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四十八文字の話『タ』「単一」民族?「多」民族?日本人の戦い方の面から③

で、結局今回のテーマ、我が「日本」は「単一」民族か?それとも「多」民族か?

どういった民族なのか?

どちらにしろ「得意分野」(文化は)海」なのか?「陸」か?それを分析するにはやはり歴史を遡らないと解らないと思います。


○「平氏」と「源氏」 

いつも昔から常に対比されている一族である、「平氏」と「源氏」。

常にライバル視されている「賜姓」の一族ですが、昔から「源氏」は「大陸からの騎馬民族」の流れ、「平氏」は「海洋民族」の子孫、と言われています。

これは何も「源氏」「平氏」そのものだけの一族だけの話ではなく、これら一族をバックアップしてきた、歴史に名を残す事もない一般民衆の「支持層」をも含んでの話です。


◎まず「源氏」。

所謂「源氏」の戦い方はご存知の通り、「騎馬」を用い、遠く奥州まで何回も遠征したり、また「一ノ谷」の合戦では、「人馬一体」での「鵯越の逆落とし」(ひよどりごえのさかおとし)の急襲で坂下に陣取っていた「平氏」を撃ち破り、そして、その血筋を受け継いだ「新田氏」「足利氏」も大平原での「騎馬戦」を得意としてました。


「源義経」公の「鵯越の逆落とし」については、「騎馬民族のDNAを受け継いでいるとしても

「あの坂を下るのは無理だ。作り話だよ❗」

「あんな急峻な坂、馬に乗りながら下れないよ」


と仰る方々がおられます。確かに下の写真の様にその「谷の険しさ」を見れば確かにそう思うのも当然です。



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「Goo 平家物語.義経伝説の史跡を訪ねる」より

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ですが、更に下記の写真を観て頂ければ、正に「人馬一体の妙技」(逆落とし)が決して不可能ではない❗事が分かると思います。【特に左側下の写真】



🌺おそらく欧州のどちらかの国?の騎兵の訓練写真

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この逆落としを行ったと言う伝説が語り継がれている「源義経」公は、実際ホントに「大陸騎馬民族」のDNAが引き継がれているのでは、と想像してしまいます😃



🌺また大陸系と言われる根拠の中には以下の様な情報も有ります。

平安時代の中頃、当時の源氏の棟梁、「源頼義」(みなもとよりよし)公には、三人の息子がいました。

源三兄弟

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子が元服する場合、その元服式を行う場所は「自分達一族の祖神❗」を奉る氏神社で行うものです。そしてその三人の息子達は元服後、その神社のお名を自分の通称に使います。この時の例を申しますと、

○長男 義家(よしいえ)

京都の「岩清水八幡宮」で元服。その後「八幡太郎義家」と呼ばれます。

○次男 義綱(よしつな)

京都の「賀茂神社」で元服。その後「賀茂次郎義綱」と呼ばれます。

○三男 義光(よしみつ)

近江の「新羅神社」で元服。その後「新羅三郎義光」と呼ばれます。

これら兄弟の中でも、特に三男の「義光」公。元服した場所が近江の「新羅神社」。ん?、「新羅」?。この名前、どこかで聞いた事ないでしょうか?

嘗て古代「朝鮮の三国時代」に存在した国の一つと同じ名前デスネ❗


紀元前1世紀から紀元後7世紀の朝鮮三国時代

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先ほども記させて頂いた通り、元服式は自分達一族との「ご縁のある神社」で催される儀式であり、そしてその後ご自身の通称にも用いられたほど、かなり重要な祭事です。それを「新羅神社」で執り行ったという事は、やはり源氏には何か「大陸」との関係が有りそうですね😁

またその三男であられる「新羅三郎」、「源義光」公は、所謂「甲斐源氏の祖」であり、

正に「戦国時代最強の【騎馬隊❗】」を率いた、「武田信玄」公の祖先になります。これもやはり「大陸系騎馬民族」のDNAでしょうか?


「武田信玄」公

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🌺因みにですが、長男の「源義家」公は、来年の大河ドラマ「鎌倉殿と13人」では、「大泉洋」さん演じる「源頼朝」(みなもとよりとも)公と

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またこの記事の冒頭で記した「鵯越の逆落とし」、これを自ら先頭に立ち、坂下に陣を張っていた「平氏」を急襲した「菅田将暉」さん演じる「源義経」(みなもとよしつね)公の、ご兄弟達から五代前のご先祖になります。


ご結婚、おめでとう🎉ございます🙇

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そして三男の「源義光」(みなもとよしみつ)公は、同じく「八嶋智人」さん演じる「武田信義」(たけだのぶよし)の四代前のご先祖になります。

🌺2004年の大河ドラマ「新撰組!」では、今回と同じ姓である「武田観柳斎」(たけだかんりゅうさい)を演じていましたっけ!


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◎一方の「平氏」。

「平氏にあらずんば、人にあらず」と謳われる程に、栄華を謳歌したのはご存知の通り。その「平氏」の勢力基盤は日本の中でも「西国」一帯と言われています。瀬戸内海一帯の運航、貿易などを経済的基盤として勢力を伸ばした「平氏」。

その「平氏」の中でも有名なのはなんと言っても「平清盛」公です。ですが、清盛公一代でその栄華は築けるものではなく、その基礎を築いたのは清盛公の祖父、父の功績です。


平清盛公

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🌺因みに来年の大河ドラマでは「松平健」さんが平清盛公を演じます。


正に「暴れん坊❗」の頃の松平健さん、です😁

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祖父「正盛」公は、(実に良いタイミング狙っての❗)領地の寄進により「白河上皇」からの信頼を得ます。そしてその勢いを引き継いで、武家で初めて「殿上人」となったのが父親「忠盛」公。

そしてこの「忠盛」公が、特に力を入れたのが「日宋貿易」(日中貿易)です。

その子「清盛」公が祖父、父からの地盤(DNA❗)を引き継ぎ、昔からズっーと日本の玄関であった福岡「大宰府」を素通りし、当時の「福原」、現在の「神戸」を交易基地として、貿易により莫大な利益を上げ全盛期を迎えます。そして更にその「福原」に人工島を造り、「日本の首都」にする計画まで有りました。


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皆さん、ここで一歩引いて考えて下さい。こんなに商売上手で、そして「都市計画」まで構想していた「平清盛」公。そしてこれらは元々は祖父、父親からの地盤(DNA❗)を引き継づいた結果である事を考慮しても、「平氏」のDNAには、源氏が「得意」(文化)とした「戦い」や「政治」という面とは別に、「貿易」「商売」の生業を「得意」(文化)とする「遺伝子」が引き継がれているとは思いませんか?


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そして更にそれを裏付ける様な現象が有ります。

平安時代後期、当時の「平氏」は現在に伝わっているほど全国的には力はなかったのでは?と思われます。

「平氏にあらずば、人にあらず」とは言われていましたが、その勢力を得たのは「戦さ」によるものではなく、何も日本全国、「天下統一」をしたわけでもなし、日本全体から俯瞰すれば、「京都」と言う一つの小さい地域を制しただけの話です。

確かに当時の日本の中心は「京都」ですから、「京都における局地戦」を制すればかなりの影響力を得ますが、じゃそこから「それ以上の話」にまでにはすんなり発展しないではないかと?。

このシリーズの先の記事で記させて頂いた通り、「源平合戦」は九州の手前、山口県沖の「壇之浦」で終わっています。どうしてそこで終わったのか?と言うと、それは、当時の九州が「源氏の拠点」であり、九州まで行ってところで「源氏に勝てる」保証など、これぽっちもなかったという事です。これらの事を考えてみれば、「平氏の栄華」というのは、我々が思う程に、教科書で教わったほどには大きくはなく、意外に小さかったのでは?、と思います。


九州の手前、山口県壇之浦で入水された【安徳天皇】を祀る「赤間神宮」

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昭和三十八年 下関に行幸された【昭和天皇御夫妻】


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これらの現象を合わせれば

「平氏」という一族は「海」❗を生業とした「商売」「貿易」を得意とした一族であり、「源氏」は「陸」❗における「戦い」「政治」に長けた一族かと、思われます。


勿論これは、「源氏」「平氏」などの名称が付けられる遥か以前に、古代からこの日本へ、「海」の南方から、そして「陸」の北方からやってきた人々の子孫なんでしょうね。

今まで記されて頂いた事象を考えれば、我が国「日ノ本」は、「多民族」であると思います。


が、更にこの日本には、そのどっちにもつかない「農耕」を生業とした一族もいらっしゃいます事、お忘れなく🙇


でっ、この投稿記事をお読みになっている皆さんは、どちらのDNAデスカネ?👍


今回はここいらで、失礼します。


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