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アルケミーの素材

わたしの心とマインドの整理のための独り言のような覚え書きです。
先日、お友達のサイキックな男性から「シッディパワー(神通力)がすごく増してきているよ、セント・ジャーメインとのご縁があるの?彼が一緒に働きたがっているけど?」と
言われたのです。

もともとミステリースクール時代もマジシャンでアルケミーのマスターであるセント・ジャーメインとは魂的にご縁があるとは言われていました。
アルケミー、錬金術とは鉛を金に変えることではなく、人の意識をアセンションさせることだとわたしは理解しています。そのためのマジック、魔法、ミラクルを起こすことを手伝ってくれるのでしょう。

ただし、気をつけないといけないのはシッディに力を向けすぎると覚醒できなくなるのです。見えないものが見える、分からないことがわかる、先が読める、その人に必要なアドバイスを与えることができるなんて嬉しくて楽しいことですが、その力が出だしたらそれを捨てて覚醒に向かわなくてはいけないのです。

おっと、危ない!
そうなのです、最近、その通りで、シッディパワーが発揮されているのですよ。


なんか当たり前にその人のエネルギーを感じているのです。
それからその人のマインドの中にある言語化できない言葉のエネルギーを読み取って言語化するとか(これは意識していなかったけれど割に得意で)前からやっていたことだった。最近はその人に必要な言葉とか降りてきちゃうし、意識もその人の進化に向かう良い感じに変わっちゃうし。

あと、なんか思った通りになってしまう。カフェに行く前に「晩ご飯に唐揚げとポテト食べたい」と夫に言って却下されたのだけれど、アルコールを出さないそのカフェのメニューに唐揚げとポテトがあったりする。
タイミング良く行くべきところに運ばれる。何もせずにあちらからご縁やラッキーがやってくる。


わたしの天才性は、アルケミストなのです。
変容させる力と自らをアルケミーの素材として変容して行く力があります。
どういうことかというと、結構簡単に自分のエネルギーやマインドを変えちゃうのです。
マインドも思考も理想も肉体的なエネルギーも変えちゃう。
所属する団体も人間関係もそうすると変わらざるを得ないのです。


仲良しと疎遠になったり、あんなに好きだった学びに気が進まなくなったり。
自分で意図せずにそれが急に来ます。

今から30年くらい前にミステリースクールに行くずっと前にライフダイナミクス系の気づきのセミナーに通っていました。
とても温かな空間で仲間と名前で呼び合って結婚式に呼ばれたりもして。
前夫や子供たちも連れてクリスマス会に参加していてキャンドルの火を灯しあって温かな絆を感じていたその時にふと「ああ、ここはこれまでだな。離れよう」とインスピレーションが来ました。
大好きで仲良しで誰も嫌いじゃないのにです。



誰かと揉めたり、裏切られた思いでうんざりして離れたこともありますし、親友のような人が急によそよそしくなって離れて行かれたこともあります。
西洋のミステリースクールからインドの学びにスイッチした時も人が離れたり、新しいご縁が出来てきたり。
そんな時、義理堅いわたしが割と平気で全てを捨てます。


どうにもならないことってあるのだと離婚した時に思ったよね。居心地よくても執着しても望んでも仕方ない。
終わる時は終わる。好きでも嫌いでも。
「エネルギーが変わること」それが正解なのだ。


ミステリースクール時代のわたしはシャープで鋭くて記憶力の強いマインドの鬼でした。
そのあと、インド系の時はインナーチャイルドセラピストだったので母性的で受容的だったと思います。
そのあとは緩んで緩んでポンコツになったけれど、ここ最近は少し静かに洞察力が増しつつもパワフルかもしれません。

面白いことにオーラの色も変わります。大事にすることも信念も変わります。
動きが止まりそうで停滞しそうな時には何か起こって強制的に入れ替えが起こり次の学びのためのメンバーが揃います。

わたしはたくさんの人と縁を結ぶ契約を持っていると言われたことがあります。これは多いのが良いわけでも少ないのが良いわけでもなく、わたしの魂は人との間でエネルギー交換をすることをたくさんやると決めてきているということです。

わたしは人が好きで人に執着があります。お金にも物にも執着はないけれど人には執着があります。けれど都度都度ハートからの深い絆を作ってはそれを終わらせます。わたしがやりたくなくても。

なんだかなあ。寂しいけれどそういうものみたいだから諦めました。

摩擦があっても、嫌われても、傷つけられても、分かってもらえなくても、誤解されても関わってくれた人はわたしとエネルギー交換の契約を果たしています。
刺激や変化や自分では得られないものをわたしに与えてくれているのです。


だから、感謝しかありません。
ご縁があったこと、話せたこと、笑ったこと、怒ったこと、好かれたり、気に入られたり、嫌われたり、うざがられたり、、、、感情を動かしあえたことに感謝です。

もう2度と会えないかもしれません。
今世、地球で会えたことに感謝です。

わたしはわたしを生きると決めています。
夫や子どもでさえ、わたしの道を行くことを留めることはできません。なぜなら彼らもわたしの人生でのその時に必要な学びのための契約の存在だからです。
そばに居続けてくれても、別れても、わたしのためなのです。


全ての存在は愛そのものだと実感します。
愛とは進化を与え育ててくれること。わたしの個性をそのままにもっと輝かせ自由に活かしてくれること。
受け取っています。ありがとうございます。


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