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子どもへの押し付けは自分の不安

嬉しの森へようこそ!しぃ乃です。

我が家には学校に行くことを選択しない、登校不選択児が居ます。

よく「心配じゃないの?」「不安にならない?」と聞かれますが、私は「何も心配じゃない。」です。

長男は、小学校もまともに行っていないのに中学生になり張り切って一ヶ月学校生活を送ると、疲れ果て、鬱状態になりました。

私からすると学校へ通うことで鬱になる方が心配というわけです。

うつ病になった息子を救ってくれたのはTVゲームで、WiiUでした。

長男が鬱病になるまで我が家にはTVゲームというものがなかったのですが、ゲームしか救ってくれるものはないと考えて悩んだ結果、スイッチではなくWiiUを選びました。

本体も中古で安かったし、カセットがめちゃくちゃ安くて、色々なゲームを楽しめると考えたからです。

マリオカート8、スプラトゥーンでネット対戦をすると、自分の腕前やネット上で一緒に遊んでいる見ず知らずの誰かへの怒りを通じて、心にあった爆弾を爆発させていきました。

「ゲームが下手すぎて死にたい。」「生きている意味がないから死にたい。」と、号泣することもしばしば。

今まで抑えていた感情が一気に吹き出したようでした。

ある日、マリオカート8で一位になれそうだったのに、最後の最後で破茶滅茶にされて、順位が落ちてゴールしたことでブツブツと怒りをぶつけていた長男に、よく理由も知らず、「一位になれそうだったから、次は一位になれるかもしれないね。がんばれ!」的なことを言うと、長男はブチ切れTVにコントローラーを投げました。

そして当たった瞬間、TVの画面が虹色に・・・・。

その後、TVが壊れてしまった絶望と、何も考えず発言した私への怒り、それと自分への怒りが大爆発し、TVを壊したことで父親に怒られる不安でいっぱいになり、「死にたい。」「殺したい。」など叫ながら号泣。

この一件で、長男は少し冷静さを取り戻し、そして今まで話したことのなかった自分との対話を私に話してくれるようになりました。


私たち、長男にとっての両親は、TVゲームに全く興味がなく、自分たちが理解できないからという理由で買い与えることをしませんでした。

しかし長男の同級生はプレステやスイッチなどを当たり前に持っていて、羨ましかったのに、その心の声を聞こうとすることをしませんでした。

学校に行っていない時間ゲーム三昧だと話すと「依存症心配じゃないの?」と聞かれることがあります。

我が家にTVゲームが来て1年半、WiiUからスイッチへゲーム機は変わりましたが、昔のように怒りを爆発させることもなく、これはただのゲームであるという認識でゲームを楽しめるようになり、自分の時間をコントロールできているので依存症の心配は全くしていません。

そもそも、依存症というのは心が満たされていないから起こるSOSであって、親が「この子は依存症なんじゃないか?!」と疑ってしまった時点で、状況はさらに悪化すると私は考えています。

私は「依存症」に対する恐怖を植え付ける勉強会や講演会をお勧めしません。

私は「依存症になるんじゃないか?!」という心配は親の心の問題であって、親が自分自身を信じることで、自分の不安が意味のないことだと気がつき、「私が信頼しているこの子が依存症になるはずがない」と自然に考えるようになり、子どもは親の信頼を感じる中で安心して成長できると思っています。

思い信じています。

学校に行かない子を学校に行かせようとする行為も、行かないと親である自分が不安になるからであって、無理矢理行かされた子どもは「この人は僕のことよりも自分のことの方が大事なんだ。」「この人に何を言っても無駄なんだ」と、子どもに親なんて自分のことの方が大切で、何を言っても無駄、期待できない諦めさせることになると私は考えています。

子どもの意思を尊重し、自分に無理のない範囲で子どもの希望を叶えるよう対応することが大切だと私は考え、そのように対応しています。

親だって人間、出来ないものは出来ない。やりたくないことだってある。無理なことは無理。でいいですが、でも「できる限りはあなたの希望を叶えたいと思っている。」という思いは子どもの心に届けて欲しいと思っています。

どうか自分の不安の解消のために、子どもの意思を無視することをやめてください。嬉しい社会を望んでいる私はそのように願っています。

嬉しの森住人おばたくみこ

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