泣いた小説

 とある業界の片隅に、ひとつの小説が生まれました。小説はブンダンという秘密結社に入りたいと切望していました。ブンダンに入るためには、ブンダン婆(バア)という遣り手婆に紹介してもらわなければなりません。

 そこで「政治的に正しい小説です。どなたか紹介してください。すてきなSF的趣向や前衛的手法をとりそろえ、必要とあらば政権批判も致します」と書いた看板をサンドイッチマンのように体にとりつけ、ブンダン婆が現れるらしいと噂の街頭に夜な夜な立っておりました。

 しかし、彼を見たセンパイ小説やヒヒョーカたちは「おい、見ろよ。あの小説は物語と一緒だぞ。なんと野蛮で反動的なんだろう」とひそひそ声で交わし合うと、まるで武漢肺炎の患者を見た二月初めの欧米人たちのように距離を取り、「物語小説」「あらすじ読み物」「プロットの奴隷」などと口汚く罵って、ブンダン婆のところへ去っていきました。

 物語というのは小説と一緒に生まれた双子のかたわれで、二人は生まれてからずっと離れたことがありませんでした。

 小説はセンパイ小説やヒヒョーカたちの失礼な態度に怒り、身につけていた看板を投げ打って、悲しみに暮れました。

 物語は生まれてからずっと一緒の兄弟をたいへん心配しました。なぜならこんなにも絶望にうちひしがれた小説を見るのははじめてだったからです。物語は小説のために一計を案じました。

「ぼくがブンダン婆のところへ行って一暴れする。そこへ小説が出てきて、ぼくをやっつける。こうすれば、きっとブンダンも君を認めてくれるだろう」

 物語はこう言うと、しぶる小説を説得してもういちど街に出、二人今度は物陰に身を隠しました。見れば、センパイ小説たちが連れだってどこかへ歩いています。きっとブンダン婆のところへ行くのです。

 物語は「よし、あとをつけるぞ。君はぼくのあとから距離をとって遅れて来るんだ。いいね? 見失ってはいけないよ」と言うと、小説より先に駆け出しました。物語と小説が離れたのはこのときがはじめてのことでした。

 やがて、センパイ小説たちは一軒の狭苦しい店に入りました。物語はえいやとその店に飛び込みました。物語は少しも暴れる必要はありませんでした。センパイ小説たちは、店内にいる物語の姿を一目見ただけで狂気にとらわれ店内は大混乱におちいりました。ヒヒョーカたちは、普段の饒舌を忘れ、店の隅でぶるぶるふるえるだけでした。ブンダン婆がひしゃがれた汚い悲鳴をあげたと同時に、小説が店の中におどりこみました。

 物語の考えた計画は見事に成功しました。小説は物語を店内からたたき出し、ブンダンの一員と認められたのです。ブンダン婆はこの新人小説のとりこでした。小説は夜な夜なブンダン婆の店に集まって朝まで痛飲し、遅く起きてはセンパイ小説たちと一緒に世の中を憂い、ついったーやふぇいすぶっくで意見を開陳したりしました。

 小説にとって夢のような毎日でした。ただし、双子の物語のことはいつもこころの隅に引っ掛かっていました。あるとき、双子のことが気になって、もうすぐ昼になるというのに二日酔いで起き上がらないセンパイ小説たちを置いて、家に帰ってみることにしました。実にそれは数年ぶりの帰宅で、数年ぶりに酒を飲まない昼でした。

 日も暮れかけた頃、やっと業界の隅にたつ小さな我が家にたどりついた小説は、荒れ果てて空っぽになった家の中にもう変色してしまっている手紙を見つけました。

「小説くん、センパイ小説と仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくがまた君と一緒にいるところを見られると、君はまた「あらすじ頼みの読み物」とか「プロットの奴隷」だとか罵られ、せっかくの成功を失ってしまいかねません。それで、ぼくは旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。ぼくはどこまでも君の兄弟です」

 小説は黙ってそれを二度も三度も読み上げ、涙を流しました。

 

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