ジブリ「ゲド戦記」を100万倍楽しむ方法

(このノートは大昔にブログで発表したものを若干焼き直したものです)

地上波放映を記念して、ジブリアニメ「ゲド戦記」(2006年7月公開)を楽しむ方法をお教えします。

このノートは、ジブリ「ゲド戦記」が好きで楽しく観た方はスルーして頂いたほうがよいです(怒られるので (T_T))。
どちらかというと今までこの映画をまだ観ていない、映画を観たがよさが感じられなかった(というよりは嫌い)という方にこの映画のひとつの楽しみ方を提供したく書いています。 悪しからず。

映画自体の内容は下記参照ください。

序文

ジブリ「ゲド戦記」は、作品のできとして賛否両論(どちらかというと「否」意見が9割5分くらい?)あり、「なんだ! この作品は!!」
とケチをつけられることが多いようです。

一番最初に映画化されるとうわさで聞いた時はアーシュラ・K・ル=グイン の「ゲド戦記」シリーズ(本)が大好きだったボクは 単純にうれしく、「ロード オブ ザ リング みたいな作品にならないかな~」と無邪気でした。

アニメになると聞き、若干不安になりました。

そしてさらに製作中の様々なエピソードを見聞きして、暗澹たる気持ちになってきました。

たぶん観にいったら、「つまらない映画」 の筆頭だろう...
原作者の「真意」と大きくかけ離れた(逆の?)展開、ストーリーも とってつけたような ちぐはぐさ。

まれに見る「駄作」に違いない...

でも、、、 いろいろ調べているうちに、観る前からボクは ジブリ「ゲド戦記」制作エピソード の強烈なファンになってしまっていたのです...

ここまで ちぐはぐ になりながら、作品一本作ってしまう、その心意気。
その「個性的な作品」を、手を換え品を換え、売れ筋の商品にしたてていく、その手腕。

この作品が世に出ただけでも十分奇跡を感じます。

  そら~と君との間には~ ♪
  今日も冷たい雨が降る~
  君が笑ってくれるなら~
  僕は悪にでもなる~

ほら、聴こえてきませんか?  あのテーマ曲が...
そうなんです。 もう、涙がでてくるほど感動の 「プロジェクトX」 なのです...

ストーリーがちぐはぐでもいいじゃないですか、
絵がしょぼくてもいいじゃないですか、
原作とかけ離れててもいいじゃないですか、

だって、この作品は、
映画の製作過程を通じて、ひとびとに 笑い いや 感動を提供する、という
「世界初の 『メイキング・オブ』 エンターテイメント」
なのですから。

そう気づいたボクは、公開前から様々な情報を集めては楽しみ始めました。

そして、実際に映画を観にいって 本当に感動 しました。
だって、あのネタが、このネタが、実際に映画館のフルスクリーンで ところ構わず展開されるんですよ。
製作過程を含めてネタを提供する、本当にすばらしい作品 でした。

ジブリ「ゲド戦記」は制作側の背景も含めてすべてをエンターテイメントとして観なければ、その価値の 100万分の1くらいしか 楽しめません。

はじめてジブリ「ゲド戦記」を見る方へ。
これ以降の記事で、ちょっとでもエンターテイメントとして興味を持ってくれれば幸いです。

注記:
この記事の中では、スタジオジブリ製作の映画 ゲド戦記 を 『ジブリ「ゲド戦記」』 のように書きます。
だって、ボクはもともとの原作「ゲド戦記」が大好きだし、この本と ジブリ製作の映画がまったくの別もんだと思っているからです。
この映画の原作としてル=グインさんの本を紹介されるのは失礼だし、名誉毀損にもあたります。
ジブリさんにも「この本を原作にした」というつもりはなく、「この本をネタにした」のであって、本家 ディズニーランドと 中国 ディズニーランド くらいのつながりです。
この両者は 明確に 区分させてください。あしからず。

ということで、、メイキング・オブ エンターテイメントとしての ジブリ「ゲド戦記」について その見所をご紹介します。

これらのネタを知っているのと知らないのとでは、180度 映画の見方が変わってしまいます。


1.もともと 宮崎駿監督に作ってもらいたかった

これは有名な話。

原作者のル=グインさんは、世界中から熱烈なオファーがあったにも関わらず世界的なベストセラー 「ゲド戦記」の映画化には長らく消極的でした。

宮崎駿監督は昔っからの「ゲド戦記」ファンで、まだ世界的には無名時代の昔 ル=グインさんに映画化のオファーをしたひとりです。

オファーを出した30年前は、「ジャパニーズ アニメ」は世界でも認められておらず、 「ミヤザキ ハヤオ? シリマセ~ン、アニメ?、ソンナモノ ニハ シタクアリマセ~ン!」 とル=グインさんに却下されました。

その口惜しさをバネに 数々の名作をその後 生み出した宮崎駿監督ですが、 宮崎駿作品の根底には「ゲド戦記」の世界観がある、と言われています。

時は移り...

ル=グインさんは、宮崎駿監督を知ることになりました。
「となりのトトロ」です。

「天才だ! このひとであれば 『ゲド戦記』をきちんと作ってくれるはずだ!」

こうして、ル=グインさんから「もしまだ興味があれば、喜んで映画化の話しを進めたい」と 世界の宮崎駿監督に逆オファーをしたのです。

そして、それに喜んだ 宮崎駿監督が、今までの集大成としてこの「ゲド戦記」の映画に全精力を注ぎ込みました...

ということであれば、それ以降 まったく違った展開になったと思われます。 

しかし、なんと 宮崎駿監督 はそれを断ります

「ハウルの動く城」で忙しかったということにしていますが、一度断られた口惜しさも残っていたのかもしれません。

危うし、ジブリ「ゲド戦記」!

ただ、そこに救世主が現れます。

ジブリの名物プロデューサー 鈴木敏夫 さんです。

「せっかくル=グインさんがオファーをくれたのにもったいない!   『ゲド戦記』 ほどの大作を映画化するチャンスはそうそうない!
ここで ひと山 当てなければ... 」

そして、目をつけたのが、そこに「ボーっと」立っていた 宮崎吾朗さんという若者。

 吾朗さんは当時 ジブリ美術館の館長をして生計を立てていました。
もともと公園緑地などを手がける建設コンサルタントとして活躍され、ジブリ美術館設立時に 総合デザインのオファーを引き受け、そのまま初代館長に就任していました。

ごく普通の吾朗さんは、ごく普通の進学をし、
ごく普通に社会人になりました。
でも、ただひとつ違っていたのは、、、
吾朗さんのおとうさんは 宮崎駿監督だったのです...

いつのまにかジブリ美術館の館長にはなっていましたが、それまで「ジブリ」漬けの 生活をしていたわけでもありません。

アニメにもそれほど詳しくなく、映画もほとんど見ない この青年 が、 運命の糸に操られ、鈴木 敏夫さんに見初められたのです。

「監督は、吾朗ちゃんしかいない!」(by 鈴木プロデューサー)

かわいそうな吾朗ちゃん、 まるで

会社の豪腕No.2専務に、なぜか白羽の矢を立てられ、
社運をかけたプロジェクトのリーダーに指名された、
入社3年目のサラリーマンくん(しかも専門 違うし)

のようではないでしょうか。

しかも、大事なクライアント(ル=グインさん)が「ぜひ社長にやってもらいたい!」と依頼し、 宮崎駿"ワンマン社長"が「そんなプロジェクトはやらん!」と怒鳴っているのです...

そして、百戦錬磨のプロジェクト メンバに、何かにつけ 横から口を挟んでくる 専務(鈴木P)。

世間からも注目され、マスコミからも取材の依頼がきます。

「ボクは、これからどうなるの???」

もう、これだけでも「目がウルウル」してきませんか?

そうなのです。

もともとこの作品は 宮崎駿監督 に作ってもらうハズだったものが、
大人の事情で ピンチヒッター 吾朗ちゃん が登場することになった、
涙なくしては語れない物語なのです。

そして、ここから全ての歯車がバラバラに動き出すのです...

文中で 「宮崎駿監督」と書いていますが、これはクセみたいなもんで、ジブリ「ゲド戦記」の監督は 一応 宮崎吾朗 さんです。 お忘れなく。
愛着を込めて「吾朗ちゃん」と呼ばせていただきます。
この物語の主人公です。


2.鈴木プロデューサーの暗躍、、、そして洗脳

息子の吾朗ちゃんの突然の監督起用に、宮崎駿監督は当然納得しません。

「あいつに監督ができるわけないだろう。
 絵だって描けるはずないし、何も分かっていないやつなんだ」

自分が見初めた彼女からそっぽを向かれ、それをバネにがんばって財をなした親父。
その息子が、「見合い」で初恋の彼女の娘さんを紹介されているのです。

メラメラとした嫉妬が見えるようです。

当然、ル=グインさんも納得しません。
だって、あの 宮崎駿監督 だからこそ映画化を受け入れたのです。

そこで 鈴木プロデューサーは考えました...

なんと、ル=グインさんへの挨拶に、吾朗ちゃんではなく 宮崎駿監督 をアメリカまで 連れて行ったのです(もう意味わかりません 笑)。

こうなると 宮崎駿監督も人の子、昔 好きだった彼女を前に、 当時描きしたためていた「ゲド戦記 LOVE満載 スケッチ」を見せて  

「オレさ~、中学んとき ル=グインちゃんのこと、好きだったんだぜ~。
 知ってた~?  気付いてた~?」 

的なことをル=グインさんに告白します。

そして「いい作品にする」ことを約束するのです。
(正確には、宮崎駿監督が「スクリプトに責任を持つ」)

このへんのくだりは、同窓会でよっぱらいオヤジが初恋の彼女に言い寄る姿に通じるものがあります。

こうして、鈴木プロデューサーの思惑通り、 ル=グインさんの承諾も得られ、宮崎駿監督もこっち陣営に取り込むことに成功しました。

あとは、しろうと監督の 吾朗ちゃん を 話題の監督 に仕立て上げ、作品への期待のボルテージを一気に高める 仕事が残っています。

これは大変そう...

ここから、鈴木プロデューサーの怒涛の「全方位マインド コントロール」が始まるのです。

様々なインタビューのセッティング、たぶん 吾朗ちゃんが話す内容は鈴木さんがコントロールして いたのでしょう。
それらの記事がネット、新聞、雑誌 を席巻します。

ときには「裏話」も暴露し、それがまたネットで話題となり、更に露出が増え...

徐々に、メイキング・オブ エンターテイメントの技法 が確立されていきます。


3.操り人形の苦悩

吾朗ちゃんは 「普通のひと」 です。

宮崎駿監督のこどもとして生まれた とは言え、

・ロリコンと言われるほどの 女の子 への思い入れもなく、
・その理想の 女の子 が描けるわけでもなく、
・アニメへの造詣が人一倍深いわけでもなく、
・自分の作品へのこだわりが周りのひとを圧倒するわけでもなく、
・そのこだわりで周りのひとを動かせるわけでもなく、 

「普通の自分」を自覚していました。

監督になることが決まってから一年間も、「自分は何を言いたいんだというのが、今一つつかめない状態が続いていた」吾朗ちゃん。

そりゃそうだと思いますよ。

会社で急に 「このプロジェクト、お前 担当ね」とだけ言われた状況そのものです。
しかも そのプロジェクトに 先輩(宮崎駿監督)ほどの思い入れもないんですから。

はじめてアニメをやって、はじめて監督をやる、ってだけでも、ものすごいプレッシャーだと思います。

それが、

「世界のジブリ」で、
「世界のゲド戦記」で、
「世界の宮崎駿監督の息子」で、
「一流のスタッフ」勢揃い

なんですよ。

ボクだったら、ションベンちびります。
ええ、確実にちびります。

自信満々で、「そんなチャンスがあれば、ぜひ任せてくれ!」というひとは世の中に沢山いるでしょう。
ボクも自分に自信がある仕事であれば、それをチャンスだと思えるかもしれません。

でも 忘れはいけないことは、吾朗ちゃんは「公園緑地などを手がける建設コンサルタント」が専門で、 アニメに詳しいわけでもなく、映画が人一倍大好きだったわけでもない、ということです。

そんなひとにとって「アニメの映画監督」がチャンスと感じられるわけありません。 確実に、チビリます。

「そんなら、監督を引き受けなければいいじゃないか!」とお叱りを受けるかも しれません。 

そうです、おっしゃる通りです。
もし、吾朗ちゃんがそうできていれば 「この物語」 は違う結末を迎えられたでしょう。 

でも、ひとってそんなに 強い ですか?
吾朗ちゃんって そんなに弱いですか?

いやぁ、逆にボクは 吾朗ちゃんの人間としての強さ を感じずにはいられません。

時代に翻弄され、流されながら、時代を生き抜いていく したたかな一面。
しかし、その裏には 太宰治 にも通ずる 圧倒的な 虚無感...

吾朗ちゃんのインタビューやブログ(「監督日誌」として公開)を読むと、 その苦悩が垣間見えます。

「監督日誌」に綴られる「ゲド戦記」の本への造詣は、(こう言っては失礼ですが) ボクの記事程度、巷によくある読書感想ノート程度の ”感想文”です。

吾朗ちゃんのブログに、

・偉大なクリエーターが持つ特殊な「嗅覚」
・強引にでも自分の持つ世界観へ引っ張り込む「吸引力」
・それを昇華させ人々を魅了させたいという「自己顕示欲」

は、まったく感じられません。 

あくまでも普通のひと、です。

それが悪いわけではありません。
吾朗ちゃんは、きっと友達になったら すっごくいいヤツ です。

ただ、時代に翻弄され、「監督になってしまった」 ための悲劇なのです。

そんな吾朗ちゃんのインタビューなどで頻繁に出てくる名前があります。
あの「鈴木プロデューサー」の名です。

ジブリインタビュー(前編)
監督・宮崎 吾朗が生まれるまで
―― 就職してからは、公共造園の仕事をなさっていたとか。辞めようと思われたのはなぜですか?

宮崎吾朗監督:

会社に入った頃は景気も良くて仕事もたくさんあったし、「何かをつくるのは良いことだ」と思っていました。
でも、だんだん疑問を感じるようになって。
       (中略)
「何をやっているのだろう?」とむなしくなりましたね。
誰も喜ばないなら、つくらないほうがマシじゃないかと。
そんなジレンマを抱えているときに、鈴木敏夫プロデューサーに釣られた わけです(笑)。

―― それで会社を辞めて、三鷹の森ジブリ美術館の立ち上げに関わったわけですね。美術館と公園は、ちょっと通じる部分がありそうです。

宮崎吾朗監督:
ありますね。美術館の仕事をすることに決めたのは、候補地が井の頭公園だったのも大きかったです。相手の顔がちゃんと見える形で、公園の延長にあるようなものがつくれそうだと思ったん ですね。
ただ、予想外のこともあって。
鈴木プロデューサーに誘われたときは「ジブリには建築関係についてわかる人がいないから、そういうことを中心になってやってくれる人がほしい」と言われたんですよ。
それで、建築は僕の本来の守備範囲ではないけれども、大概のことはわかるだろうということで来てみたら、「そのために会社をつくるから、社長やってね」と。
「えーっ、そんな話聞いてない!」って(笑)。
CAHIERS DU CINEMA 宮崎吾朗インタビュー(2) 
― スタジオ・ジブリの偉大な戦略家、鈴木プロデューサーとのやりとりや対話はどんな感じだったのですか。

宮崎吾朗監督:
私にとって映画を撮ることは初めてで、私は鈴木さんの誘いに応えました。 私には具体的な経験がなかったので、具体的な問題があるといつも彼に聞きました。
彼は各段階をどのように踏んでいくかを説明してくれました。
彼がいなかったら映画を撮れなかったでしょう。
彼がいなかったら、映画を撮るという具体的なイメージすら持つことができなかったでしょう。
MovieWalker 【合同インタビュー】
宮崎吾朗監督&鈴木敏夫プロデューサーが語る
ファンタジー大作「ゲド戦記」が出来あがるまで

宮崎吾朗監督:

脚本を鈴木プロデューサーに読んでもらったら、『アニメーション映画なんだから絵でないとわからん!絵コンテにしろ』 と言われ、絵コンテを描いたことがないと相談したら、『マネすりゃあいいんだよ』 という答えが返ってきた。
そこで、宮崎(駿)作品、高畑作品の絵コンテ集を机に積み上げ、シーンごとに参考になる絵を探しながら描いていきました。で、絵コンテを見せたら今度は、『絵コンテじゃわからん!』 と(笑)。
それで絵コンテをもとにライカ・リール(絵コンテでの仮撮影)を作成しまして、作っていく過程で、1カットの長さの感覚とかカメラの動きなどを掴んでいきました。
    (中略)
最初は、狂った王に殺されそうになった主人公が、母親の手で逃がされるというスタートにしようと思っていました。
それを鈴木プロデューサーに話したら、『吾朗君を投影しすぎ』 と言われ、『(父親を)刺しちゃうんだよ』 という答えが返ってきたんです。
その時は驚きましたけど、すごく納得がいったんです。
僕が知っている若い人たちが持っている感覚に、そのシチュエーションがぴったりとハマった。※
(※個人的には、ここも大いに突っ込みたいところではありますが、本題と離れるため泣く泣く省略します)
監督日誌 「前口上 父は反対だった」 より 
『ゲド戦記』の宣伝が開始されれば、好むと好まざるとに関わらず、それを監督する私に「宮崎駿の息子」という形容詞が冠されることは容易に想像がつきます。
これに対して鈴木敏夫プロデューサーの出した結論は、「作品そのもので応える」ことはもちろんだが、「作品そのもので勝負するためにも、『宮崎駿の息子』ではなく一人の人間としての宮崎吾朗を知ってもらうべきだ」というものでした。
いろいろと悩んだ末、私もこの考えに同意しました。

もう、ジブリ美術館の館長になるところから、監督になること、映画の作り方、映画のプロット、 そして 宮崎親子をネタにしての宣伝まで...

いたるところ、「鈴木」、「鈴木」、「鈴木」 です。

しかも、吾朗ちゃんが監督なのに「答え」や「結論」を出しているのは鈴木さん。
そして、それを素直に受け入れる吾朗ちゃん。

思い当たります...
よく会社で、上司から「お前の仕事なんで、オレにはアドバイスしかできないけどさ~」と、決定稿が降りてくる、あれです。

親殺しも鈴木さんのアイデア。 それをネタに「宮崎駿と吾朗ちゃんの確執」までも宣伝に使う。

どんな作品も「売れ筋の商品に仕立てていく」その手腕には、勉強されられます。

そして、極めつけ。

東宝 ゲド戦記 プロダクションノート
「テルーの唄」の誕生
映画「ゲド戦記」の制作が始まってまだ間もないある日、鈴木敏夫プロデューサーはヤマハ音楽振興会の秋吉圭介から、1本のデモテープを手渡されました。
歌っているのは、手嶌葵という18歳の女の子。
一曲目は、偶然にも、鈴木がこれまでの人生で最もよく聴いた曲という「ローズ」(The Rose)。
一聴、すばらしい声でした。純粋で、せつなくて、どこかなつかしい。
ヒロイン・テルーの気持ちにぴったりだと直感しました。
そして、聞きながら、学生のころ覚えた萩原朔太郎の「こころ」という詩 を、何十年ぶりかに思い浮かべました。

 こころをばなににたとへん
 こころはあぢさゐの花
 ももいろに咲く日はあれど
 うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて……

鈴木はすぐさま吾朗監督を呼び、この曲を聴かせました
以心伝心、吾朗監督もそれを聴きながら、テルーのことを思います。
聴き終えた後、鈴木は吾朗監督に「ゲド戦記」のテーマソングの作詞を依頼しました。
とまどう吾朗監督。そこで鈴木は、「こころ」を暗誦してみせます。
そしてなんと、その翌日、吾朗監督は「テルーの唄」の詞を完成させたのです。
さらに、その10日後には、谷山浩子の曲にのせて手嶌葵の歌う「テルーの唄」がジブリに届けられました。

すてきな関係...

完全に頼り切る吾朗ちゃんと仕切る鈴木プロデューサー。

「作詞って? どうすればいいの???」 と涙目になる吾朗ちゃんに、
「この歌をちょいっと もじれば いいんだよ」 と諭す鈴木さん。

「えっ、それって問題にならな...」、
「何を野暮なことを! そんなの昔からみんなやっていること! 監督がそんなことでどうする!」
「そっ、そうですか...」
「うい うい、 おぬしのそんなところが かわいい のじゃ...」
「あれっ! お代官様~」

... 脱線しました。

というか、このエピソードを 東宝の正式なサイト で紹介していること自体もすごいです。
もう完全に、「メーキング・オブ」エンターテイメント を狙っています!

脚本をどうするかで吾朗ちゃんが悩んでいたときにヒントになったのは、人づてに聞いた 宮崎駿監督の言葉でした。

「シュナの旅」をやればいいんだ!(by 宮崎駿監督)

「シュナの旅」とは、宮崎駿監督がその昔 ゲド戦記 に恋をしていた当時に書いた絵本で、 ゲド戦記の世界感がベースになっているそうです。

その昔渡せなかった 恋文 を息子に託し 「これを参考に、デートに誘ってみろ」 と ちょっとテレながら 諭すおとうちゃん。

素直な息子は、「この話をベースにし、そこに『ゲド戦記』の要素を取り込む」 ことで ジブリ「ゲド戦記」を作り上げました。

この 「人づてに聞いた」 というのも怪しく、 ボクのような ゲド戦記製作エピソード マニア から見ると これだけで 鈴木さん のニオイがプンプンします。

もう、吾朗ちゃんの監督としての 「意志」 は微塵も感じられません。

完全なる 操り人形 状態...

ゲドにも通ずる 人間として生きる苦悩...

これこそ、作品を通じて 吾朗ちゃんが身をもって伝えたかった ことではないでしょうか。

さて、吾朗ちゃんはどうなるのでしょうか...


4.吾朗ちゃんの内に秘めた決意

そんな胃が痛くなる状況の中、吾朗ちゃんは 「とにかく言われるまま前に進もう」 と決意します。

自分の才能を誇示することもなく、
自分の才能を信じるわけでもなく、
周りの雑音で潰れるわけでもなく、
鈴木プロデューサーの意向にそうように、
そして、なんとか映画として公開できるように。

たしかに 「前向きさ」 はありません。 

「もっと戦え!」、
「自分の作品という誇りはないのか!」、
「このままで済むと思っているのか!」、

そんな周囲の期待、雑音も当然あったことでしょう。

でも、吾朗ちゃんには、「つぶれない/つぶされない」 という確かな決意 があります。

それこそ、吾朗ちゃんが長年 培ってきたもの なのです。

信州百科 | 信州大学第5回
映画監督 宮崎吾朗氏(農学部卒)  (2006年9月30日)
―― 造園デザイナーを目指したのは?
公園をつくる仕事は 誰にも迷惑をかけない、喜ばれる仕事 だと思ったからです。 嫌われるものを作るのではなく、喜ばれるものを作ることにかかわりたいと思ったのがきっかけです。
映画や芝居を観た時のように、豊かな気持ちになれる「空間」をつくりたいと思っていました。
それが、どれほど難しいことかは、後になって思い知りましたが。
   (中略)

―― 社会人・家庭人としてどうありたいですか?
「理想を失わない現実主義者」でありたい と思っています。

―― これから先の夢や計画は?
人生に対する計画性が欠如しているようなので反省しています。
が、それでも良いかと最近思っています。
大事なのは、幸運の女神の前髪を掴む反射神経ではないかと。
夢はいつか信州に戻ることかな? いつか信州大学で雇ってください (笑)

ジブリ「ゲド戦記」監督として 凱旋 の意味もある、出身の「信州大学」のインタビューで、「計画性がないのを反省」してるけど「それでもいいか」、 そして「信州大学で雇ってください」ですよ。

ボクは「雰囲気に飲まれる」タイプなので、「大学の後輩に向けてのメッセージ」なんてあったらバンバン 格好をつけて しまいます。

ええ、もう 恥ずかしいくらい、カッコつけます ね。

吾朗ちゃんは、「空気を読まない」 ことに長けています。
空気が読めたって、無駄です。

特に、ジブリ「ゲド戦記」の監督としての重圧がある中で、
日本中 いや 世界中の 「作品を期待するひとの空気」 を ちょっとでも読んでしまったら、もう自殺するしかありません。

「自分には、その才能がない」と知っているんですよ。

もう「貝」になるしかありません...

吾朗ちゃんには「作品を作る才能」はないかもしれませんが、天から与えられた「空気を読まない才能」がありました。

これこそ、ジブリ「ゲド戦記」を完成させる上で なくてはならない 資質 だったのです。

CAHIERS DU CINEMA 宮崎吾朗インタビュー(1) 
― 最初のドラゴンの戦いのシーンは全く宮崎駿のスタイルの中にはありませんが、 あなたはより現代的なものを撮らせてもらえたということでしょうか。 あなたはあるシーンを強引に挿入するために喧嘩したりしましたか。

宮崎吾朗:

私は初めドラゴンも魔法使いも望んでいませんでした。
私は とても控えめなものを望んでいました(笑)
映画にはそれが不可欠だと強調したのはプロデューサーの鈴木さんです。
私は実際、映画の中のあちこちで違った試みをしました。それには満足しています。私が控えめなものを望み、それを正当化すれば、やらせてもらえたでしょう。
しかし、私はプロデューサーと喧嘩しませんでした
反対に彼を大変頼りにしました。
全国書店ネットワーク e-hon
スタジオジブリ最新作アニメが誘う
現代ファンタジーの原点『ゲド戦記』の世界
―― その他、『ゲド戦記』の製作中に触発された本はありましたか?

同時期に読んでいたのが、ローズマリー・サトクリフでした。『第九軍団のワシ』とか『夜明けの風』とか。
それを読むと、ものすごく自分の中のテーマと繋がって共感したんです。
要するに自分のためにではなく、ある種の自己犠牲をともなう中で、最終的に人のためになる行いをなす、ということですね。
もしかすると、本当は僕はこっちの方がやりたかったのかもしれません(笑)。

監督の思う作品にならなくても我慢し、それでも作品を完成させるという 自己犠牲 の精神。
たぶん、吾朗ちゃんは思っていたはずです...

「何で自分が監督なんだろうな~?
 もう、鈴木さんが監督っていうことでも いいのにな~」

はじめから「自分の作品」という思い入れもありませんでしたが、 最後まで「自分の作品」ではありませんでした。

それでも監督を続けます...

吾朗ちゃんは、一度決まってしまった路線は乗り換えないのです。
惰性でも何でも、とぼとぼ進んでいく「強さ」を持っているのです。

一般的に、「押しの強さ」や「意思の強さ」、「ポジディブな強さ」が もてはやされる世の中ですが、 闇を抱える現代社会において、「弱くてもいい」と言える この吾朗ちゃんの「強さ」も重要ではないでしょうか。

吾朗ちゃんの人生テーマ(ボクの分析):
・自己犠牲の気持ち
・穏やかな暮らしが好き
・葛藤、争いが嫌い
・頼まれると断れない
・たいていのことは我慢
・惰性で生きる
・人生のほとんどは たいした意味はない
・自分は大して重要な存在ではない

そして、
・目に見える反発ではなく、何もしないことで抵抗する

と~っても「ネガティブ」です。 なかなか声を大にして言えません。
でも、たおやかで 折れない「強さ」がそこにはあります。

少数派で、ポジティブなひとに 利用されやすい性格ですが、世の中のひとが全部 吾朗ちゃんだったら「世界で争いは起こらない」と思います。
(まあ、「文明も興っていない」と思いますが...)

この状況下で、この映画を完成させる、という 稀有な才能 を遺憾なく発揮した吾朗ちゃん。
吾朗ちゃんでなければ、この作品は完成しなかったでしょう。

ジブリ「ゲド戦記」が公開された当時、観たひとの感想で

「これだったら、俺が作った方がいい映画が出来た」

という言葉を聞きました。

断言します...

「あなたが監督だったら 潰されていて、完成していません!」

と。

まあ、完成した方がよかったかどうかは賛否ありますケド。

こうして、時代の ひとつの才能が開花したことで ジブリ「ゲド戦記」は完成したのでした。


5.完成した作品

ここまででお分かりのとおり、この作品は、

「妥協を許さず、才能と才能がぶつかりあった血と汗と涙の結晶」

ではなく、

「紆余曲折は沢山ありました。もうダメかと思うことも多かったです。
それでも完成 しました」 

です。よとよち歩きのこども を急に自転車に乗せて走らせて、どこまで走れたかを試したのであって、 世界最高峰自転車競技 ツール・ド・フランスではないのです。

この作品についての突っ込みは、Yahoo!映画の「ゲド戦記」レビュー(リンクはこちら )などに 沢山載っています。 もう笑ってしまうくらい、突っ込みどころ満載 です。

でも、このノートではあえて作品の突っ込みどころについては解説しません。

ジブリ「ゲド戦記」は、その製作過程での楽しみが 主 なのであって、その結果、完成した 映画 そのものは、排泄物(失礼!)だからです。

うんち をバカにしているわけではありません。
うんち もとっても大事なものです。

ただ 100万倍楽しむためには、「そのうんちが何で出てきたのか」 という観点で 鑑賞する必要があります。

・食ったものがまずかったのでしょう。
・お腹をこわしていたかもしれません。
・あるいは辛すぎたんでは?

その うんちうんち だからといって 単に批判してもおもしろくなりません。 それだったら観ない方がまし。

うんちうんち としての楽しみを見出して 鑑賞してみてください。

実際に痛烈に批判したいところが沢山見えてくるかもしれません。

そのときは、

「あぁ、ここで鈴木Pのごり押しがあったのか!」と邪推したり、
「吾朗ちゃん、ここまで適当 だとやりすぎだよ~」と突っ込んでみたり、
「この作画崩壊っぷりでもOKを出す吾朗ちゃんって、ある意味すごい!」
と感心してみたり、

いろいろな方法で楽しめますよ。

そして、駄作だと非難が集中していたジブリ「ゲド戦記」は、 みごと 「メイキング・オブ」エンターテイメントという新しいジャンルを切り開き、 結果的に 2007年映画興行成績の邦画No.1に輝いています。

まさに、

「無から有を作る」

錬金術です。

その裏には、鈴木プロデューサーの姿が...

批判をしているひとも、マスコミも、吾朗ちゃんも、宮崎駿監督も、ル=グインさんも、ボクも、 みんな 「鈴木劇場」の観客だったのでしょう。

次のジブリ作品では、、、、

 あなたが 監 督~

かもしれませんよ。


跋文

最後に、、、
「ゲド戦記」作者 アーシュラ・K・ル=グイン さんの、この映画に対するコメント。 これは外すわけにはいかないですね。

ゲド戦記Wiki
ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者のコメント全文
ル=グインさんコメント(はじめに):
映画スタジオが自著をどのように扱うか、口出しのできる作家はほとんどいません。一般に、契約書に署名してしまえば、著者はもう存在しないも同然です。「監修者」などの肩書きに意味はありません。
ですから脚本作家以外の作家に、映画の出来についての責任を問わないでください。
著者に「どうしてあの映画は……」と質問してもむだです。
著者も「どうして?」と思っているのですから

ル=グインさん、めっちゃ怒ってる 笑。

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