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残念な投資家たち~私はこれで大損しました ④ 消えた靴磨きの少年の夢


ウォールストリート・ジャーナルを読みながら・・

 1929年夏、その少年はニューヨークの証券取引所の前にいた。名前はパット・ボローニャ、ウォール街で働く人々を相手に、靴磨きをすることで生計を立てていた。
 パット少年は客待ちをしている間、ウォールストリート・ジャーナルに目を通していた。靴磨きで得たわずかばかりのお金を株式に投資していたパット少年だったが、その額は瞬く間に膨れ上がっていた。取引所にやってくる証券関係者の靴を磨いている間に、さりげなく「特別な情報」を聞きつけては、近くの公衆電話から注文を入れていたのだ。
「黄金の20年代」と呼ばれる空前の好景気を謳歌してきたアメリカでは、株価も天井知らずの上昇を続けてきた。1921年から29年までの間に、GNPは年平均4%のペースで45.6%も増加、物価は安定し、賃金も上昇、ダウ平均株価は4・5倍になった。
 この年に大統領に就任したハーバート・フーバーは、「私はわが国の未来に何の不安も抱いていない。未来は希望に満ちている。」と、高らかに就任演説した。著名な経済学者アーヴィング・フィッシャーも「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」と宣言する。一般の人々のみならず、専門家たちも強気に包まれる中、パット少年の株式投資も大成功し、自信満々の毎日を送っていたのだ。

謎の紳士の登場と「暗黒の木曜日」

「相場はどうかね?」 いつものようにウォールストリート・ジャーナルを読んでいたパット少年の前に、一人の紳士がやってきた。「上がっています。上がる一方で・・・」と、靴を磨きながら答えるパット少年。「そうかね、君は儲けたのかい?」と紳士がいうと、「もちろんです。お聞きになりたいですか?」ともったいぶった後で、「石油や鉄道をお買いなさい。天井知らずです」と、得意げにアドバイスしてきた。
 これを聞いた紳士はこう思った。「靴磨きの少年でも予想のできる株式市場は、自分のやるべき株式市場ではない」と。
 紳士の名前はジョセフ・P・ケネディ、ウォール街を代表する大投資家だ。このときすでに、巨万の富を築き上げていたジョセフだったが、株価の天井が近いのではないか?という予感を持ち始めていた。経済指標を詳しく見ると、景気に陰りが見えていたからだ。
「もう、売り時ではないのか・・・」と思うものの、大統領も経済学者も強気、熱狂と楽観が続く中にあって、なかなか決断できずにいたのだ。しかし、パット少年との会話によって、ジョセフの「予感」は「確信」に変わった。そして、株式を一気に処分し始めたのである。
 その直後に、株式市場は崩壊した。1929年10月24日の「暗黒の木曜日」を契機に株価は暴落、1932年7月にはピーク時の10分の1になってしまった。  
 自信満々だったパット少年も財産の大半を失った。暗黒の木曜日、いつもと同じようにウール街で靴磨きをしていると、群衆がパニックに陥り、警官隊が出動する事態となった。大慌てで手持ちの株式を売ろうと、パット少年も公衆電話に飛びついたが手遅れだった。5000ドルだった株価は、すでに1700ドルに落ち込んでいた。靴磨きの少年の夢は、はかなく消え去ったのである。
 こうした事態はパット少年に限ったことではなかった。株高が永遠に続くと信じていた投資家たちの多くが破産に追い込まれ、自殺者も相次いだ。
 この頃、ニューヨークではこんなジョークが広がっていた。ホテルを訪れた客に、フロントがこう尋ねているというのだ。
「眠るための部屋をお望みですか?それとも飛び降りるための部屋ですか?」と。
 その一方で、ジョセフ・ケネディは無傷だった。パット少年との会話をきっかけに、株式を処分していたからだ。それどころか、暴落の過程で空売りに出たことで、その資産はさらに膨れ上がったのである。
「最高値まで頑張り通すのはバカ者だけだ。今は間抜けどもが残していったかけらを拾う時をまっているのだ」 こう豪語したジョセフは、その財力を元に政界に進出し、やがて息子を大統領にしようと画策する。その野望は見事に実現した。ジョセフの二男こそ、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディだったのである。

本当に残念だったのは・・・

 株式投資で大損をしてしまったパット少年は、その後どうなったのだろうか?彼は靴磨きの仕事を地道に続け、やがて家庭を持ち3人の子供を育てあげ、堅実で幸せな人生を全うしたと伝えられている。 
 パット少年とは対照的に、株式投資で大勝利を収め、政治の世界でも野望を実現したジョセフ・ケネディ。しかし、その晩年は不幸の連続だった。
 二男のジョンは大統領在任中に暗殺された。その後を継いで統領選に挑んでいた三男ロバートも、選挙運動中に暗殺されてしまう。
 自身も1961年に脳梗塞で倒れ、失語症と左半身麻痺となる。ロバート暗殺の知らせを、病院のベッドで聞いたジョセフは、涙にくれたという。最後の望みをかけていた四男のエドワードも、飲酒運転で事故を起こし、同乗者を救護せずに死亡させたというスキャンダルで、大統領への道を断たれる。この2ヶ月後、ジョセフは失意の中でこの世を去ったのだった。
 パット少年は株式投資家としては、残念な結果しか残せなかった。一方、ジョセフ・ケネディは、大成功を収めることができた。しかし、人生の最後は哀しいものだった。本当に残念だったのは、どちらだったのだろうか。

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