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「空蝉の家」随想(メモ)

「空蝉の家」は、とてもヘヴィだった。重すぎて、耐えきれない。一気に続けてはとても見ていられない。それでも、これは見なくてはならないものなのだという感じはすごくする。あの家の中で起きたことは、紛れもない事実であって、本当にあったことで、本当にずっとずっと起きていたことで、まだ生々しくその痕跡がそこに残されている。少しずつだが、見てゆく。緩やかにすべては終末に向けて静かに進んでゆく。それをただ見ているだけで、胃や胸のあたりに、とても重く苦々しいものがめりめりとめり込んでくるのを強く感じる。
こんなにも胸の中が騒がしくなるのはなぜなのだろう。これを見て、落ち着いて平然としていられる人なんているのだろうか。たぶんいるのだろう。そういう、自分たちとはやや距離のある別の次元のものとして認識できるタイプの人が実は結構多いからこそ、社会や世間から見えないところで見放されたり置き去りにされたままになってしまう人々が出てきてしまうのであろう。自分は自分のことで精一杯なので、上手くできない人や躓いてしまった人のことまでは到底面倒見てあげられない。そして、自分たちより惨めな境遇な人々が増えれば増えるほどに自分たちの生活は安定し地位レヴェルも向上すると勘違いしていたりもする。そんな風に心なく踏みにじられてしまうタイプの人々には、これはとてつもなく重い現実の有り様を眼前に突きつけられるような映像の数々である。逃れられない地獄はいつもすぐそばにあり、そこに自分たちを蹴落とそうと狙っている人々はそこら中にごまんといる。それが現実であり、そんな現実が生み出した現実なものとなった地獄が、あの家の中の誰にも見えないところに、ずっと存在していた。
亡くなった伸一さんが遺した、様々な走り書きやメモ、英語学習用の書きとめといった類いのものが、死後家の中で見つかっている。その中に、自分の思いや考えをつらつらと吐き出したような言葉が並ぶ古ぼけたノートがあった。おそらく、苦しい時期の最初のころに書かれたものなのではないか。激しく苦悩し煩悶しながらしたためたのであろう思いのこもった言葉が並んでいた。自分の内面に対しても外の世界に対しても大きな悩みを抱え深く思い悩んでいたことがうかがえる。何もかもがままならないことに直面して内省を深める。痛々しいまでに。わたしもまた伸一さんと同じようなタイプの人間である。おそらく世間からは痛々しく見えるのかもしれない。しかし、現実は誰にも見えないところで起きていることなので、そんな痛みは誰からも見られることなく誰の関心もよばないままに放置され続けることになるのである。
ノートに書かれた言葉の中に、「欲望」というものがあった。きっと、伸一さんにもたくさんの欲があったのだろう。まだ二十代で若かったから、したいこともたくさんあっただろう。将来への希望もいっぱいもっていただろう。あれがしたい、これもしたい。伸一さんの内面に湧き上がってくる欲望はどこまでもどこまでも尽きることがなかったに違いない。それでも、必要以上に競争が激しい社会の中では、どんなに欲しても何も望んだものが手に入らないことだってありうるのである。伸一さんが大人になって社会に足を踏み入れようとし始めていたころは、もはや努力すれば何とかなるような単純でわかりやすい図式だけで構成されている社会ではなくなっていた。欲望は満たされない。渇きだけが残る。からからに干上がってゆく。競争が人間をすり減らす。次第に、欲するだけ無駄だと思うようになる。いつしか「欲望」は、わずらわしくうとましいものになっていったのではないか。もしくは、伸一さんは自分の中にある「欲望」を徹底的に抑制し抑圧しようとしていたのかもしれない。そのためにノートに「要望」について綴っていたのだろうか。深い苦悩の末に人間としての本能までをも押し殺し噛み殺してしまうようになってしまう。
ひとりきりの時間と空間の中で、ゆっくりと無になってゆく人間。その先にあるものは、やはり覚りなのだろうか。伸一さんは、何かを覚ったのだろうか。窓の外の景色には背を向けて、身体を小さく丸めて、蛹のようになって生きながら、人生は無意味だということを覚ったのだろうか。それとも、つとめてそう思おうとしていただけなのか。いつまでもあまりにも人間的な苦しみは、孤独な伸一さんに付きまとっただろうか。どんなに空疎に無になってしまいたいと願っても、生きたいと欲望してしまったのだろうか。五十代になるまでずっと英語の勉強を続けていたのは、それが唯一の趣味だったからなどではなく、いつか仕事で必要になると信じていたからだろう。伸一さんはずっと将来の希望を持ち続けていた。きっと、全然、覚ってなどいなかったのだろう。空っぽの人間になどににはなれない人だったのだ。それゆえに、最後の最後まで苦しみもがき続けたに違いない。どこまでも深く、痛々しいほどに。それは終わりの見えない生き地獄であったことであろう。
伸一さんは、わたしに似ている。そっくりかもしれない。生まれ育った境遇や環境もよく似ている。郊外の小さな平屋の家に生まれて、周辺はどんどん新興住宅地になり、二人目の子供が産まれて家は二階建てに増改築された。昭和の終わり頃、どこにでもよく見かけられた典型的なニュー・ファミリーの家庭である。クリスマスの時期には横浜駅の高島屋前の動くディスプレイを親子で楽しく見ていたかもしれない。夏休みに海水浴にゆくと、同じような若い家族連れでうじゃうじゃとごった返していた。伸一さんの家族もわたしの家族も、そういったどこにでもいるような家族連れの中の何の変哲もないひと家族に過ぎなかったはずだ。みんな幸せそうな若い家族に見えていただろう。だが、はたしてあの中のどれくらいの家族が、今も幸福で理想的な家族のままでいられているのだろうか。わからない。若い幸福で理想的な家族というものは、長い時間をかけて少しずつゆっくりと崩壊してゆくものだというイメージしか持てない。今のわたしには。幸福な理想の家族像なんていうものは、一瞬の夢でしかなかったのではないだろうか。つくづく、そう思う。
荒廃した家を訪問する市の職員と伸一さんが会話をする場面がある。物腰柔らかにとても愛想のよい応対ができている。少し驚かされる。三十年以上も自分の殻に閉じこもり孤独に生きてきた人とはまったく思えない、人と人との普通の会話ができている。あの短い面会が亡くなる十日ほど前だったという。にわかには信じられない。あれほどの深い暗い悩みを抱えていた人なのに、それなりにうまくその場を取り繕えてしまえている。おそらくは、とても利口な人だったのだろう。とはいえ、わたしも何となく調子よく喋る方である。その場その場に合わせることぐらいは、自分にとって何のこともないことだから。普段の会話では、自分の腹の底までを見せるようなことは決してない。調子よく上辺だけでやり過ごす。それゆえに人間関係も皮相的なものばかりになる。気がつけば、周りに誰もいなくなっている。
色々と似ているところがあって、伸一さんをちょっと他人とは思えなくなってしまう。全部が全部、自分のことのように思えてくるのだ。身につまされる。堪え難いほどの苦しみに押しつぶされそうになる。また、伸一さんの父親にも自分と似たようなところがあるような気がしてくる。もしもわたしがまかり間違って父親などという立場に立つような人間になっていたならば、おそらく子供を不幸にしてしまっていたかもしれないと思うのである。自分の考える父親らしさのようなものを追い求めて、それをがんばって実践しようとしているうちに、どこかで幾重にも失敗してしまうような気がする。そして、幸福な理想的家族なんて一瞬の夢なのだと心底思い知らされることになるのであろう。
何かを為したいと思いながら、いまだ何も為せずにいる人生。まるで空蝉のようだと、今のわたしに対しても伸一さんの父親ならばいうかもしれない。とても空疎で空っぽのように見えるだろう。それでも必死に食らいついて生きているのだと、本当は伸一さんも打ち明けたかったのではないだろうか。昭和の終わりから平成の終わりまでの約三十五年近い年月を、伸一さんはかつて幸福な理想的な家族が暮らしていた家の中で孤独に生きていた。誰も伸一さんの心の奥の悲痛な叫びに耳を傾けようとはしなかった。「空蝉の家」の放送があった日、大雪で白一色となっていた札幌の街のホテルの高層階から俳優の神田沙也加さんが転落して亡くなった。まだ三十五歳だった。伸一さんと神田沙也加さんの母、松田聖子さんはほぼ同世代である。そして、ちょうど娘の神田沙也加さんが誕生した頃から、伸一さんはあの家の中に引きこもりはじめる。伸一さんも神田沙也加さんも、ずっと孤独な三十五年だったのではないかと思えてならない。その場その場をそれなりに調子よく取り繕えてしまえる利口な人は、どうしてもひとりぼっちになってしまいがちである。そうなると心の奥でどんなに助けを求めて叫んでも誰の耳にも届かなくなってしまう。深く考えてちゃんと物が見えてしまった人というのは、とても悲しい運命を辿らなくてはならないのか。虚しくて空しい。もはや空になった存在であったとしたら、娑婆のことなどもうどうでもよくなっているのかもしれない。だが、人間はなかなか無にはなれない欲深い生き物ではなかったか。そんな重たい動物が、そこまで空無になって、軽やかな存在になれてしまうわけがないではないか。人間は生き、そして人間は堕ちる。
三十五年。途方もなく長い時間が、そこにはあって、そこにある闇の底でひとり孤独に過ごしてきた人がいる。はたして、それは本当に無意味で無為な時間だったのだろうか。空蝉の孤独が報われるような瞬間はなかったのだろうか。すべては地獄だったのか。そこに救いはなかったのだろうか。とても絶望的な気持ちになる。その間に、伸一さんの地元からは総理大臣が生またりもしていた。調子のいいことばかりいう総理大臣が巷を賑わせていたころも、外の世界からは隔絶された家の中で誰からも見られずに、ずっと異変は続いていた。小泉純一郎のような人間には、もし近くに伸一さんがいたとしても、何か意味のあることなど何もできなかったであろうけれど。あのころから、自己責任という言葉をあちこちで耳にするようになった。
人間とは、とてもダメな生き物で、何に対しても見て見ぬふりができてしまう。また、同じ種類の生き物である他の人間に対しても、とてもとても冷酷になれるし、どこまでも冷淡になれてしまう。もっと昔の人間だったらならば、もう少し事情は違っていたのだろうか。近所の海苔屋のおばあさんが何かと世話を焼いてくれたりして。もっと未来の人間だったらば、それぞれの個体は多様なものを尊重するような生き方をしてゆけるようになっているだろうか。もしも、今現在ここにある過酷で残酷なだけの世界に出口というものがあるのならば、早くその光が少しでも早く見えるようになってもらいたい。
でも、これは、なんだかんだいって少しはまだちゃんと人間として生きていることができているものが、今更あれこれいったとしても何も始まらないようなことではある。伸一さんは、たったひとりきりでこの世を去った。きっと、あの家の中で三十年以上ずっと孤独に生きた人にしかわからないことばかりなのであろう。だからこそ、これ以上、あんな辛い思いをする人が増えないように祈りたい。願いたい。何とかしたい。できることならば。もしも、わたしに何かできることがあれば、誰かの力になりたい。何の力もないわたしだけれど。
最近、政府や政治家、そしてマス・メディアが、かなり好んで使う言葉に「誰も取り残さない」とか「誰一人取り残さない」というものがある。すごく手軽に常套句のごとく使用されているのだが、それはそんなに思っているほど簡単なことではないだろう。とてもとても長い間、取り残され続けた極めて悲惨な一例を、私たちはここに見ているではないか。どんなに「誰一人取り残さない」と意気込んでいったとしても、やはりどうしたって取り残されてしまう人は出てきてしまう。それが現代に生きる人間のいわく変え難き性質・特質が、その血をもってして要請しているものでもあるからである。わたしたちは、どうしても取り残されている人を取り残されたままにしてしまうのである。自分が本当に最低限の人間的な生に必死になってしがみついているだけで、もう手一杯だから。あまりにも救いようのない社会だから。近いうちに、こども家庭庁という新しい省庁が創設されるという。少子化対策や子育てに関係する様々な政策を重点的に進めてゆくのだという。しかし、それが結局は紋切り型の幸福な理想の家族像の幻影を追い求めるだけのものであったならば、やっぱり同じような不幸がまた何度も何度も繰り返されるだけなのかもしれない。
何だかみんなあべこべになってしまっているように感じる。空っぽな人。調子いいだけの人。調子のいい人は実は空っぽなのか、そうではないのか。空っぽな人ほど調子がいいのだろうか。本当に調子がいいだけなのはどちらなのか。本当に空っぽなのはどちらなのか。みんな、あべこべにに生きて、あべこべに死んでゆく。逆様な世界の空蝉の家、か。
人は何のために生きるのだろうか。わからない。何もわからなくなってきた。すべては虚しい。人間のあさましき欲望が完全に満たされることはまずないだろう。だから、貪欲であることはとても虚しい。また、空っぽであることも虚しい。すべては虚しい。人間は何のためにどのように生きるべきなのだろう。わからない。本当に何もかもわからなくなった。最初からその問いに対する正解の答えなんてものはないのだろうか。あのひとりの人間の運命そのものであった、あの家の中で何か答えらしきものは見つけられたのだろうか。

「空蝉の家」を見てから数日間、ほとんど眠れなくなってしまった。色々と考えてしまい、巨大な黒い不安感がのしかかり、目の前にはありありと絶望しか見えなくなった。とてつもなく不器用な生き方しかできなかった伸一さんは、紛れもなくわたしそのものでしかなかったから。あの番組をひりひりするような当事者感覚をもって見る鈍く痛く重い心持ちをご理解してもらえるであろうか。そこでつらつらと思ったことなどをメモしておこうと考えた。汲み尽くせぬほどの不安が胸の中に溜まってしまっていたから。ただただ思ったことをどこにも発表するつもりはなく書いた。そのメモを文章にしてゆく過程も二重に三重に辛いものがあった。あの痛々しい伸一さんの姿と自分自身の過去と現在と未来に真っ向から向き合わねばならなかったから。そんなに辛いのであればわざわざ文章にしなければよいのではないかとも思ったが、いろいろと自分の内面に澱のように溜め込まれていたものを少しずつ整理して吐き出していったことでちょっとは気分的に楽になるようなところもあった。本当につまらぬ随想ではあるが、やはりなにか書かずにはいられぬものがあったのである。空蝉の死を悼む。呪われた世界にこの一文を捧げる。

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