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【無料報告記事】第15回オンライン気づきのサーラー瞑想会のレビュー

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第15回オンライン気づきのサーラー瞑想会が終了しました。

タイ仏教のコミュニティ、ウィリヤダンマアシュラムのサーラーの鐘の音に始まり、今ここの気づきのトレーニングを仲間と過ごす2時間でした。

ご僧侶の説法がアシュラムのサーラーに響く中、それをオンラインで聞きながら日本の自分の部屋で気づきをトレーニングする、時間と場所をかける会になりました。

みなさんと体験をシェアする会は「瞑想はどれくらいの長さをやるべきか?やりたい気持ちを大事にするのか?」や「瞑想の時に起こるちょっと変わった意識状態ってどんなもの?」など、気づきのヒントがいくつも出てくる時間になりました。

詳しくはこの後のレポートをご覧ください。

次回のオンライン気づきのサーラー瞑想会16は11月20日(土曜日)の開催です。

ご僧侶の読経や説法、そして気づきの仲間の気配とともに、また気づきの学びの時間をご一緒できればと思います。

チャルーン・サティオンラインコミュニティスタッフ

ひろ
さとみ
鉄平


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第15回 気づきのサーラー 🍃シェア会レビュー🍃

🌿ひろさん

 今日は3ヶ月間お寺に留まって修行する雨安居が開けた翌日の瞑想会。
昨日の夜、アシュラムで若いお坊さんが言葉を選びながら一生懸命、説法をされた。(お坊さん歴6年)

 修行の中でも『慈悲の行』のことで、自分が慈悲を持つと言うことに受け入れられない気持ちがある。例えば、誰かに良い事があった時、素直に喜べず“羨ましい”などの否定的な感情が起こると言う。自分自身も『慈悲の行』に関して、そのお坊さんと同じ様に感じるところがあり、素直に「良かったね!」と思うのはなかなか難しいと言うのが正直なところ。ご僧侶の方でもご自身の内面と向き合いながら試行錯誤しながらやっているのだなぁと、先ず内容として勇気づけられた。

 お坊さんがその感情に向き合う対策として「自分の出来る範囲でのことをやること。そうすることで、他の人がどんな良い結果であったとしても自分には関係が無い」と仰っていた。

 印象深く受けたところは、“気づき”や“ただ知る”がポイントで、先ず軸、柱になると言うことをお坊さん自身が見直されているのだなぁと感じた。その軸があって、気づきが高まっていくと、出来ることや出来ないことが観えて、それが出来た時に行動することも出来て、おそらく、羨ましいとか、なぜ自分は出来ないんだろうと言う気持ちが少なくなっていき、その先には「あー良かったねー!」「そう言う事が出来たんだね!」と言う気持ちに至るプロセスがあるのかなぁと感じた。

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🌿浦崎さん(スティサート師の説法の要約)

 丁度今、安居の時期が過ぎて、説法の内容が安居の話しから暦の話しになり、その暦は365日あるが、暦自体が仮なるものであり、太陰暦、太陽暦、それも人間が決めた仮なるものということ。例えば、今、タイはもうすぐ9時になり、日本とは時差があり示す時間は違うけれども、世界中で同じなのは、「今、この瞬間瞬間」。

 人生というのもよく「人生はドラマだ!」と話される。でも、よく見てみるとドラマでは無い。誰か演じる人がいて、誰か脚本家がいて、この人生を書いているわけでも無ければ、演じているわけでも無い。と言うお話しをされていた。
 しいて言うならば、私達は観る人なんだ。生じて来るドラマを観ている人なんだと。人生を演じているのではなく、時に、はまり込んだり、苦しみになっちゃったりするが、本来は観る人になると言うお話しでした。


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☘️Aさん
私はいつも、夜はチャルーンサティをやる様にしていて、朝は呼吸瞑想になることが多い。
今までは夜も呼吸瞑想をしていたが、結構落ち着かない。ザワザワしてしまって落ち着かないので、手動瞑想に変えたら、比較的ハマりが良くて切り替えた。ただ、いつもちょっと分からなかくなってしまうのが、どれくらいやればいいのか?みなさん、何か目安はありますか?

🍃Iさん
毎日Facebook LIVEに参加し、だいたい読経の30分を一座にして、説法の30分を一座でやってる。それが2回出来るかどうか。それを目処にしてやってます。長さ的には30分〜1時間ってところ。

🍃Gさん
以前プラユキさんに、誰かがその質問をされていて、その時は約20分ぐらい。まぁ10分でもいいと言う様なお話しもされていて、それがずっと印象に残っていて、自分の場合は20分ぐらい、毎日朝やる様にしています。

🌱ひろさん
自分もプラユキさんに同じ質問をした時があり、15分やって、20分に至るまでに少し気持ちの念で気づきが高まっていく。欲を言えば40分行うのがより望ましいと言っていた。

🌱浦崎さん
時間を決めてやるメリットと、決めないでやるメリット、どちらもあると思う。最初は、5分でも10分でもやらなきゃ!ってなるとしんどいと言う思いが出て来ると思う。
時間を決めてやらなきゃと思うと抵抗感が出て来るが、励みになるのであれば、やってもいいと思う。
時間を決めないで日常の中で1分でも2分でも、みたいな感じの気持ちでやり始めて、だんだんチャレンジで時間を増やして行くやり方でもいいんじゃないかなと思う。
何分やらなきゃと言うことに捉われがちになり抜けられなくなりがちなので、その時の自分の心がどうかと言う観察をしながらやって行くといいと思う。

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☘️Bさん
朝、手動瞑想30分、呼吸瞑想30分やっている。
家事をする時に自分が今、やっていることに気づいてやるように心掛けている。最近、自分のことで気づいたことがある。
街の中に住んでいる為、自然がたくさんあるわけでは無いが、近くに神社があり、いつもはそんなに気にならないのに、その時はすごく植物とかの気持ちがこっちに来るみたいなことを感じて、久しぶりに自然に触れた感じがした。それがすごく自分の中では嬉しくて、なんかすごくいろんなもののお陰で生きている様な感覚になり、一日がハッピーだった。

🍃Hさん
感覚的に今、この東京に戻って来たと感じることがあり、それ的には今仰った様な気持ちになることがある。

🌱浦崎さん
タイと日本を行き来している時期に、タイでは瞑想出来るが、日本では出来ないなぁとずっと思ってた。
東京に住んでいた時に、ある日、フッとあれ⁉︎お寺とか神社とかあるなぁと発見!それからは東京でも毎朝神社やお寺の自然の中で瞑想を行なっていた時のことを思い出した。

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☘️Cさん
現在妊娠8ヵ月に入ったところで、陣痛時にこれまでやってきた瞑想が活かせないかなぁと思い、大学院で出産とマインドフルネスを研究されている方がいて、その方の研究プログラムに参加している。
仏教色が全く無い西洋医学などに用いられる様なマインドフルネスで、ほとんど呼吸瞑想と同じ。ずっとチャルーンサティをやって来た為、ちょっと感じ方も違い、面白いなぁと思っている。
でもやっぱり、自分にはずっと慣れ親しんできた手動瞑想をやって来たので、呼吸に気づくとか、ボディスキャンとか、目をジッと閉じながらという形だと、どうしても気づきを保ち続けづらいなぁと思う。
今日久しぶりに手動瞑想をやってみて、やっぱり手動瞑想の方がやりやすいなぁと思いながら参加していた。

🌱Satomi
出産本番では手動瞑想をしながら産むことは出来ないので、マインドフルネスを実践しながら頑張って産んでください。

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☘️Dさん
私は正直言って瞑想の劣等生で全然続かない。毎回毎回やろうと思っているが出来ない。でも、みなさんと一緒にいると出来る。これって不思議だなぁと思う。
もちろん完璧ではなく、途中疲れて休んだりもしていたが、なんかやっぱりやりやすい。妙に落ち着くと言うか、さっきまでイライラしていたのに、ちょっと落ち着くという感じがある。
やっぱりみんなの力って強いのか?一緒にやるっていうのは強いエネルギーなのかなぁ?というのを実感していた。

🌱Satomi
このサーラーも「結局一人で瞑想しようとしても続かないよね」「みんなと一緒に雰囲気を感じながら手動瞑想をすることによって続くんじゃないか?」と言うことで始まった瞑想会なので、ぜひ毎回参加してほしい。

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☘️Eさん
最近あんまり手動瞑想は行ってなくて、主に呼吸瞑想を行なっている。
また、日常生活では、人と話す時に指動瞑想を心掛けている。
仕事の中では、お茶を汲みに行くときに歩行瞑想を入れたり、また、動作を丁寧にして感触とかに気づきを向けている。

昔はちょっとした事ですぐ凹んでいた。先日、せっかく買った飲み物が風に煽られて床に落ちてしまった。一瞬、自分と風に怒りが湧いて、落としてしまったことへの後悔が観えた。すると、まぁ、落ちたものはしょうがない。と、次の行動に移すことが出来た。そのとき、落ちた事は落ちた事と割り切ることが出来て、だいぶ成長しているんだなぁと感じた。ただ、そんな時ばかりでは無いため、実践を重ねていき、なるべく出てきたところで捕まえて、燃え広がらない様に出来たらいいなぁと思う。

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☘️Fさん
日常で気づきを間に合わせるなどのお話しはとても良かった。
瞑想の時間のお話しですが、自分の場合、自分がチャルーンサティをしているというより、誰かが行っていると言う感じに切り替わって、いつもとは違う、楽に、視力の解像度も上がってると言う感じで、誰かが手を動かしている様な感覚。珍しい体験だった。

先ほど、“観察している私”と言う話しもあったが、最近、自分がこの私を観察していると疲れるので、誰かに観察してもらうと、また違う感じで観れるので、そういうところが最近では面白いなぁと思っている。

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☘️Gさん
前々回くらいに、ハマり込んでしまうとなかなか抜け出せないことについて、みなさんからアドバイスを頂いた。嫌な気持ちが湧いて来た時にはネガティヴに捉えない。湧いて来た瞬間に気づき、ポジティブに受け止める。気分転換。それらを実践してみてひとつ思った。

仕事の中での課題があり、対応を考えているうちに結構ハマり込んでて、ハマり込む瞬間ってどんなときかなぁと考えてみた。結構、考えている事そのものではなく、それに対して自分で解釈してしまった時にハマり込んでしまうんだなぁと思った。例えば「あー、こんなことがあったからダメなんだ〜❗️」とか、「周りの人にこう思われているかもしれない。」「なんでこんなことをするのだろう?言うんだろう?」など。
なんか、そこが一つの気づくポイントなのかなぁ?と思い、そこを最近意識するようにしている。

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☘️Hさん
日常生活の中で度々思い出す嫌なことがある。それを思い出すと怒鳴りたくなる。外で思い出す出して怒鳴ったりとかして、もうどうにもならないと思っていたところに、スティサート師の「一日の中でその事について考えていていない時間もあるじゃないか。それを思い出すのがいいんじゃないか?」と言うアドバイスをされていた。
ハマり込んでいる時は思いっきりハマり込んでいる。それに対して気づきなども頑張ってやろうと思ったが、もう諦めてその時は仕方なく不愉快なままだが、その時に思い出すのがスティサート師の言葉。「一日24時間の中で、24時間ぶっ続けて考えているわけじゃないじゃないか」と。それを思い出して慰めにしている。

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☘️Iさん
最近、暮らしていく中で白か黒かの選択をすごく迫られている現代に生きているなぁという気がしていて、かつて昔はそんなことは無かったところもデットオアアライブな気がしている。それが、瞑想をすることによって、一旦立ち止まって、グレーなところもあっていいんだよと確認できるのが瞑想や坐禅のいいところなのかなぁと思う。

スピリチュアルな話しではないが、感覚的なことで言うと、自分は文献というより実践派と言う機会が多いので、体感覚的にトランスとか、光が見えるなどと言う人がいるが、あれ、本当だなぁと思う。
最近、結構な頻度であって、これも逆に抜け出さないと次が無いなと思っている。すごく気持ちいいんですよね。プールに入った後の、疲れてフワッとした布団で寝る感じと言うか、包まれた感じの自分を俯瞰している様な感じが、座ってたりするとある。それが結構頻繁に最近は出て来る様になって、ただ、それ、気持ちいいんで、ハマってしまう。
それにハマってしまうとそれで終わりになってしまうので、そうじゃないところって言うのも考えて行かなければならないかなぁ。どうなっていくのかなぁ、と言うところを見て行きたいなぁと思っている。

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☘️Jさん
ここに入る前まではザワザワしたり、頭が疲れてたりしていたが、皆さんの話しを聴いたり、気づきを共にするとすごく落ち着いて、最近悩んでいたことも忘れるくらいな感じ。

明日コミニュティの方で、アットホーム仏教講座の質問会がある。テーマが『カルマ、業』で質問を一つ書いて出した。
Q:本当の涅槃に至るためには、良い事も悪い事も、カルマ自体を無くさなければいけないのではないか?

ところが、先週のインターナショナル瞑想会で、スティサート師が偶然、「コレが答かなぁ?」と言う話しをされていた。良いカルマを作るという事一つに気づきを高め、それが最終的にはカルマ自体も越えて行くと言う話しをされていた。

自分でも、日常で良いことをしようとか、悪いことはしない様にする。
最近では、悪いことしちゃったと言うことが、昔より少しずつ減っている様な気がしている。これが本当に良いところまで行くと“無我”というものがきちんと分かったりするのかなぁと思ったりする。
ホームさんの回答が楽しみ❣️

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🌿浦崎さん
今日もありがとうございました。
皆さまの体験談をもっとゆっくりお聞きしたいなぁと思うのですが、この制限された時間の中でポイントをお話しして頂き、本当にありがとうございました。

タイでの安居。安居は、みんなのチャレンジ期間。お坊さんだけでなく在家の人にとってもチャレンジ期間。その安居が終わって、また日常に戻るわけです。仲間の大切さを学ばせて頂きました。

お坊さんの姿勢に在家の私達も影響を受けて学び、例えば三ヶ月間お酒を飲まないでおこうとチャレンジするタイ人も結構いらっしゃる。戒律とは“縛られる”という意味ではなく、“チャレンジ”するという意味がある。今後もこの期間に限らず、自分に出来ることにチャレンジして行きたいと思います。


                          (以上です)

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