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四十八文字の話『キ』 北関東人が出会った「奈良吉野町」より②

次の日の朝、旅館をチェックアウトし、その日の目的地に向かいました。

目的地は「吉水神社」。

この吉水神社、何と南北朝時代を描いたあの軍記物「太平記」にも登場する神社です。
お恥ずかしい話、この吉野に来るまで私はその存在を知りませんでした。ですが、ガイドブックを読むと中々面白そうなので、今回の奈良旅行の締めくくりにしようと思った次第です。


⚪「吉水神社」

神社に着き拝殿にて参拝をさせて頂いた後、少し右奥の方に有る書院 ( 宝物館 ) に行きました。
何やら苔むした雰囲気の宝物館でしたが、後で確認したところその宝物館の建物自体が『重要文化財』だそうで。
( 失礼しました )

受付に人は誰もいなかったので拝観料を料金箱に入れて入場。相変わらず他には誰もいない様子でした。

普通、宝物館の展示物は、その寺社自体の歴史に関する物、その寺社が保存している仏像、神様を象った彫物、などを展示しますが、ここの宝物館は全く違っていました。

日本歴史のポイント、「肝」( きも❗) の部分を通史的に網羅して展示してあります。


例えば
○平安時代末期、源義経 ( みなもと よしつね ) が京の都を追われた後、一時吉野に潜伏しましたが、潜居したその場所がここ「吉水神社」。
➡️ 潜伏していた部屋、弁慶の部屋を展示。

○室町時代初期、武家側からの圧迫により『後醍醐天皇』は京の御所をお離れなり吉野に潜幸なされましたが、この地に本格的な「御所」( ごしょ ) が出来きるまでの間、仮の御所、いわゆる「行宮」( あんぐう )で暮らしてました。
その場所がここ「吉水神社」。
➡️ 『後醍醐天皇』の「玉座 ( ぎょくざ ) の間」を展示。

○安土桃山時代、太閤秀吉は吉野の山で大花見会を催しました。
そして太閤が吉野の桜を愛でるため設けた花見用の本陣がここ「 吉水神社」。
➡️ 「本陣」の場所を展示。

○江戸時代、「大日本史」編纂作業のため吉野を訪れた御三家水戸藩「佐々木宗淳」(ささき そうじゅん : 皆さんご存知の時代劇「水戸黄門」のスケさんです ) や「本居宣長」(もとおり のりなが :「古事記伝」の著者)」の、現代風に言うならば「自筆サイン」を展示、等々。


ハァ~、イヤハヤ、本当に圧倒されました❗

失礼ですが、こんな山奥にこんな素晴らしい宝物があるのか❗と感服しました。

でもこれで話は終わりではなく、この後でここの神社の関係者とおぼしき方とまさか一時間程の「立ち話」をするとは全くお思いもしてませんでした。


⚪ある出会い

宝物館から出るとたまたま神社の関係者の方、と思える方と出会いました。

この宝物館に感激していた私はホントに感謝の言葉を伝えようと、「この様な素晴らしい品々を見せて頂き有難う御座いました」とお礼を言いました。
するとそれに反応したその方、「いえ、こちらこそ、有難う御座います」と返して頂き、それで終わりかと思いましたが、この方、私の言葉に気分を良くしたのか?、それとも参拝客がいなくて暇😁だったのか?、私に色々と話し込んできました。

最初は感謝の言葉だけでしたが話がドンドン弾み、神社の由来や歴史などの範疇 ( はんちゅう )を遥かに越えて、現在日本の社会問題 ( 荒んだ教育や学校、政治汚職など ) や経済、政治などに関するご自分の思い、考えを語り始め、私もその方の話に聞きながら、自分の意見を述べる展開となっていきます。

( 続く )


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