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くじら

小学校に入学して初めて食べる給食(であったと記憶しているのだが、実はあまり定かではない。当時、わたしはとてもぼーっとしている子供だった)。何もかもが初めてのことで、わたしはちょっぴりわくわくと胸を高鳴らせつつ、少しばかり緊張もしていた。いったい、これからなにが出てくるのかまったく状況を把握できていなかったしなにもかもわからなかったからである。一学期の最初の頃は高学年のお兄さんお姉さんが一年生の教室に来てくれて、配膳のやり方を教えてくれたり優しく手伝ってくれていたように記憶している。列に並んで皿に給食をよそってもらいトレー(というか、かなり使い込まれた銀色のステンレスのオボンであった)を持って自分の席に戻る。すると、銀色の円く浅いアルミの皿の上に、それまでには見たこともない小さくてころころしているまるで馬糞のような茶色いものがのっていた(馬糞は、お祭りのときなどに御神幸行列に加わっている馬が街中を練り歩く最中にあちこちに落としていっていたので子供の頃からよく見る機会はあった)。それは小食缶のおかずで、教室に入ってきた時から香ばしいような食欲をそそる匂いをさせていたが、見た目はまるで何かの動物の糞のようであった。色も、形も、大きさも。
その糞のような食べ物の正体は、どうやら鯨の肉であったようだ。つまり小学校に入って最初の給食に鯨が出たのである。それが生まれて初めて食べる鯨の肉でもあった。醤油か塩の味付けが濃く、色も糞のように濃い茶色で、よく煮込まれているのか表面は繊維質的なざらざらとした感じで、ものすごい塩っ辛さであった。それに食べる前から見た目のインパクトもすごかった。どう見ても糞だったから。そして、それが初めての給食だったということもあって、頭の中にとても強い印象が残った。ずっと海で生活している生き物だからあんなに肉が塩っぱくなってしまうのだろうかとか色々なことを想像していた。
小学校時代の給食を強烈に印象づけてしまった思い出の献立である、あの動物の糞のような鯨の肉を、是非とももう一度食べて見たいとずっと思っていたのだが、それ一度きりだけで、その後の給食ではおかずとして鯨の肉が出てくることはなかった。そして、あれ以降に鯨を食べる機会も特にない。それゆえ、給食で出た鯨が今のところ最初で最後の鯨になってしまっている。
ただ、今となってはもう、あれが本当に鯨であったのかということさえ、ちょっと怪しいと思うようになってきてもいる。あんな動物の糞のような見た目の鯨料理が実際にあるのだろうか。そこからして怪しかったりするのだが、何せその後に鯨というものを食べていないので、どうにも比較検討することができていないというのが実際のところである。
しかしながら、小学一年生が入学して最初に食べる給食に、見た目が動物の糞のような鯨の肉という非常にハードルの高いおかずが献立として採用される可能性は、いったいどれくらいあるだろうか。あれは給食初日の小食缶であったのだと思うのだが。何か別のおかずとの記憶違いであったのだろうか。それとも最初から鯨の肉なんていうものは給食に出ていなかったのか。だとすると、あのとても塩っぱい動物の糞のような見た目の食べ物はなんだったのだろう。あまりにも生まれて初めての給食というものに期待が高まりすぎていたせいで、入学前に夢に見ていた想像上の給食の食べ物と現実の記憶がごちゃ混ぜになってしまっているのであろうか。まあ、とてもとてもぼんやりとしていた当時のわたしのことであるから、それはそれで非常にありえそうな話ではあるのだけれど。
関東の海なし県に生まれ育ったわたしにとって、鯨というものはあまり身近なものではない。生物としても、食べ物としても。周りを見渡せば、どこまでも続く田んぼと畑ばかりだ。春は肥やしの匂いとともに始まった。夏場は夜になると何千何万という蛙の鳴き声が一面に響き渡る。赤土の関東ローム層のなだらかな起伏をもつ平らな大地こそが、我々の住む地球という星の当たり前の姿なのだと何の疑いもなく思い込んでいた。領有権が主張されている竹島や尖閣諸島のシャキッと尖った岩だらけの島影を見ても、どこか異国の海に浮かぶ島のようにしか見えないのもそのためであろう。だからか、鯨の肉を食べることが、この国に固有の伝統であり文化であるといわれてもあまりピンとこないものがあるのである。

鯨という言葉を聞くと、なぜか「くじる」という言葉が連想されてしまうようになってしまっている。出だしの「くじ」までが同じ音で、それに続くのが「ら」か「る」というだけで、ちょっと似ている響きの言葉であるからである。「くじる」とは、漢字にすると「抉る」と書く。大抵は、この漢字が書かれていた場合、「えぐる」と読むだろう。そして、それは「くじる」と読んだ場合にも、その「えぐる」という読みそのままの「えぐる」という意味となる。抉る(「くじる」)とは、対象となるものに何らかの道具(例えば、フォークやスプーン)を突き入れたり差し込んだりして、その内部のものを表層や外部に露見させたり取り出したりすることである。スイカやメロンの果肉をスプーンで穿って抉り出して食べるところを思い浮かべると分かりやすいだろう。また、ぽっかりと空いた穴の中に何か物(道具)を差し込んで、その中をかき回したり、中にあるものを取り出したりすることでもある。穴状の場所とその中に差し込まれるモノからなる事象であることから、この「くじる」という言葉や表現は現在では主に官能小説などの中において性的な行為を言い表すものとして散見されることが多い。普通の日常会話や文章の中には、なかなかこの「くじる」が登場することはないだろう。よく使われるのは、もっぱら「えぐる」という言葉の方ではないだろうか。それゆえに「くじる」という言葉や表現には、非日常的な異質感のある、どこか淫靡でエロティックなイメージがより色濃くまとわりついてしまっているようにも思える。あまり見かけることのない「くじる」という言葉に縁遠さを感じないという場合は、この言葉とおそらく男と女の濡れ場や情事の場面で遭遇したことがあったのではなかろうか。そうした使われ方ばかりに接していると、この「くじる」という言葉に非常に語感が近い鯨という名詞にも、いつの間にやら何かしらエロティックな匂いがじわじわと転移してきて染み込んでしまうようになるのも不思議な話ではない。
筒井康隆の短編小説に「ポルノ惑星のサルモネラ人間」という作品がある。この荒唐無稽な傑作短篇には「クジリモ」といういきものが登場する。これは、その名の通り藻の一種である。だが、まさに「くじる」ことをする藻なのである。そうなるともう植物なのか動物なのか判別ができない。何から何までがいやらしくポルノ的であることから別名ポルノ惑星ともいわれているカブキ恒星系のナカムラ星にある下賎沼付近に生息する藻であり、まさにポルノ惑星で独特ないやらしい進化を遂げている哺乳類動物をさらにいやらしくくじりまくることをその生態の特徴としている。ナカムラ星の動植物の生態を研究する細菌学者、最上川博士の妻も下賤沼で水浴びをしていて、まんまとクジリモにくじられてしまったようで「しばらくしてからとろんとした眼をして、ふらふらになってあがって」きたというから、普通のレヴェルの理性や感覚をもつ人間ではひとたまりもなくくじられて気をやってしまうようだ。また、生態調査基地の雑役係の与八は、性的な絶倫ぶりでも知られている人物であるが、アクシデントで下半身むき出しのまま下賎沼の浅瀬に転落し、岸まで歩いてたどり着く間に盛大にクジリモにくじられて「七、八回気を遣った」というから驚愕の「くじる」能力をもつ藻であることがわかる。それと同時に、与八の性能力も常人のレヴェルをはるかに凌駕していることがわかる。与八が言うには、普通のレヴェルの男性であれば下賎沼に落ちて丸出しの下半身をクジリモの大群に襲われたら、その場で卒倒し気絶するか最悪の場合は絶命してしまうほどの強烈な超絶快感に見舞われることになるそうだ。それほどまでに、クジリモには絶大なまでに高度な能力があるということらしい。だがしかし、このクジリモの存在こそが、下賎沼に生息するタタミカバなどの大型でいやらしい哺乳生物が旺盛な性欲と生殖欲に任せて異種混交に突っ走ってしまうことにブレーキをかけ、抑えが効かなくなりがちな動物たちの性的欲望や生殖本能に対する効果的な抑止弁となっているというのだからクジリモのくじりにはちょっと馬鹿にできないものすらある。などといわれると、この「くじる」という行為には、なにか奥深いものが隠され潜んでいるような気さえしてくる。抉る藻がいるのであれば、藻に抉られる鯨もきっといるのではなかろうか。初めて文庫本で「ポルノ惑星のサルモネラ人間」を読んだのは中学生くらいの頃のことで、まだすべてを読んで理解できるまでの域には到底達してはいなかった。それでも、度を越したポルノ惑星のエロティックさはとてもよく伝わってきたし、クジリモなどの奇怪でいやらしい動植物のエロティックな生態も強く印象に残った。当時、何度も小説を読み返してみては、まさにポルノの極致とでもいういうような性の解放区的な桃源郷ママルダシアの目眩くような光景を、幾度となく頭の中に思い描いていたものである。作中では与八がその光景を見て実地に体験してきたままに口頭で伝えてくれるのだけれど、肝心の与八の伝達能力そのものに限界があり断片的にしかつかめない(そこが非常にもどかしくもあり、たかが中学生レヴェルの妄想力にも当然ながら限界もあったことは確かだけれど。だが、いまだに楽園的ユートピアの原像について考えるときは、このママルダシアというものを基底に考察をしたいと思っている)。

子供の頃によく見かけたかわいらしくデザインされた鯨のイラストには、必ずといってよいほど、背中から大きく弧を描いてまるでいちょうの葉のような形に吹き上げられた潮が描かれていたように思う。そんなイラストのイメージから、鯨は潮を吹くかわいい動物で、その吹き上げられる潮の上で曲芸のようにカラフルなビニールボールをくるくる回してみせたり、座った状態でお尻の下から吹き上げられた人間が高く浮き上がったり低くなったりして楽しく遊べるものなのだと、かなり本気で思い込んでいたりした。
だが、今や潮吹きというと鯨の世界だけに限られたものではない。いや、潮吹きといって鯨だけを思い浮かべる人の方が、実は少ないのではないだろうか。それくらいに鯨の潮吹きは影の薄いものになってきてしまっているのである。だが、おそらく人間のAVの世界では、ほとんどすべての作品で今や潮吹きを見ることができるだろう。鯨の潮吹きではなく、人間による潮吹きだ。だが、この潮吹きという行為は、かつてはそれほど頻繁に見られるものではなかったように思う。潮吹きが、何らかの奇癖か特異体質か何かだととらえられていた時期は、相当に長かったのではなかろうか。それは、もはや見世物小屋の牛女や蛇女と同じくらいに珍しいものとして認識されていたような記憶がある。
そんな巷においては物珍しいものであった潮吹きというものを一般化させてゆくきっかけとなったのが、ポルノ女優でストリッパーとしても活躍した愛染恭子の存在である。愛染恭子は70年代後半から映画女優として活躍し、80年代にはストリップ劇場の舞台にも立ち、その高い話題性や人気ぶりから公然猥褻罪で逮捕されたこともあった。そんな過激さを売り物にしていた愛染の舞台上での演出に、往時は天然記念物級の芸当であった潮吹きが含まれていたであろうことは想像に難くない。その道のパイオニアである愛染恭子が、潮吹きというものを伝説や噂話の中だけに登場するものではないことを、実際にそれを衆目の面前において行なって見せることで証明し、それが様々なエロの場で模倣されることにより、少しずつ広がりを見せていったのが、80年台半ばから90年台前半にかけての時期であった。そして、そうした時代の流れの中でAVの世界にも潮吹きという行為をブーム化させてゆくような新たな人気女優たちが続々と登場してくる。
その潮吹き女優の第一人者は、麻生早苗であったといわれている。麻生早苗のデビューは95年。この時期以降に潮吹きは急速に広く一般化してゆき、21世紀に入るとどの作品を見てもごく普通に行われるようになっていった。アブノーマルなものと思われていた潮吹きが、その神秘のベールが剥がされて広まってゆくのにはやや時間がかかった。だが、一度広まってしまうとその爆発的な勢いは止まるところを知らず、いつしか当たり前のように行われ当たり前のように見られるものになっていった。
小沢昭一は「私のための芸能野史」などの著作において、何度となく一条さゆりについて熱っぽく思いに溢れる回顧文を書いている。一条さゆりは、60年代後半から70年代初頭にかけてコケティッシュなルックスで絶大なる人気を誇った、アイドル的存在のストリッパーの草分けである。小沢昭一は72年に行われた一条さゆりのストリッパー引退興行の顛末について非常な思い入れを込めてルポルタージュしている。そこには、オープンしたさゆりのタラリがキラリと光ったというような印象的な記述がある。この「さゆりのタラリがキラリ」は、当時のストリッパーとしての一条さゆりの艶姿を拝むために劇場に詰め掛けていた小沢昭一をはじめとするデバガメ的な観衆にとっては、とてつもなく重要なポイントであったようだ。小沢昭一もまた何か極めて神々しいものにさえ見えたタラリやキラリがホンモノであるのか虚構であるのかを真剣に考察していたりする。まだ潮吹きがポピュラーなものでなかった時代、一筋のタラリだけでも相当に熱くなれる一大事であったことが、この小沢昭一のこだわりぶりからも如実にわかる。そして、現在の潮吹きと比べると、タラリがキラリは格段にロマンティックなものであったともいえるであろう。一条さゆりの代名詞である特出しやオープンは極めて過激でセンセーショナルなものであったが、その舞台の上にはまだエロと共存する性のロマンの地平が介在する余地が多分に残されていたのである。

潮吹きとは、くじることで発生する現象である。元来、潮吹きといえば鯨であったが、今では潮を吹くのは鯨だけではない。人間もくじられて鯨のように潮吹きする。くじることと鯨には、潮吹きを共通項とした何かしらのつながりがあるということなのではなかろうか。もしかすると、鯨も潮を吹くときは海中に生息するクジリモのような微生物に体内をくじられて堪らずに潮を吹いているのかもしれない。
鯨を食べる民族は、鯨に対してその肉を欲する本能的な欲望をもち、大きく滑らかな曲線をもつ肉体の鯨に対するエロティシズムにも通ずるような感情や感覚をどこかで強く抱いているのではなかろうか。エロティシズムとは、タブーを侵すところに生ずるものである。そこに犯しがたい禁止があるから、あちらとこちらの世界が(行為的実践によって)交わり合う時に、そこにエロティシズムからくる非知の眩い光が満ち溢れる。抑制と侵犯。鯨が潮を吹くように、くじることでくじられたものは潮を吹く。調査捕鯨とは、ある意味では、こちらとあちらの境界を乗り越えようとするものであったのかもしれない。後ろめたく疚しく思いながらも鯨をくじってえもいわれぬ恍惚に浸っていたのが、その行為の本質であったのではなかろうか。
大っぴらに許されているものや公共の圏域において禁止の外側にあるもの、いわゆるごく普通のものや商業主義的なものには、本当の意味でのエロティシズムは生じない。そこには、人間の本能的な欲望に即した刹那的なエロがあるだけである。エロティシズムとは、人間の生の起源の(痕跡の)付近からのほとばしりにして、愉楽的な快楽の破壊的な超越であり主体性のはるかかなたで切望される悲願である。人間にとってエロティックな欲望の対象でもある動物、鯨の艶かしい潮を吹く肉体に硬質な棒状の銛を突き立てて赤い血にまみれた肉をぐりぐりとくじる。細長い銛のようなファルスでくじられて、生贄のように餌食にされる大型哺乳動物。それが鯨なのである。
捕鯨は伝統文化だといわれる。つまり、そこには人間臭いエロティシズムを醸す抑制や侵犯の歴史がたっぷりと盛り込まれているということだ。鯨をくじりたい欲望をもつことは、大海原を眼前に見て生きてきた、いかにも日本的で日本人らしいアニミスティックな生物(聖物)信仰からくる感覚であるといえよう。はるか沖合いの海の底からやってくる生命力の巨大な塊であり、潮を吹き魂や息(息吹)を勢いよく噴出させている鯨と真っ向から対峙し、くじり、仕留め、食することは、古くから人々にとって大変に重要で大きな意味のあることであり、それが次第に大いなるものに対する儀礼へと昇華されていったのであろう。それは一種の宗教的かつ社会的な供犠の儀式である。採って、食べて、(共同体・共同幻想から)送り出され、そしてまた海から(外部から)戻ってくる。人間の祈りのために犠牲となった鯨がまた海に戻ることができるように、丁重にくじり、丁重に食べて、彼岸へと送り届けるのだ。そのすべてが人々の間での祭祀として執り行われていたのであろう。計り知れぬ生命力の源である海がこれからも変わることなく、人間に多くの恵みをもたらしてくれることへの祈りである。そのために、盛大に潮を吹き上げて泳ぎくる豊潤なる海の命の象徴としての鯨をくじり、神前に奉り、一堂に会して食すのである。
商業捕鯨でただただ人間が食用などに利用するためだけに鯨をくじることと、伝統文化との間には、どれくらいの行為の意味と関係性があるのだろうか。その捕鯨の場には儀礼も祈りも何もなく、ただ海で仕留めた鯨肉として食べて利用するだけなのではないか。無駄に殺生されて切り刻まれて食べられた鯨は、はたして無事にもう一度人間のための資源として海に戻ってくることができるのだろうか。そこでは誰が鯨のために祈るのだろう。
捕鯨の伝統文化を祭礼や儀式としてだけ形式的に遺してゆくというのではダメなのだろうか。一年のうちの数日間だけ、鯨が岸の近くまでやってくる祭りの期間に、沿岸地域の祭りのエリア内だけで祈りを込めてくじればよいのではなかろうか。人間が精一杯にくじり、鯨が盛大に潮を吹く。禁忌とエロティシズムが濃厚に香る、最高に祝祭的な祭祀となるのではなかろうか。今の時代、それぐらいの躁的なイヴェント性がないと国際社会の世論というものは許容してくれないのではなかろうか。それがいやならば、鯨の抱き枕ならぬ鯨型のダッチワイフでもつくって、夜な夜な好きなだけそれをくじっていればよい。科学技術の発展によって盛大に潮吹きするダッチワイフだってもうすでに登場しているのかもしれないし。妄りに鯨をくじり潮を吹かせることは、この国の古い法制度に照らし合わせると国つ罪にあたるおそれがある。その禁を侵す行いであるからこそ、年に一度の祭りは歓喜に満ち溢れ祝祭性を爆発的に増大させることになるのではなかったか。だが、そんな国つ罪も現代のグローバルな倫理観に照らし合わせると民族ならびに国の罪として見てとられる恐れもあることは十二分に承知しておいたほうがよいだろう。
商業捕鯨を約30年ぶりに再開するというが、もしもそれがビジネスとして成り立つのであれば、その捕鯨船の乗組員の大半はそのうちに外国人の出稼ぎ労働者ばかりになるというのが実際のところなのではないだろうか。伝統文化も慢性的な人手不足にはかなわないのである。国技といわれる大相撲も横綱をはじめ関取は外国人力士ばかりだ。そうした先例を見るまでもなく、そのあたりの細かいことは深く気にしない大らかなお国柄なようだけれど。しかしながら、捕鯨や鯨食は、古くからの伝統であり文化なのだというけれど、それはどこまで本当なのだろうか。かなり怪しさしかないような気もするのだが。

〈クールミント・ガム〉
お口の恋人、ロッテから発売されているクールミント・ガムのパッケージには、可愛らしい南極のペンギンを描いたイラストが使用されている。子供の頃にいつも見ていたクールミント・ガムのパッケージにも、やはり南極のペンギンはいた。だが、そのペンギンの背景には、そびえ立つ白い氷山や南極海に生息する鯨の姿が描かれていたのである。そして、海水面に浮き上がっている巨大な鯨は、海辺の氷の上に立つペンギンに挨拶でもするかのように盛大に潮を吹き上げている。この背景に鯨がいるペンギンのイラストは、60年の発売開始から93年のデザイン変更まで三十年以上にわたって人々に親しまれていた。よって、幼い頃に最初に見たクールミント・ガムも、このパッケージであったはずだ。ただし、子供の頃によく噛んでいたのは、クールミントよりもグリーン・ガムであったように記憶している。クールミント・ガムはミントがとても強烈で口の中がひんやりしすぎるような印象があったのだ。クールというよりも子供の口にはちょっと刺激が強烈で辛いイメージすらあったのである。しかし、鯨と潮吹きがセットになったイラストのイメージは、このクールミント・ガムのパッケージによって植え付けられたような気がしてならない。昭和40年代から50年代にかけて、鯨の潮吹きとはとても身近なものであったのである。

(2019年ごろに書いたもの。まとめる前の元々の文章はもうちょっと古い)

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