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深夜三時のラブレター

 表現というものに対して、長らく勘違いしていたことがある。
 表現とは作品を制作して終わりではない。鑑賞者がいて初めて成立する。ともすれば、対話なのである。投げかけた作品という「言葉」を、受け手がどのように受け取るか、そして場合によっては何らかの返事(レスポンス)を創作者へと投げ返すか。このキャッチボールまでが表現なのである。
 もちろん、この「言葉」に文法やルールは無い。どんな風に書いても、話しても許される。ただ、当然一般大衆が理解できる「言葉」を用いたほうが「伝わりやすい」し、共感を集める。ともすればビジネスにだって繋がるだろう。
 しかし世の中はコミュニケーションスキルの高い人間ばかりではない。当然コミュ障もいれば、他人との接し方が独特になってしまう人間もいる。

 まだ若かった頃、僕は表現というものを「独白」だと考えていた。
 自分の内側からしか染み出してこない独自の「言葉」を用いた呪文のようなもの。赤ん坊が言語を覚えるまでのあいだに話す喃語のような、おおよその人が理解できない「言葉」にこそ価値があると考えていた。それを追求することのみが芸術の道を志す者にとって「正しい態度」だと思い込んでいたのだ。間違った「芸術」至上主義である。
 今はどう考えるかというと、前者のような伝わりやすい「言葉」にも、後者のような伝わりにくい「言葉」にも良し悪しは無く、貴賤もない。伝わりやすい言葉のほうが理解されやすくビジネスライクかもしれないが、独特すぎる叫びが逆に道行く人を振り向かせることもあるだろうと考えている。しかしながら若い頃の僕は実生活でも芸術面でも「コミュ障」だったので、伝わりにくい言葉をこそ信奉し、分かりやすい言葉を徹底的につけ離していたのである。

 自分が聴いてきたサブカルチャーの創り手たちによる音楽は、心の叫びにもよく似た歌詞を、そのまま音程やリズムを無視した叫びに変えて音盤に吹き込んでいた。
「誰も理解してくれない僕の心を誰か分かってくれ」
「誰にも知られたくない私の想いをあなたにだけ伝えたい」
 その無作法で不器用な表現の数々は、自分について「分かって欲しい」という想いと「分かってくれるな」という頑迷さがアンビバレンツに混在していた。分かってもらいたければ、平易な詞を書けばいい。ボイトレをして上手い歌をうたえば、老若男女が耳を傾けるだろう。しかし彼ら彼女らは、分かりやすい「言葉」や技術を用いることを頑なに拒んだ。ストイックな殉教者のように、自分の信じた神の「言葉」を頑固に使い続け、現実との壁に衝突しては悩み続けていた。

 思春期にサブカルチャー特有の表現をめいっぱい浴びてきた僕は、やはり、自然と「分かりにくい」言葉を用いて制作をするようになった。これはもちろん恋愛ではない。受け手を想定した愛の打ち明け方ではない。独りよがりな片想いだ。相手の気持ちを考えず、一方的に綴られた深夜三時のラブレターだ。「芸術」への信仰を続けるあまり「難解なものほど芸術的な価値がある」「理解されないものほど素晴らしい」という勘違いで凝り固まった十代終わりの僕は、周りの同級生を見下しながら誰も読めない、いま考えると全く面白くもない小説を狭い自室で書き綴っていた。恋人だっていなかった。

 理解されない表現者は、孤独の隘路にはまってしまう。二重の孤独だ。一つ、自分の表現が理解されない孤独。もう一つ、孤独な自分で居続けなければならないという自縄自縛から来る孤独。
 客観性を喪った表現は、作品と作者が不可分になってしまう。作品に自意識がべったりと貼りついて、作品に対する批評や無視が、そのまま本人への人格否定と直結してしまうのだ。いつしか道行く人が自分を馬鹿にしているように感じられるようになり、心を病んでしまえば幻聴が聴こえ幻覚が見えるようになるのだろう。
 漫画家を志す表現者たちの光と闇を描いた藤本タツキの短編『ルックバック』にしても、あれほどSNS上で反響を呼んだのは、主人公やその親友(彼女もまた不幸な結末を辿るのだが)の成功だけでなく、刃物を振り回した加害者の失敗をもきちんと描き出していたからではないか。
「大学内に飾られている絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」
 という加害者の独白、美大の校舎に侵入し学生たちを刺して回った加害者の作中における発言は「統合失調症患者への配慮に欠ける」「京都アニメーション放火殺人事件を連想させる」といった抗議から改変されてしまったが、孤独の闇に飲まれた表現者の失墜を見事に描き出していた。彼もまた作品……と、不可分になった自分自身……が理解されないという孤独、その孤独を生き続けなければいけないという二重の孤独のなかで苦しみ、心を壊してしまったのだ。「自分の作品をパクった」と言ってビルに火をつけた京アニ事件の犯人のように。

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