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見えなかったことが見えてきた
生きることがとても辛かった時は
人生を変えたいと思っていた。
自分に自信が無かった時には
自分を変えたいと思っていた。
そのままじゃいけない。
こんなわたしだから愛されないんだ
と思っていた。
でも違うのだった。
変えるべきなのはわたしじゃなくて
「ここがダメだ」
「こんなんじゃダメだ」
という意識だった。
どうせわたしなんて嫌われている
だろう
わたしは迷惑な存在なんだという
思い込みだった。
そして忘れずに握りしめていた
お母さんお父さんや先生等の
大事な人たちが自分の気持ちを
理解してくれなかった時に感じた
虚しくて悲しい気持ちの記憶。
大切な人たちの取った態度から
自分には大切にされる価値がない
と受け取ってしまっていたのだ。
その記憶は原動力になって成長を
促してくれたのではあるけれど
自分がダメだから変わらなくては
いけないのでは全くなかった。
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もちろん人と関わる時の思いやりや
マナーを知ることは大切だった。
意見が食い違った時に話し合うこと
や断ることや違う意見をきくこと等
のスキルは必要だ。
親がモラハラ気味だったり一方的な
コミニュケーションをとる家庭だと
対人のスキルを学べていない。
身近な人にちゃんと「ありがとう」
「好き」を伝えることや人の「No」
を受け入れること。
Noはわたしが嫌いだから言われる
のではなく好かれていても言われる
という理解が必要だった。
心に傷がある時はNoという言葉に
傷ついてしまい受容ができなかった。
自分には価値がないという勘違いが
直ってくると他人のNoは
自分とは無関係だと理解ができた。
自分が変わると受け取り方が変わる。
対人スキルは後からでも学べる。
聞こえたもの見えたものが全てでは
なかった。
今のわたしにはモスキート音は
聴こえない。(泣)
![](https://assets.st-note.com/img/1686496641714-jtbRjwfNuS.jpg?width=1200)
大人になると対人で省エネをする。
どうでもいい人なら上っ面だけを
褒めてその場を適当にやり過ごす。
説明や対話のためのエネルギーを
無駄に使わない。
一方で大切な人には咎めることも
嫌なことも時には言う。
もっとこうして欲しいとか
こちらの正直な気持ちを伝える。
関係性をより良くするために
意識を向け時間やエネルギーを使う。
大人になって見えてきたものがある。
ただ優しく言うことを聞くことが愛
ではないこと。
長く深く関わるためには「No」を
伝えなくてはいけないこともある。
いつも相手の言うことを聞いて
願いを叶えてあげているととても
喜ばれて必要とされる。
けれどそれは依存的な関係になり
それが続くと結局は精神的に疲れて
自ら関係性を潰してしまうことに
なるのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1686353128998-UmpCr5Zy9G.jpg?width=1200)
ほどほどの距離感や遠慮、その人の
スペースやペースを尊重するために
時間や物理的な距離も大切に思う。
子どもと母親のようにべったりと
くっついて何でも話して共感されて
理解されようとしてしまうと
意志をもった大人同士では摩擦が
起きてしまうのだ。
自立して1人で居られること。
心はオープンでありながらも
自分で決定することや
自分で感情を解決することを
各種の犠牲を経て(笑)
ようやくできるようになれたと
思うこの頃だ。
ぶつかったり嫌ったり嫌われたり
人との間で教えてもらったのだ。
その時はたしかに傷ついたけれど
それも有り難いことだ。
導いていただいたのだ。
見える存在、見えない存在全てに
今となっては感謝しかない。
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