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消えていくわたし

お誕生日でした。
たくさんのお祝いメッセージをいただきました。
ありがとうございました。

振り返ると9月から新しい学びに
入りました。

これまで積み上げてきたものを全て
手放して、たくさんの人間関係も
失くなりました。

わたしは人に執着があったし
誤解されることも嫌だったし自分の
気持ちをちゃんと理解されたいという
思いもずっとありましたが

それは、いいように言えば誠実さで
本当は承認欲求だったと思います。
人に認められたかったし愛されたかった。

わたしが思ったようには取っては
もらえないものです。
そもそもわたしの望むように理解
して欲しいなんて無理でした。
それぞれの正義感やポリシーや
エゴや自己顕示欲や自己保全で
人を分析したり裁いたり、一言
申したり。
人間なんてそんなものです。

わたしは人に自分の正しさを
押し付けていたと思います。
偉そうに。


わたしはわたしという尊厳を
ずっと取り戻したかった。
それは自信も含めて。
過去世でね、きっと偉かったのよ。
教祖様やってたのよ。
その栄光を取り戻したかった。
今世ではそれを求めていたんだと思う。

でもね、それは手放すべきものだった
と解りました。
それを求めていたから道を間違えた。
実際には必要なプロセスだったけれど。

わたしはこのわたしというエゴが
本当はちゃんとわたしの人生は
大いなるものに導かれているのに
自分がハンドルを握ろうとして
無駄な動きをして回り道したり
プライドを守ろうとして小細工したり
出来事をジャッジしたりすることに
気がつきました。

ちゃんと導かれているのに
それを信頼できていないから
恐れから先回りしたり
プロセスを待てないで逃げたり
起きてくる出来事に対して余計な思考や
感情を入れてしまう。

新しい学びではこの自分のエゴと
プライドに気づき、認め、落とす
そんな毎日を送っています。
たった4ヶ月ですが、だいぶ変化
させてもらいました。

取り戻したかった尊厳や権威や
注目や理解や承認や尊敬や愛を
人からではなくて自分のうちに
取り戻したら今度はもう要らないなと
思いました。

渦中は苦しかったこともありますが
とても有り難いことだと思います。

なるべくエゴの「作為」をなくして
大いなる自分の真我が与えている
この人生のギフトをここからは
余計な味付けをせずに受け取りたいと
思うのです。


守りたかった「わたし」
愛されたかった「わたし」
尊敬されたかった「わたし」
凄いと言われたかった「わたし」
をなくしていって
このわたしがあるから見えなかった
大いなる真我と共に在ることを
悟ろうと思います。


主張したいこと、語りたいことも
もうなくなってしまった。
ただこの完璧な人生のプログラムを
体験していきます。
本当に有り難いことです。
自分の人生や出会いが有り難いと
分かったのですから。

誕生日を超えて新しいスタート
です。
どこまでも透明になっていきます。



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