも飲みつつ。後ろから追い抜かれようが平常心を保てるように、横を一緒に歩いてくれる人達と肩を叩きながら、生活を続けることにしよう。
何事もほどほど。頑張りすぎない。そんな言葉たちを聞き流してしまわないように。いつか本当に自分に言ってやれるように。
立ち止まっちゃいけないなんてこと無かったよ。
……人生初心者か!!!
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