スティサート師の説法~なぜ瞑想をすればするほど、苦しくなってしまうことがあるのか?(2)穴のない鉢にならないように、要注意!
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
昨日からはまた
新しい説法を訳しています。
丁寧な瞑想指導で評判の
スティサート・パンヤーパティポー師。
スカトー寺副住職ならびに
ウィリヤダンマ・アシュラムのリーダー僧。
カンポンさん、カムキエン師
お二人の最期を看取られたお坊さまです。
今日から訳すのは
5年前に行われた瞑想会の際の説法。
毎月行われる
バンコクでの瞑想会でのものです。
テーマは
「なぜ瞑想をすればするほど
苦しくなってしまう、ことがあるのか?」
です。
今日の部分のタイトルを
「穴のない鉢にならないように、要注意!」
としました。
今日のお話のたとえは
木の苗を植える鉢。
さて、それは
何を表しているのでしょう?
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