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イタリア・ルネサンスの入口~ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ



古代ギリシア・ローマ後、ヨーロッパでは1000年に及ぶカソリック教会の支配が続きました。
しかしこの長い中世も終焉を迎え、人間中心のルネサンス時代が訪れ、近代への転換期となりました。

その発祥は14世紀、イタリア北部の都市フィレンツェでした。

ルネサンスがイタリアで始まった理由はいくつかあります。

まず、東方のオスマントルコによって東ローマ帝国(ギリシアを含む)が制圧され、そこにいた文化人や学者たちがイタリアに流れてきたことです。

さらにイタリア、特にフィレンツェの都市は貿易で栄えており、大富豪たちがいました。
メディチ家を始めとするこの大富豪たちがスポンサーとなり、その庇護の元で芸術家らは活動することができたのです。

また、古代ローマの文化がイタリアに多く残存していたことも大きな要因でした。
ルネサンスはキリスト教を否定するものではありませんが、自由なヒューマニズムにあふれた古代ギリシア・ローマ文化は、ルネサンス人たちにとってインスピレーションの拠り所だったのです。

この時代には、絵画や文学のみならず建築技術も飛躍的に発展し、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を発明し地動説を唱えるなど、科学の分野も大きく進歩しました。

レオナルド・ ダ・ヴィンチとミケランジェロは、ルネサンスを代表する人物として挙げられます。

モナリザで有名なダヴィンチは、美術のみならず解剖学を研究し、医学の分野でも功績を残した万能の天才として、ルネサンスを象徴する人物でした。

ダ・ヴィンチとしのぎを削ったミケランジェロもまた、彫刻や絵画だけでなく建築家としてもその才をふるいました。

フィレンツェのヴェッキオ宮殿内にある「500人大広間」にて、この二人の天才が出会ったエピソードはたいへん有名です。

フィレンツェ共和国の戦勝をたたえる壁画が、そこに描かれることになりました。
そこで、一方の壁にダヴィンチが、もう一方にミケランジェロが描くことになったのです。

しかしながら、結果として、どちらの作品も二人の手による完成には至りませんでした。

イタリアルネサンスは、16世紀には下火となりましたが、フランスやイギリスに広がって行き、さらなる花を咲かせていくことになりました。⇒イギリス・ルネサンス

レオナルド・ ダ・ヴィンチ(1452-1519~イタリア・画家)
古典文化を復活させる試みで有名な「ルネサンス」を代表する芸術家。「モナ・リザ」や「最後の晩餐」は、世界的な名画として知られている。建築、数学、解剖学、天文学など、様々な分野で名前を残した。

ミケランジェロ(1475- 1564イタリア・彫刻家、画家、建築家)
ルネサンス期に活躍。彫刻では「ダビデ像」や「ピエタ」で、絵画の分野でも「フレスコ画」で知られる他、建築家としてもサン・ピエトロ大聖堂などの設計を手掛けた。