見出し画像

なにかが変わる弟子屈暮らし vol.10

これがリラ冷え…?そして猛暑の繰り返し

5月からたびたび湖に入れるほど暖かい日があったが、その後冷え込んだ日が続き、せっかく切った暖房を再び入れるほどだった。
北海道ではライラック(リラ)が咲く頃に急に寒くなることを「リラ冷え」と呼ぶらしい。もともと風の強い町、弟子屈では冷たい強風が吹いていたので最初この言葉を目にした時は「レラ冷え」かと思った。
※アイヌの言葉で風をレラと言います。

今月は月末に友人が来る予定だったが、服装について質問をもらった頃は昼は15℃、夜は8℃で車には常に薄めのダウンを積んでいた。
友人には「防寒着を用意するように」と言った。

ところが友人の来る頃には30℃を越えて、弟子屈では今年一番暑くなった。
北海道を初めて訪れたからには、弟子屈の涼しさを体感してほしいと思っていたのに。
晴れたのはいいが、こんなに暑いんじゃ全然避暑地じゃないなと思った。
だが予想外に「湿度が全然違う。風が気持ち良い。」と言っていた。
友人が帰ると気温はまた落ち着いて昼は20℃、夜は10℃となった。
これくらいがちょうど良い。

硫黄山(アトサヌプリ)に登った。白い塔はゴミ焼却炉。今は使われていない。

弟子屈に住んだら横浜が故郷になった

結婚式に出るため横浜に帰ってきたついでに一週間ほど思いきって休みにしてみた。
旅人気質の人なら更に飛行機を乗り継いで沖縄にでも行きそうなものだが、それよりも私は会いたい人に会いに行くことを重視したい。

人人人

人のごった返した横浜駅は嫌いだが、この匿名性がなんか落ち着く。
この街にはうんざりしていたはずなのに。
見慣れた大きな交差点も何故か新鮮に見える。


______生まれ変われたのかもしれない。

田舎暮らし、地方移住というと「のんびりと」とか「悠々自適な」なんて形容されがちだが、私はそうは思わなくて、はっきり言って今とても忙しい。
イベントに追われてひとつひとつクリアしていかなければという気持ちだ。

私にとっては地元横浜が帰る場所で、
弟子屈は挑戦する場所だと思う。


島根県出身の友人が「それすごいわかる」と共感してくれた。
彼女にとって挑戦する場所が、東京だった。

頑張れるのは故郷があるからだと思う。

山の友人達との再会

帰省で久しぶりに山の友人達に会った。
「山の友人達」とは私が社会人の登山サークルに入った時にできた大人になってからの友人だ。
類は友を呼ぶと言うが、突然「次の野望はなに?」というお題で話し始めた時にやはりこの人達は変人だと思った。
だけど、山を通して一風変わった友人達に鍛えてもらったと思う。
急登を上がりながら「真の幸せってなんだと思う?」と聞かれた日の事を思い出した。
普通なら胃もたれしそうだが、みんな真剣に考えた。

山は人を素直にする。
いくつか今後の展望を述べたあと、
あとはもしできたらやっぱり北海道に住みたいと思ってる」と言った。


____自分のやりたいに素直になる。

私が北海道へ行ったことは仲間から賞賛された。
ただ住んでるだけなのに、と思う。
だけど今までどこか煮え切らない自分の人生がガラガラと確かに回り出した気がする。そこに計画性はなくとも、自ずと繋がっていくこともあるのかもしれない。野望かぁ。良い言葉だ。

一緒に登っていた仲間同士が結婚した

地域おこし協力隊を退任、
新しいスタート

6月末をもって弟子屈町地域おこし協力隊を退任することになった。
今後は町内の企業へ勤めることが決まっている。
地域おこし協力隊については「なにかが変わる弟子屈暮らし」ではほとんど話してこなかったが、この辺りについて改めて詳細をnoteに残していきたいと思う。
それから新しい動きについても。

「この町で生きていく」

地域おこし協力隊の任期は3年間になるが、今回11ヶ月目で退任して民間企業に勤める選択をしたのは、私にとってはここで自活していく決意表明に近い。

本当は、弟子屈に住んでいるだけで私は満足だ。

観光商工課と観光協会の皆さん、気持ち良く送り出してくれてどうもありがとう!!これからも宜しくお願いします!
浦山 夏帆
1993年生まれ 東京都出身
横浜市立東高校卒業後、日本宝飾クラフト学院でジュエリー制作のふわっとしたところを学ぶ。宝飾業界8年目で、住んでみたかった北海道弟子屈町に住まいを移す。夢は森の中にアトリエを持つこと。鉄道とか山も好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?