四十八文字の話『サ』 「最後の将軍」と小栗上野介(続1)

『徳川慶喜公は             侮辱されても              国のために               命をもって顧みざる           偉大なる精神の持ち主』         (渋沢栄一 談)


晩年の「渋沢栄一」が語った「徳川慶喜」評です。

大河ドラマを観ている方は勿論、歴史の好きな方なら  渋沢栄一が「徳川慶喜」公のお側近くに仕えていた事などご存知のはず。                  日々、お側から直に見ていた方がこう評しています。  ましてや、のちの明治経済界の牽引者、重鎮が    「ウソ」など述べるはずがないですよね。       

これが「徳川慶喜」の本来の姿、だと   思われます。



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では、前回述べさせて頂いた様に「優柔不断」    「見かけ倒れ」の印象が強いのは何故か?

形勢打開の機会は幾度も有ったであろうに、      いざ!そういう場面になると             ハッキリした態度を取らない振舞いが、        現在伝わっている「徳川慶喜」公の「優柔不断」「弱腰」と言われる所以でしょうね。

ですが、この日本に限らず、             いつの時代でも「真実」を語られると         自分達の立つ瀬がなくなり、世間から間違いなく   「ブーイング」を浴びるであろう、との危機感を持った 連中( この場合は「西の地方から人達」の事ですよ)   彼らが強引に作り上げた「創作」にすぎない‼️と    思われます。


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私は読んだ事がないのですが、            今大河ドラマの主役である渋沢栄一が         晩年に書いた『徳川慶喜公伝』という         約千七百頁にも及ぶ大著をご存知でしょうか?     ここには正にホントの「徳川慶喜公」が        描かれている様です。 

その内容を知っている、ある知り合いから聞いた    話の中で、特に印象が残っている話を         二つ、記させて頂きます。

  

⚪後事への配慮

徳川幕府が朝廷に「大政奉還」した後        「政権」が朝廷に移りました。            ですので、                     「政治」「司法」「外交」「行政」「財政」などに関し 徳川幕府は何の執行など出来ませんし         ましてや「義務❗」など有りません。

ですが、皆さん                   例えば、江戸二百六十年もの間            京都の治安を守っていた幕府機関たる         現代で言うならば京都府警本部に当たる       「京都所司代」も                  早速江戸へ引き払っても良いはずです。        何せ「政権」は「朝廷」に移ったのですから❗

でも皆さん、ここで「現実の問題」として       考えてみて観ませんか?               

江戸二百六十年もの長きに渡り京都の治安維持を    担っていた「京都所司代」。             その機関がいきなり引き払ってしまえば、       一番困るは誰だと思いますか?

それは当の「朝廷」ご自身です‼️


「あそこ通りに有る商家の家族構成はな~」     「あそこの夫婦は仲が悪いぞ~」           「あの家の息子は今度江戸へ行くそうだ」等々     京都内の詳細情報を隈無く長年に渡り         蓄積収集していたであろう             「京都所司代」。             

そんな「治安組織」が去った後            その替わりに治安を担うのは            「西の地方」からやってくる方々。          京都の左、右も分かりません。            

そんな方々に、はたして京都の治安が   守れますかね?


その事を一番知っていたのが             正に「朝廷」ご自身です。              ですから「大政奉還」を受けても暫くは        何も出来ず困惑してました。             


そして、そういう状況になる事など    徳川慶喜公は「大政奉還」をする前から  すでに分かっています‼️。


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