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あのころの変なおじさん

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202005220000323.html

子供のころ、近所に「マンガじじい」と呼ばれている老人がいた。そう呼んでいるのは、近所の子供たちだけだった。大人たちがその人物をどう呼んでいたのかは、よく覚えていない。あまり話題にしていないような感じはあったかもしれない。マンガじじいと町内の人々の接点は、ほとんどなかったように思えるから。手早くいえば、日常的な接触を避けられていたのだろう。マンガじじいも積極的にコミュニティの活動に参加するようなタイプには到底見えなかった。どう見てもまともな感じの人物ではなかった。
いつもボサボサの白髪頭でランニングシャツにステテコという風体の、いわゆる変なおじさんであった。昔はどこの町内にもそんなおじさんがいたのだろうか。だが、マンガじじいはあまりそこらによくいそうな感じの変なおじさんでは決してなかった。それに、髪が全て真っ白だったので、見た感じはまったくおじさんという雰囲気ではなかった。小さな子供の目から見れば、まさに老人でありじじいであった。
マンガじじいの手には指が十本そろっていなかった。本人は戦争に行って指が無くなったと言っていた。だが、当時かなりのテレビの見過ぎであったため、指が無いのはヤクザだと思い込んでいたわたしは、戦争で指を無くしたという話をあまり信じていなかった。何か失敗をして落とし前をつけたのだろうと勝手に決めつけていた。当時もう終戦から三十年以上が経っていて、戦争のことは子供の頭にはあまりピンとくるものではなくなっていた。
青いトタン葺きの古いアパートの二階の一番奥の部屋にマンガじじいは住んでいた。気味悪がって大抵の子供はアパートに近付かなかったが、学校帰りに近所の悪ガキがマンガじじいの部屋の窓の下でからかうような言葉を大声で叫んだりしていた。ときどき、怒って部屋のドアから飛び出してきて、階下に降りてきたマンガじじいに追いかけられることがあったが、すばしこい小学生たちはすぐに蜘蛛の子を散らすようにアパートから見えないところまで走り去っていってしまう。やはり、じじいには悪ガキを捕まえられるほどの俊敏さはなかった。
時折、マンガじじいはアパートの前のコンクリートの階段のあたりにいつものランニングシャツにステテコ姿で座っていることがあった。そして、白墨を使って階段のあたりに何やら絵を描いている。すると、放課後に外で遊んでいた近所の子供たちが絵を見ようと集まってくる。興味津々な子供たちが見守る中、階段に腰掛けたマンガじじいが絵を描いている。こんな風にそこらの地面などに絵を描いていたからマンガじじいと呼ばれるようになったのか、実際に漫画を描く仕事をしていたからマンガじじいと呼ばれていたのかは、よくわからない。まあ、子供たちに絵を描いてみせて楽しませたいという感覚の持ち主であったということは、もしかすると本当に職業は漫画家であったのかもしれない。しかし、いつもいつも深酒をして昼間でも酔っているようなタイプの人であったので、その正体はよくわからなかった。しばらくすると、集まって絵を描くのを眺めている子供たちの中に紛れていた悪ガキが、何かちらっとからかうようなことを言ったりする。すると、じじいもいきなり血相を変えて怒り出す。子供たちは、まるで蜘蛛の子を散らすかのようにあちらへこちらへと逃げてゆく。そんなようなことが、近所ではたびたび繰り返されていた。
今から思い返すと、よくマンガじじいは地面に白墨で絵を描きながら、自分の手の指を子供たちに見せて、こんな風になっちゃうから戦争しちゃ絶対にダメだと話していたような気がする。たぶん、そんな場面の記憶でもないと、当時は指づめとヤクザが頭の中ではかなり強く結びついていたはずなので、マンガじじいと戦争の関係についてはほとんど覚えていなかったのではあるまいか。そして、近所の子供たちを集めて絵を描いて見せてマンガじじいが一番伝えたかったメッセージというのが、それであったのではないかと思うとなんとも切ない気分になってくる。いつも悪ガキたちにからかわれてばかりいたのに。本当はもっといろいろな話を聞いておくべき人であったのではなかったか。だが、いつも酔っ払っていたので、それが現実的に可能であったのかはわからない。
マンガじじいとは、漫画家として水木しげるのようになり損ねた人であったのかもしれない。戦争に行って指を失い、非戦や反戦のメッセージを込めた漫画をしたためたこともあったのだろうが、戦後三十年以上が経ってもボロアパートで侘しく飲んだくれる毎日がマンガじじいのすべてであった。戦争の虚しさを身をもって経験したことで、みんなにデクノボーと呼ばれ褒められもせず苦にもされない戦後の生き方を選んだということなのか。もしかするとマンガじじいにも何かまったく違う戦後があったのかもしれないと考えると、どうにもやりきれない気分にもなってくる。
とにかく、あのころマンガじじいが「戦争は絶対にダメだ」と語っていたことが、今も記憶の中に残っているということは、それなりに身をもって伝えようとしていた非戦や反戦のメッセージがちゃんと伝達されていたということでもあるのだろう。それだけでもマンガじじいの存在には何か意味があったのかもしれない。ろくでもないことを教えるような近所の変なおじさんではあったのだけれど。

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