なにかが変わる弟子屈暮らし vol.7
東京都出身神奈川育ち一度も地方に住んだことがないのに、好きなだけで阿寒摩周国立公園の町 弟子屈町(てしかがちょう)に住んでみた感想や実体験を綴ります。
自分の心の変化の記録ですが、北海道への移住を検討中の方々の参考となれば幸いです。
弟子屈町はここ!
なんだか慌ただしい日々が続いている。
私がじたばた右往左往しているうちに、5時なのに外は明るく、パウダースノーはふわふわとした淡雪、月の終わりには雨粒になり。
季節は着実に前へと進んでいた。
ホワイトアウトを初体験
3月までの冬季、数回暴風雪があった。
関東の家なら窓ガラスが割れてもおかしくないような台風並の突風に大雪がセットになる感じだ。
これがどういう訳だか用事のある日に襲いかかってくる。
その週は友人が釧路空港に来ていて迎えに行かなければならなかった。
友人は3日ほどこちらに滞在する予定であったが1日目の夜も2日目の夜も暴風雪の予報だった。
人間は『正常性バイアス』といって、差し迫っている危険な状況に対して「自分は大丈夫」と思い込んでしまうことがあるというが。
2日目の夜、大丈夫だろうと地吹雪のなかへと突っ込んでいってしまった。
なぜ天気が酷くなる前に弟子屈へ帰るという判断ができなかったんだろうか。
あとから知ったことだが、数時間も前から暴風雪警報が出ていた。
右も左もわからないほど、目の前が真っ白く吹き荒れていて町からも随分離れていたし、雪の量もすごかったので止まってしまっては埋もれてしまうことは容易に想像できた。
北海道の道路にはその端を知らせる矢羽根付きポールという矢印の標識がある。
ある晴れた日、職場の人が「吹雪いたら、ほんとなんも見えなくておっかないけど、矢印の内側を走っていれば大丈夫だ。」と話してくれたのを思い出して、ハザードをたいてひたすら矢印の内側を走ることに徹した。
途中、北海道開発局の頼もしい除雪車に何台もすれ違いながら、暴風雪のなかを雪を巻き上げなんとか家の前まで走りきった。
助手席の友人にとても怖い思いをさせてしまったし、「あぁ、なんてばかだったんだろう」と反省した。
それから自分で情報を集めて読み解くこと、Yahooの天気予報を鵜呑みにしないこと、天気図をチェックして荒天の予報があった時はその度合いを予想してみるようになった。
何人かに話をすると、「ね〜、あれほんと怖いですよね〜」とか「自分も横転するかと思いました〜」と、意外にもみんな一度は怖い思いをしたことがあるようだ。
とはいえ、あまりの危機管理の無さにこれはしばらく身内以外には言えないなと思っていたが、繰り返し喋るので、「もうその話5回目だから」とみなみちゃんに呆れられてしまった。
ここに書こうかどうかも数日考えたが、アイスバーン、ホワイトアウト、吹き溜まりや路肩の雪など悪条件下の運転とトラブルは道東に住まうのなら皆一度は通る道か、と敢えて記しておくことにした。
都会から地方へ
チェーン店がなくても平気
今更このことを書くのかという感じだが、弟子屈にはスーパー・ホームセンター・ドラックストアはあるがそれ以外のチェーン店はあまりない。
弟子屈市街からさらに大きい街に買い物に行く場合は、まず45分ほどの中標津か、70分ほどかけて釧路の二択が上がるだろう。
よって、回転寿司、ミスド、ケンタッキーなどは大概このどちらから密輸入(テイクアウト)される。あまり食べられないので嬉しい。
「釧路はすぐ近くだし、」と多くの人が話すがまだ私には随分遠く感じる。
同じ関東から来た協力隊のメンバーでも、ある人は美容院に行くためだけに、またある人はカラオケ店に行くためだけに釧路へ車を走らせている。
一方私は弟子屈にきてから半年近く美容院は行ってないし、カラオケやファストフード店にはもう行かなくなった。
意外と「なきゃないでいいや」というタイプなのかもしれない。
現地に行かないと出会えない品
4年ほど前、友達と川湯に遊びにいったことがあった。その時はKKRかわゆに泊まり、夜は川湯唯一のコンビニのセイコーマートへ散歩した。
今は慣れてしまったが、とにかく真っ暗なのでそれが非日常感があり楽しくてしょうがなかったのを覚えている。
通りかかった民藝香雪さんで「くまい」という名前の友達に面白いかなと木彫りの熊をお土産に買っていったことがあった。
その友人から、あの時の木彫りの熊を私も買いたいから繋いでくれと連絡があった。
ネット販売はやっていないので、私が代わりに買いに行くことにした。
お店に許可をいただき、テレビ電話で商品を見せる。
「その木彫りの熊を13個ください」
予想外の発言に私もお店の方も驚いたが、なんとか手配することができ、友人も(お店の方も)とても喜んでくれた。
ネットでなんでも手に入る世の中だと思っていたが、まだまだ「ここに行かないと買えないもの」は多いと気付かされた。
川湯アフター5が熱い
なんだか気分転換がしたいなと思い、職場から車を走らせ川湯温泉にいってみた。川湯にはいくつか飲食店があるので、好きなお店で1000円から2000円で好きな分だけご飯を食べる。そして欣喜湯、川湯観光ホテル、KKRかわゆの中から好きな温泉を選んでお風呂をいただくといった具合。
欣喜湯は正統派、川湯観光ホテルはサウナがあり、KKRは泉質が一番優しい。
スーパー銭湯などでサウナや岩盤浴に行くのが趣味の人も多いと思うが、弟子屈に住めば近隣の町を含め多種多様な最高の泉質の温泉を楽しむことができる。
家の近くでこんな風にひとり旅気分を味わえるなんてなかなか贅沢な環境だと思う。
楽しい指輪のお仕事
「結婚することになったんで、指輪つくってくれませんか?」
ついに、自分の唯一できるお仕事をいただいた。
以前、手作りやオーダーメイドの指輪をつくっていた経験を活かして、なにかジュエリーの仕事ができないかなぁと思っていたところだった。
実績を提示しないとと思っていたが、2人とも手放しで任せてくれた。
オーダージュエリーは、自分の手にあったサイズや幅感で作るのはもちろんだが、既製品にはないような二人にちなんだ要素を取り入れることができることや場合によっては自分で作ることが可能なのが最大の利点だ。
原型から手作りの指輪に、二人を引き寄せてくれた羅臼岳の刻印をデザインしてみた。
最近指輪をつくってほしいと声をかけていただくことが増えた。
ジュエリーというと大袈裟なイメージだが、私にとっては指輪は身に付けられるお守りみたいな感じだ。自分の好きなものをひとつ、着けるだけで気分が晴れる。
やっぱりこの仕事が好きだったんだと思う。
これから楽しい動きになりそうな予感だ。
指輪撮影:高橋志学さん(弟子屈町地域おこし協力隊)
1年前を思い起こして
この町でどんな風に生きていく?
3月も末、ひとり車を走らせていると随分と雪がとけて芝や畑の土がところどころ露出していた。
暖かい太陽のひかりは、飛行機に乗って面接に来た一年前のことを思い出させた。
叶えてしまえばなんとも思わなくなるとよくいうけれど、半年前は駐車もろくに出来ないほどのペーパードライバーだったのに、今は摩周湖と屈斜路湖二つの美しい湖にカルデラの山々に囲まれた道を走り抜けている。
特別だったものはあっという間に日常になった。
移住して半年が過ぎ、同年代を中心に友達の輪がどんどん広がっていくのを感じる。自分と同じように都市部から弟子屈への移住を決めた人は思いの外多い。
町の中に仕事も交友関係もある。
図らずも単独行動になりがちな自分の人生には、こんなに人と距離が近かったことはなかったかもしれない。
この町でどんなふうに生きていくか。
ただ弟子屈に住みたかっただけの私はここに来てからずっとその事を考えていて、その時間は段々と長くなってきている。