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子育てを終えて思い出話

書きたいことがふっと頭をよぎるけれど、その瞬間を捕まえないとみんな流れて消えていってしまう。

そう考えると本当に何が何でも人に伝えたいことなんて無いんだと思うのだけど書き出すと少し意識のフォーカスがあってくる。

手探りで煙の中を進んでいると何かの輪郭がうっすら見えてくるので、それの言語化をしていくとだんだんとはっきりしてくるので書きながら深めてみよう。


昨日はもう25年くらいお付き合いのあるママ友とランチをした。

お互いに子どもの手は離れて彼女は1人になってだんだんとこの人生が終わっていくことに意識はフォーカスしている。

と、いうかお互いに老化が、、、(笑)



彼女とは少し気取った幼稚園で出会った。小学校受験する子が通うような送迎バスのない給食のない延長保育のない幼稚園。

母親ががっつり子育てに手をかけるのが当然なコミュニティ。若くしてそこに入ったのですっかり染まってしまった。

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今思うと人の眼や意見を気にしてピリピリしたり、一般常識や世間の言う「普通」からはみ出さないように自分のことも人のことも見張っていた。

自分達はきちんと子どもに手をかけて子どもから目を離さない親をやっていたから、子どもを騒がせたり、泣かせたりしている親に対しても厳しい目を向けていた。

親なんだから産んだ責任あるでしょ?養育の責任があるでしょ?もっと子どものメンタルのことを考えてあげなよ。ちゃんと子どもに出来合いではなく手作り物を食べさせよう。

自分の人生じゃなくて子どもの人生に寄り添ってあげなよ。

そうやって厳しく自分のこともお尻を叩いてきたから、子育て中はけっこう苦しかったな。

子どもを中心にしながらも自分が汚くならないように気も使い世間知らずにならないように努力もしてきた。



たぶんええカッコしいなんだと思うけれど、それでも頑張ったな。

わたしも彼女も自分達の親は子育てに手をかけない親だった。どちらかというとネグレクト気味で親の手伝いをする都合の良い子どもをやっていた。

だから、きっと理想もあったのだと思う。

理想は現実じゃないから、妥協を知らずにやり過ぎちゃうところもある。理想では疲れないし飽きない。理想ってのは身体にも心にもあまり優しくないのよ。(笑)

自分がもらっていないケアを子どもには与えるっていうのはすごく苦しいのだ。飢えているのに与えるってすごく負荷が心にかかった。

当時の多くの母親はそうやってスマホもパソコンも子育て情報もない中で孤立しながら

目を離したら死んでしまうぐにゃぐにゃの小さな生き物を渡されて「お母さんだから」と責任を背負って泣き止まない赤ちゃんを不安で心配で自分も泣きながら無理して頑張って子どもを育てていた。

専業主婦は社会性がないとか、家で暇でゴロゴロしてワイドショーを見ているとか社会から見下されながら誰にも評価されない日々の洗い物や洗濯や掃除や後片付け、PTAや町内会や子供会などの無償労働もしながら、ゆっくりトイレに入ることもお風呂に浸かることもできないワンオペでの育児を担ってきた。

自分で選んだとはいえ、わたしは21で母親になり24で2人目を産んだ。「料理なんてできないでしょう?」「若いわね」とマウントかましてくる年上のママ達に負けないように精一杯背伸びをした。

彼女はわたしの次に若いママだった。彼女の第1子がうちの2番目と同じクラスだった。


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ようやく子どもが幼稚園に行き出してできた3時間ほどの自由時間。やっと大人と会話のできる送迎のママ友とのランチの時間だった。


当時の母親達って我慢強いし、めちゃ無私の心があるし奉仕的だったと思う。時間も体力も心のエネルギーも家族や地域のために使い果たした。

しかし使い果たして自分のことができなかった恨みつらみもありそう。疲れてしまって意地悪になった人もいたな。自分の評価のために子どもを有名な学校に入れるために支配した人もいた。

人のためだけに生きる自己犠牲的な母親。きちんと家のことはするけれど余裕がなく怒りっぽくて幸せそうに見えなかった母親を見てきた世代は子育てに夢を見れなくなりそう。こういうのも少子化に影響していると思う。


わたしと彼女は若かったから体力があり子どもの手が離れてもまだ余力が残っていた。まだ自分の人生を生き直す時間が残っていた。

心のエネルギーを使い切らなかったから意地悪にならなかったしまだ人への思いやりも残っている。

人の人生の責任を背負ってする子育てはとても大変な仕事だ。24時間365日休みがない。そして誰にも褒められない。

けれども、愛する誰かのために背伸びして無理して必死に頑張ったことは経験として残っている。

誰かに自分が愛されるためにではなく、無尽蔵に与え続けることを当然のように求められる母親業を超えてきた人は若い頃よりも懐が大きくさせられたように思う。(こういう経験を通して器を大きくさせられるという計画を持って生まれてきた人かもしれないね。)

なにかのスペシャリストになりお金を得ている人達の方が評価される社会で、そしてそういう人が世の母親に上から偉そうに物を言ってるんだけどさ、、、そこは違うよね。

なにかの形としては残っていないけれど、次世代の社会を作り、労働力になる、経済を担う「人」を産み、育てたことも物凄く国に貢献しているんだよなあ。


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わたしも彼女も子育てをしたことで自分の人生以外の責任を背負い、愛し、悩み、心配を長年してきた。

心をたくさん使ったんだ。

若い頃からお互いを知っているから、その経験が自分を鍛え、磨き、成長させてくれたことをお互いを通して確認できる。

そして子育て最中は近視眼的になるけれど、そこからも離れて俯瞰して大局的に物を見ることができるようになってきた。


ジェンダーギャップ120位の世界的にも女性のタスクが多い日本で女性で子育てするってかなり大変だったけれどそれは有り難いことだったなと通り過ぎたから思う。(笑)

わたしのところも彼女のところも自立した愛情深い子ども達(もう大人だが)を育てたし、人生の一仕事を終えたお互いをもう褒めて労っていいと思うわ。

と、いつも最後はお互いを労い褒めて終わる。(笑)

こういう友達は有り難い。



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