パイサーン師タンマヤートラでの説法~タンマヤートラを豊かに歩くための秘訣~
今年12月1日~8日まで
東北タイのチャイヤプーム県内で行われた
タンマヤートラ(法の巡礼)で
パイサーン師がお話しされた説法が
ネットにアップされましたので
少しずつ翻訳していきます。
今日も、昨日、一昨日に続き
3日目の朝にお話しされた説法から抜粋してお届けします。
テーマは
「タンマヤートラを豊かに歩くための秘訣」
です。
はじめは皆緊張していたような2日間が過ぎ
少し慣れてきた3日目の朝。
あー、今日も歩くのか。。といった
心のつぶやきが生じてきた頃の説法ですね。
ここでパイサーン師は
タンマヤートラを豊かに歩く秘訣を
伝えてくださいました。
すぐに実践できる、秘訣です!
。。。。。。。。。。
(2017年12月03日 朝の読経後の説法より抜粋)
私たちには、共に歩く仲間がいて
食べるものもあって、目的となる地もあって
目的地までの道も知っています。
ですから、私たちに必要なものは「心」です。
実際のところ、長い距離を歩く時
障害となってくるのは
天候や自然環境なのではありません。
自分自身の心が障害となってきます。
最も手ごわい障害であり、怖いものは
私自身の心です。
私たちの心はこうささやいてきます。
「あー、もう歩きたくない。
20キロ、30キロ。。
あー、長い。いやだ。そんなに長い距離を歩けない」
そうした思考に取り巻かれた時
自分自身の心が歩く障害をなってしまうのです。
例えれば、仕事でもそうです。
いろんな仕事に取り組んでいる時に
この問題が起こるんじゃないか、
あの問題が生じるんじゃないかと
まだ実際に取り組んでもいないのに考え込んで
ちっとも前に進まない、ということがあります。
この仕事をやるには、これだけの時間がかかるはずだ。。
あー、そんなにかかるのか。。うーん。
そんな風に考えただけでも、やる気がなくなってしまいませんか?
多くの人が、仕事をに着手する前に
その仕事へのやる気を失ってしまいがちです。
それはその仕事自身が必ずしも難しいものとは限りません。
仕事自身の難しさ、容易さがやる気を左右しているのではなく
私自身の心がそうさせているのです。
もう嫌だ、やりたくない。
そのように反射的に諦めてしまう時
それは心の置き所が正しくない時です。
やってもいないこと、まだ到達していない結果に
すぐに気がとらわれてしまっているからです。
そうして、そこまで到達するのは大変だ。。
なぜなら、あれがあるから、これがあるから、、
と勝手に自分で出来ない理由、つまり障害を作り上げていくのです。
心を正しく置く練習をしましょう。
このタンマヤートラでの歩みを練習としてくださいね。
これから生じることは、初めての体験だったり
慣れていない体験だったりすることでしょう。
しかしそんな時に、「心を置く」を心がけてみると
その体験をすっと超えていくことができるのです。
タンマヤートラでの心を置く練習は
日常生活においてもすぐに活用することができます。
心をケアしながら歩く。
ケアせずに歩くと、すぐに心が重荷を抱えてしまいますよ。
体に苦しみが、そして心にも苦しみが来てしまいます。
早く着きたい、早く到着したい。。
こうした思考が生じたら、その思考に気づいていくことです。
その思考が生じているとき
「この私、この俺」が生じている時です。
思い通りにしたいという思考に囚われると、翻って
現実には早く着くことを妨げてしまいます。
私は以前に日本であるお坊さんと一緒に
行脚をしたことがあります。
そのお坊さんは、「早く着かなくちゃ、
◯時には誰々があそこで待っているので
間に合わせなくちゃ」
という感じで常に歩いていました。
休む時間もほとんど取らずにいたので
だんだん身体が悲鳴をあげていきます。
しかしその声も無視して、早く早くと歩き
とうとう彼は3日目には歩けなくなってしまいました。
結果的に他の方のお世話になって
休みを取らざるをえなくなり、
他の方の負担を増し、自分は目的地までたどり着けない、、
そういう状態になってしまいました。
タンマヤートラは、急いで歩く必要はありませんよ。
一歩一歩、休みながら歩いていけばいいのです。
足は動かしていますけれど、心は休む。
サバイサバーイ(リラックス、心地よい)で歩き
一歩一歩に気づきを持つこと。
これが心を休ませながら歩く、ということです。
早くするのは「気づき」です。
実際に目に見える一歩一歩は遅く見えるかもしれません。
しかし、勝手に思考が生じてくるとき
気づきを早めていくように心がけましょう。
これがタンマヤートラを豊かな体験とする、
あるいは幸せに歩く秘訣です。
。。。。。。。。。
浦崎感想
心を休めながら歩く。
今ここに気づきながら歩く。
いろんな表現ができますけれども
パッ、パッとリラックスしながら
一歩一歩に軽い気づきを向けて歩くこと。
パイサーン師おっしゃるように
早く歩く勝負ではなく
普段歩くペースで歩いていきます。
ゆっくり過ぎず、早すぎず。
私も自分で歩きながら実験してみました。
意識して早く歩いてみよう、と少し早めに歩いた時。
意識してゆっくり歩いてみよう、とかなりゆっくり歩いた時。
どちらもリラックスできてはおらず
すぐに体の疲れがやってきました。
早く歩くと、心は目的地にとらわれ
ゆっくり過ぎると、今度は「ゆっくり」にとらわれ。。
こう歩かなければならない!という
イメージに自分を合わせなくちゃといった感じで
不自然な歩みとなってしまっていました。
この時もまた「心が休んで」歩いてはいなかったのですね。
また一から心身をリラックスさせて
早いにも遅いにもとらわれない歩みにしてみたら
あらら!あれ?もう休憩時間?
という感じで軽やかに歩くことができました。
体は疲れていても、心は軽やか。
これかー、と自分でもすぐに効果を確かめることができた
体験でした。
さて、明日はまた別の説法にうつりますね。
お楽しみにどうぞ!
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