見出し画像

四十八文字の話『二』「日本のいちばん長い日」の様に、ウクライナ紛争は解決できないかな?

皆さん、皆さんの中にも、かつて公開された映画「日本のいちばん長い日」をご覧になった方々も多い事でしょう。

昭和四十二年(1967 出演:三船敏郎)、そして平成二十七年(2015 同:役所広司)にも制作公開されています。私は、最初の方、三船さん出演の映画の方を観た事が有ります。TVの映画番組でしたが。



画像1

画像2


何せ大昔に観たので全部のシーンを憶えているわけではないですが、一番印象的だったのが、俳優「黒沢年雄」さんが演じた「畑中健二」少佐です。 ( 平成二十七年の映画では、松坂桃李さん)

八月十四日から起きた「クーデター未遂事件」の首謀者の一人ですが、正にあの当時の【帝国軍人】、日本が絶対負けるわけない!、と骨の髄まで信じ切っていた陸軍将校の姿を鬼気迫る演技で演じていたシーンに、まだ幼かった私も圧倒されてしまった事を憶えています。


⚪昭和四十二年「畑中健二」少佐 (演: 黒沢年男)

画像3

画像17

画像18


⚪平成二十七年「畑中健二」少佐 (演:松坂桃李)

画像14

⚪実際の畑中少佐は、純朴な文学青年だった様です。軍人になっても、「歴史学の泰斗(たいと)」と称された東京帝国大学教授の「平泉澄」(ひらいずみきよし)氏の教えを、同じ軍人の仲間達と共に受けていました。


またこの映画で「三船敏朗」さんや「役所広司」さんといった大俳優が演じたのは、昭和二十年(1945)四月に就任した当時の陸軍大臣「阿南惟幾」(あなみこれちか)、陸軍大将です。この方が終戦間際の昭和二十年八月、その後の日本の命運を左右した「徹底抗戦」か、「ポツダム宣言受諾」かとの方針を決定する上で重要なキーマンになる方です。


⚪昭和四十二年「阿南惟幾」 (演:三船敏朗)

画像15


⚪平成二十七年「阿南惟幾」 (演:役所広司)

画像16



皆さん、今回のブログは映画の感想の話をするのか?、と思われているかと。

ですが、そうではないです。

確かに「日本のいちばん長い日」という映画は重要な部分ですが、私が話したいのは、最近どういうわけか?、この映画の「御前会議」(ごぜんかいぎ)のシーンをよく思い出す事が多いのです。

⚪「御前会議」……戦前まで天皇陛下の御臨席の下、重要な国策の決定を決める会議。 


作画 「白川一郎」氏

画像7


◯御前会議(ごぜんかいぎ)

「御前会議」は明治時代になって制度化されましたが、一時期執行されない時代を経て、昭和十三年(1938)に復活し、その後昭和二十年(1945)までの間に、計十五回に及ぶ、天皇陛下御臨席の下に開かれた会議です。

私が気になっているのは、第十四回と十五回目の「御前会議」、正に「ポツダム宣言の受諾」の審議から「終戦の詔(みことのり)」、「玉音放送」(ぎょくおんほうそう)に至る時期です。


◯「誰がこの後、この日本を再建するのか❗」

連合国側からの「無条件降伏」、所謂「ポツダム宣言」の受諾要求を受け、第十四回目の「御前会議」が開かれたのは、昭和二十年(1945)八月十日。

その四日前には「広島市」に、前日には「長崎市」に原子爆弾が落とされました。

日本中が容赦ない爆撃を受け、もはやこれ以上戦争を続行するのはどうであるか?、何とか成らならないか?、と多く人達が思っていたと思われます。ですがそんな想いを、声を大にして発する事など憚れた時代。只々、気持ちを心中に押さえて、日々我慢の生活を送っていたでしょうが、もし出来るなら、この現状を止めてくれる「何かのキッカケ」を求めていたのかも知れません。


そんな状況で開かれた「御前会議」。


「ポツダム宣言の受諾」を審議しますが、やはり軍部、特に陸軍の代表である「阿南惟幾」大臣は強硬に反対します。内閣の閣僚、大臣の一人でも反対すれば、受諾など決定出来ません。そのためこの審議は持ち越しとなり、改めて、八月十四日に十五回目の「御前会議」が開かれます。


ですが、やはり「受諾派」と「徹底抗戦派」に別れてしまい、纏まりません。

「もうこの辺で……」と言う事で、時の総理大臣「鈴木貫太郎」(すずきかんたろう)は『昭和天皇』に向かい「御聖断」(ごせいだん)を仰ぎます。


ここまで黙って聞いていらした『昭和天皇』。

この時、お言葉を述べます。

『諸君達の気持ちは、双方共によく解る。だが事が収まり、平和な時代が来たその時に、一体誰がこの日本を再建するのか ❗』

『陸海軍が必要とするなら私がどこに行っても話し諭す。またもし必要ならマイクに向かい、直接国民に話し諭す。』


◯阿南陸軍大臣の秘めた想い

「阿南惟幾」陸軍大将が陸軍大臣に就任したのは昭和二十年(1945)の四月。


⚪「阿南惟幾」陸軍大将

画像6


おそらく「阿南大臣」は最初から自分の意見など到底受け入れられない、と思っていたと思われます。ましてや、「大臣」と言う閣僚の地位に就任する以前に、「阿南大臣」は戦争のプロ、「陸軍大将」です。私の様な素人ではないのですから、ご自身は既にこの戦争には勝てない、と悟っていた事でしょう。

ですが内閣審議では「徹底抗戦」を主張します。

もし「この戦争には勝てない」と悟っていたならば、「ポツダム宣言受諾」に賛成すればいいのです。

では何故反対の主張をしたのか?

「陸軍大臣」が降伏の姿勢を示せば、「陸軍軍部」が黙っていません。実際に戦後になってから発覚した数々の「軍部」による「政府を転覆するクーデター計画」。おそらく「阿南大臣」はその動きを感じていたのではないでしょうか?

だから「ポツダム宣言を受諾する」などと、口が滑っても言えなかったはず。もし政府が転覆すれば「ポツダム宣言」を受け入れるための「受け皿❗(内閣)」が存在しなくなります。

そうなれば「降伏する機会」が無くなり、まだ暫く戦争が続く事となり、なお一層、国民への被害が増え、国土が荒廃してしまいます。こういった事に配慮して「阿南大臣」は、ご自身ですら無理だと思っていた「徹底抗戦」を主張し続けたのだと思います。

またホントに「徹底抗戦」が受け入れられないと思っていたのなら、すぐにでも「陸軍大臣」を辞職すればいいことです。

ですが現在での法律でもそうですが、内閣の閣僚が一人でも欠けると内閣審議など成立しません。内閣総辞職するか、陸軍省から新たな大臣が来るのを待つか、どちらにしても暫くの間、同じ様に「受け皿(内閣)」が無くなってしまいます。


「それだけは何とか避けたい❗」


「阿南大臣」の想い、「受け皿だけは失うわけにはいかない」、そういう気持ちが辞任もせずに、只々「徹底抗戦」を主張していた振る舞いとなっていったのではないか、と思います。


そんな時に下った「昭和天皇の御聖断」。

「阿南大臣」はこれを待っていたのではないでしょうか?


『承詔必謹』(しょうしょうひっきん)

(天皇の命が下されば、どんな事が有っても必ず従え)

「阿南大臣」の想いが天に届いた瞬間です。


⚪「承詔必謹」……古代「飛鳥時代」に、皇族でもあり政治家でもあった「聖徳太子」(しょうとくたいし)。数々の偉業を果たした方ですが、その中でも「和(わ)を似(もっ)て貴(とうと)しとなす」で有名な「十七条ノ憲法」。この憲法の第三条に記されているのがこの「承詔必謹」という言葉です。

「聖徳太子」 (AISA/アフロ)

画像13


そして八月十五日、ラジオから「終戦の詔」、「玉音放送」(ぎょくおんほうそう)が流れます。

ですが「阿南大臣」はその放送が流れる直前の十五日早朝、「切腹」します。

いくらご自身の心中とは違う「徹底抗戦」を発していたと言いながらも、それを果たせなかった事への、そして自分をバックアップしてくれていた「軍部」「自分の部下達」へのお詫びだったのではないでしょうか。


⚪「阿南惟幾」大臣の切腹シーン

画像18


画像19




「阿南惟幾」将軍銅像 (大分県竹田市 広瀬神社境内)

画像11




⚪私が子供の時にテレビで観た「日本のいちばん長い日」。その時のMC、俳優の「高島忠夫」(たかしまただお)さんが担当していたその番組に、その回にだけ、この当時の事情を知るお二人の年配の方、元軍人の方がゲストとして招かれていました。その内のお一人が仰った言葉を今でも憶えています。

「あの時【阿南大将】が切腹していなければ、【軍部】は到底納得など出来なかったはずです。ですがその後、結局は【平和裡】に収まり、無事に終戦を迎えられたのは、あの方の命を掛けての行為のおかげ、だったと思います。」


世間ではよく「海軍は善玉、陸軍は悪玉」などとの言葉を聞きますが、こういった方がいらした事、そしてこの「日本」を救った事を察っすれば、物事を単純に決め付けるのは「どうかな?」、と思います。


◯あの時、あの方々がいてくれたから

こういった一連の話を拝聴すれば、あの時代の、あの瞬間に、これらの方々『昭和天皇』「阿南大臣」が居てくれた事に感謝せざるにはいられません。もし居なければ、戦争を止める事を出来ずにあの悲惨な状況が暫く続いていたはず。もしそうならば、今現在の平和な「日本」は存在していなかったかも知れないのですから。


⚪戦争に負け、気持ちが落ち込んでいる日本中の国民を励ますために『昭和天皇』は日本全国を回りました ( 御巡幸 )


「岐阜県大垣市」

画像9

「福岡県久留米市」

画像10

「広島県広島市」

画像14


画像8



◯某国の大統領にはそんな「素養」が無いのかな?

さて「本題」に入ります。


『近い将来、事が修まった後に、この国を一体誰が再建するのか?』


こんな想いがあるのなら、今現在、東ヨーロッパで起こっている紛争などは止めれるではないでしょうか?

このまま紛争を続けば自国の被害が増々拡がり、国土が荒廃していく事など、誰にでも解ります。

現在のこの国の大統領は、紛争終結後の「国家再建の青写真」を描いているのでしょうかね?


ここからはあくまで私見ですが。

東ヨーロッパに有る国で、単なる「一介のコメディアン」だった方が、どういう訳か、「何処かからの援助」に便乗し、気づいたら「国家元首」「大統領」となってしまっていた。

巷によく聞く、「誰かの思惑」「誰かの援助」で、「大統領」になった。もしそれがホントならば、その方 ( 英語での頭文字「Z」の方 ) には、「政治的経験」などほとんど無いでしょう。

政治の世界で右往左往した経験も無く、「大統領」になってしまった。こんな方は「国家元首」としての素養があまりにも足りていないではないか、と思ってしまいます。

映像では、「戦え、戦え」との一点張り。一体いつまで、自国民を、国土を疲労させるだけの紛争を続けるつもりなのでしょうかね?

「徹底抗戦」を主張するお気持ちも解ります。ですが、他にこの紛争を終わらす方法がある、と思いますが。



またこの紛争が今や世界中に影響を及ぼし始めています。この某国の大統領は、それをご存知なのでしょうか?

一体どんな「勝算」が有って抵抗しているでしょうかね?

このまま紛争を続ける事が、世界の他の国々に影響を及ぼす事態になり、その後、どう責任を取るつもりなのでしょうか?

「国家元首」にふさわしいのでしょうか?





数々の人々の「想い」を慮りながら、やはり戦争を終わらす『御聖断』を詔された『昭和天皇』。

そしてそれを「承詔必謹」で従った「阿南大臣」。

こんな方々が現在の東ヨーロッパに居られる事に期待します。

正に映画「日本でいちばん長い日」の世界が実現する事を望みます。



⚪『昭和天皇』と『香淳皇太后』

画像12










この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?