生活が好き、ということ。

食器洗いが好きだ。料理が好きだ。洗濯物を畳むのが好きだ。掃除も好きだし、ゴミ出しも好きだ。ゴミ出しが好きなのはたぶん、僕が24時間ゴミ出し可のマンションに住んでいるからだろう。朝起きるのは苦手だ。

洗濯をするのはあまり好きではない。僕は服が好きで、洗濯をするとその分だけ服が傷むような気がしてしまうからだ。しかし畳むのは好きで、特に女性ものの服を畳むのが好きだ。男性用の服はシャツであれデニムであれ、畳むのが容易すぎる。素材にも形にも幅がない。女性ものの服は、素材も形も千差万別で、畳めるものなら畳んでみろ、と僕に挑戦してきているようだった。

どこかで星野源が「自分は曲を書いたりライブをやったり文章したりするのは好きだが生活をするのは好きじゃない」という意味のことを言っていた。僕は生活が好きだ。生活が好きになるかどうかは、どこかの段階で生活を肯定的に描いた物語に触れているかどうか、だと思う。触れているというのは単純に読んだかどうかというだけではなく、それが琴線に触れたかどうかだ。僕の場合は村上春樹だった。朝きちんと起きて、湯を沸かして髭を剃り、シャツにアイロンをかける。一度そういう生活を良いものだと思ってしまうと、たとえば「西の魔女が死んだ」の様な別の種類の生活の美しさにも惹かれることになる。あとは転がる石の如し。僕は生活を愛するようになった。

食器洗いの良いところは、過程がどうあれとにかく洗剤をつけてこすれば結果必ずキレイになるというところだ。これは僕にとって癒やしという他ない。僕は昼間絵を描く仕事をし、帰宅するとやはり何かを作る活動をしている。それらの活動はみんな、洗剤をつけてこすれば結果必ずキレイになるという類の作業とは根本的に違っている。もしかするともっと技術を上げればまるで食器洗いをするかのようにモノを作ることができるのかもしれないけれど、現時点では手を動かした結果まったくろくでもないものが完成してリテイクになるか、もしくは納得のいかないまま納品になる危険性を孕んでいる。

癒やし。畳めばまあ確実に片付くし、掃除機をかければホコリが消える。レシピ通りに作ればそれなりにウマいものが出来上がる。その平穏に飽きてきたらタイムアタックをしてやればいい。ゲームと同じだ。僕は一人っ子で、一人遊びが得意だった。

僕は生活が好きだ。将来食いっぱぐれたらヒモになろう。そして毎日女性ものの服を畳んで暮らすのだ。楽しみだ。

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