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私のルーツの旅【母方の祖母編】その2

今回は祖母である光さんが婚姻してから亡くなるまで在籍していた戸籍のひとつ前の戸籍を遡っていきましょう。

その前に、簡単に前回のおさらいをしておきます。平成6年の法務省令に基づく改製があったため、戸籍の右上に「改製原戸籍」という表記がありましたね。戸籍を新しい様式に書き換える事を「改製」といいます。この戸籍を元に新しい戸籍を作り変えましたよと読み取れます。

新しい様式の戸籍とは、今あなたが役所で請求できる現在の戸籍のことで(A4縦使いの横書きスタイル)電子化されたものとなります。

前回の戸籍では、婚姻によって新たに戸籍を作り、その戸籍で光さんが亡くなったことがわかりました。相続手続きでは、亡くなった方の出生から死亡までの戸籍が全て必要とよく聞かれますね。

光さんの出生から亡くなるまでのつながりのある戸籍が必要になりますので、改製された新しい様式の戸籍は必要ないということになります。

相続手続きの豆知識はこの辺にして、早速光さんの婚姻前の戸籍を辿ってみることにしましょう。


それがこちらの戸籍になります。過去に入手した戸籍になりますが内容は変わりません。また、前回同様、個人情報について配慮した形での掲載となり、わかりづらい点があることにつきご容赦願います。

大正4年式戸籍

戸籍を取ってみてわかったルーツの痕跡

さて、前回は戸籍の右側から順番に解説していきましたが、今回は光さんの戸籍をどう読み解いていくかの流れも見ていきましょう。(人によって違いはあると思います。)

①前回もご案内しましたが「かいせいげんこせき」といいます。法律の改正等によって書式が変更される元になった戸籍であることがわかります。「現戸籍(げんこせき)」(現在の戸籍)と混同されやすいので「はらこせき」と呼んだりします。こちらは昭和の改製原戸籍になります。前回のは平成の改製原戸籍となります。

②本籍欄ですね。ココも前回と同様ですが、番地に変更があったようです。どのように理解すればいいのでしょうか。戸主(こしゅ)の事項欄を読み解く必要がありますので詳細は後述します。

③戸主(こしゅ)とあります。筆頭者ではなく戸主という言葉から分かるように戦前の日本では「家」という考え方があります。戸主は一家の長であり、現在の筆頭者とは異なり大きな権限を持っていました。婚姻や養子縁組の同意権、居所を指定する権利、勘当(親子の権縁を切る)も法律で戸主に認められた権利でした。一方、家族を扶養する義務や家を守っていく慣習があったことから戸主には大きな義務が課されていたのでした。

こういった時代背景から本人の人生を辿るとより興味深いですね。光さんが婚姻によって妻の氏を名乗る戸籍を作ったのは「家」という意識がより強かったともとれますし、また他に理由があったのかもしれません。

④前の戸主の記載欄になります。これは分家によって新たに家を創設した為、前戸主は存在しないという理由から記載されていません。

⑤本籍や戸主の欄を確認したら、次は光さんについてみていきましょう。この欄は戸主との続柄(つづきがら)を記載することになっているので「養女」となります。戸主の文次郎さんからみてどういう関係性にあるかがわかります。

⑥光さんが〇〇敏昭さんと婚姻によって新しい戸籍を作成した為、この戸籍を抜けたことがわかる表記です。戸籍を抜けると✖が書かれます。光さんは20歳で結婚したんですね。日付は昭和24年10月14日となっています。前回の戸籍の編製事項欄(⑤番の箇所)にある日付と一致しています。つまり、戸籍が「つながっている」ことが分かります。

⑦文次郎さんの養女である光さん、妻のカノさんがこの戸籍に入ってきた理由が記載されています。戸主である文次郎さんの分家によって昭和17年2月23日に文次郎さんと共にこの戸籍に入籍したことが分かります。

また、その前の行には光さんの養子縁組の記載があります。ただし、縁組年月日は分家の前の日付ですから、分家より前の出来事だとわかります。ちょっとわかりづらいかもしれませんね。日付をもとに時系列を頭の中でイメージ(実際に紙に書き出すと視覚的に解りやすいです)するといいですよ。

⑧⑦には具体的にどこの戸籍から入ってきたのか具体的な本籍地が記載されていない為分かりません。そこで、戸主である文次郎さんの分家に関する情報を見ていく必要があります。熱海市〇〇579番地の1の戸主〇〇荘之助さんの弟である文次郎さんが昭和17年2月23日に分家届出をし受理されました。印鑑の押印は役所の方のものですね。

⑨昭和貮拾八年拾壹月貮日に地番号変更とあります。本籍地の地番が、百十二番地から二百四十三番地に変更となりました。貮拾八年拾壹月貮日と旧字の大字(だいじ)で表記されています。改ざんされないように漢数字で記載されています。更正とは、法改正などの後発的な事由によって戸籍の記載が事実とは異なる際に改める場合に使われます。「おおあざ」とは読みません。大字(おおあざ)は小字(こあざ)を含む比較的広い区画・集落をあらわす際の言い方になります。

また、昭和32年法務省令第27号により昭和33年4月18日本戸籍改製とあります。昭和の改製原戸籍であることの事由が書かれています。さらに、次の行には小田原市〇〇227番地に転籍とあります。こうして、この戸籍では光さんが婚姻で抜けた後に、地番変更や転籍によって227番地となったことがわかります。

⑩昭和32年の法務省令によってこの戸籍は改製されます。ただ、昭和32年でいきなり戸籍が切り替わるのではなく、実際には昭和40年5月12日あらたに戸籍を編成した為にこの戸籍は消除されることになりました。

大正4年式の戸籍の特徴について


まず前回の戸籍(昭和23年式戸籍)と大きく違うのは、やはり「戸主」の記載があることでしょう。戦前は筆頭者ではなく戸主という言い方をしていました。

「家」を基本にしていますので、親と子に限らず一つの戸籍に兄弟姉妹や複数世帯が混在する形になります。戸主からみた続柄が記載されていますね。戸籍の編製事項なども戸主の事項欄に記載されています。いつ戸籍が編成され、いつ戸籍が削除されたのかちょっとわかりづらいですね。

戸籍の編製日を見落とさないように注意が必要です。複数の戸籍編成日がある場合は時系列を意識してその中でも新しい日付のモノを確認するようにしましょう。

ルーツを辿るための次の行き先は?

光さんの婚姻前の戸籍を辿ったことで、光さんが13歳の時に、養父である文次郎さんが分家をして小田原に本籍を移したことがわかりました。また、20歳で結婚し、この戸籍から抜けることになります。そして、分家をする前は熱海に本籍をもつ〇〇荘之助さんの戸籍にいたことも分かりました。

なぜ、小田原という地に分家をすることになったのか、文次郎さんとはどんな方だったのか、この辺りの話しを親や親戚に聞いてみたいと思います。ルーツの旅では、人からの情報というものも大変重要です。

複数の情報にあたって検証していく面白さがルーツの旅にはありますね。相続手続きの為にしか戸籍を使わないとなると単なる必要書類という価値しかありません。

戸籍は公文書なので相続の際に証明書類として使用されますし、その正確性も「ある程度」担保されています。「ある程度」という微妙な言い方をしたのは、真実かどうかはまた別問題ということです。

戸籍の成り立ちについて知ると「一応確からしい」程度のものなんだということがわかります。ですから、ルーツの旅という観点では戸籍の情報だけでなく、先祖の事績などもリサーチしておくとただの線でつながれた家系図ではなく物語ができあがるのでいいですね。

さて、次はどこの戸籍を取ればいいのでしょう?

そうです。荘之助さんの戸籍ですね。(⑧を参照)次の本籍は熱海になりました。ルーツは小田原から熱海に舞台を移します。ここに記載されている本籍地と戸主(筆頭者)をもとに郵送あるいは熱海市役所に出向いて戸籍を取得することになります。

ここに光さんがいるはずです。この先の戸籍を取得するとどのようなことがわかるでしょうか。それはまた次回に。

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