なにかが変わる弟子屈暮らし vol.16
東京都出身神奈川育ち。一度も地方に住んだことがないのに、好きなだけで阿寒摩周国立公園の町 弟子屈町(てしかがちょう)に住んでみた感想や実体験を綴ります。 自分の心の変化の記録ですが、北海道への移住を検討中の方々の参考となれば幸いです。
ボッタボタのボタ雪とベチャロード
12月22日。クリスマス寒波というものがきているらしく、大雪の予報が出た。
道東らしくない雪だった。
春先は気温が高くなり湿り気のある雪になるのだが、それよりもベチャベチャと水分を含んだ雪が降った。
気温が高いといっても完全には溶けないし、足もとられるし、中途半端に凍ってガチガチになってしまうのでこまめに除雪する。
シャーベット状の雪は滑りやすいのでみんな慎重に走る。雪を乗せた樹々はおばけのようだった。こんなに重いのも珍しいらしい。枝が折れたり細い木は倒れたりした。
結局、気温0℃で5日間降り続けた。
私は去年しか知らないけれど、雪の結晶がそのまま降ってくるようなサラサラとしたイメージだった。それとまた違う形だったが、やっぱり雪は雪。根雪となり、昨年よりも早めに銀世界となった。
何日も雪雲がまとわりついている様子は7月の長い梅雨空を思い出す。気候も変わってきているのかもしれない。ちなみに雪が降る前は-10℃を越える日が続き、かなり冷え込んでいた。
なので、見た目ほど寒く感じない。
ついに車がきた
再び中古車を購入した。
思いがけず可愛い車に出会い、奮発してしまった。
お金の使い方が変わったなぁと思う。
こっちの方が全然楽しい。好きな車に乗り、好きな曲をかけ、自分の運転で好きな場所に行く。最高じゃないか。
この車になってから鹿の群れに気がつく事が多くなった。今まで光量が足りなかったのか、それか車高の関係であまり視界に入っていなかったようだ。これまた恐ろしい話。
カーステレオの音域が広がった上、低音が大変よく響いてドライブがより楽しくなった。
運転の楽しさを教えてくれた前車、軽に感謝。
でもやっぱ馬力のある車は信頼感がある。
雪が続いた日、除雪がされてない急坂をあがろうとしたら、滑って上がれなかった。
さすがにこの子でもダメか。と思ったが、よくよく確認したらそもそも2WDで走っていた。せっかく賢い車に乗っているのにAUTOにするのを忘れていた。
年末前に帰省
この頃は宿泊業に携わらせてもらっている。
そういう訳で年末年始の前に帰省をすることにした。主に実家に帰ること、家族に会うこと、何人か友人に会うことが目的だ。
一日くらいは自分ひとりでウロウロするかと思ったが、大好きなフライドポテトを食べる、国立科学博物館に行く、地元の河原を歩く、隙間時間に歌広に行く。結局それくらいしかやることがなかった。
唯一行ったパタゴニアで「プレゼントでお探しですか」と声を掛けられる。第一声でそこまで客層を絞るなんて、どう見ても自分が着る物を探しているとは思ってもらえなかったようだ。久しぶりの街で、変なスカートで来てしまったことを反省した。
ちなみに私は厳寒期の阿寒摩周国立公園でマイナス15℃に耐えられる物を探していた訳で。
夕方の便で弟子屈へ帰る日も、上野の不忍池に行って手漕ぎボートに母を付き合わせ、バードウォッチングをした。もともとは銀座に行くつもりだったが、東京に数日いたら何かを購入したい熱はとうに無くなっていた。やはり都会が向いていないのかもしれない。とか言ってスカしてみるが、車を買ってしまった直後だったのでカードを切るのに気が引けているだけだろう。
16℃
思わずベンチに寝っ転がって日向ぼっこ。
誰か見てくるかなと思って、通行人をちらりと確認したが誰とも目が合わなかった。みんな他人には興味が無い。
横でシジュウカラが鳴いているが、いつも聞いている屈斜路の山のそれに比べて随分早口で細やかな囀りに聞こえる。
葉っぱが気になり、集めてみた。
待ち合わせしてた妹に見つかり、3歳みたいと言われる。この前まで2歳と言われていたのでどうやらちゃんと歳をとっているらしい。
Uberでピザとスタバでも頼みたいなと思ったが、「それをやるにはすこし寒いかもね」とやんわり言われ、そうか寒いのか。と気付いた。
前職ジュエリー業界の年上の友人にも会った。
一緒に働いていた期間は2年くらいだと思うが、鉱物・骨董・珈琲・温泉と趣味が似ていて、加えて北海道に住んでいたこともあり、何かと話が合い、且つ自分が考えていることを聞いてくれるお姉さんのような存在だ。
そういう訳で23歳くらいの時から何かと近況報告という名の相談をしている。その度にずっと「ウラちゃんは絶対に大丈夫だよ」と励まし続けてくれた。
「与えられたものをちゃんと活かせているね」と友人。
そんなにうまくできているつもりはない。
でも好きで続けてきたいろんなことは結び合ってぼんやり形になっていこうとしている。
それでもやはり目的地は設定するべきだし、無駄なことなんてないとかいうつもりはないが、「なにが繋がっていくのかはわからない」とは思う。
本当に不安だった時に、優しく手を差し伸べてくれた人の顔が浮かぶ。
心が折れてしまっては歩くことすらできなかったのだ。
「絶対に大丈夫だよ」
そう言い続けてくれた気持ちが今ならわかるかもしれない。