スティサート師の説法~法を伝える道具としてのカンポンさん(2)体はロボットであるかのような感覚
このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
今日からもまた新しい説法。
スカトー寺副住職、ウィリヤダンマアシュラム・リーダー僧の
スティサート・パンヤーパティポー師の説法を
お届けします。
昨日(2024年5月2日)の
夕方の読経後にお話しされた説法です。
ちょうど昨日までカンポンさんの
ミニ説法をお届けしていました。
ちょうど昨日は
スティサート師がカンポンさんに言及した
お話をされていましたので訳していきますね!
今回のテーマは
「法を伝える道具としてのカンポンさん」
今日の部分のタイトルを
「体はロボットであるかのような感覚」
と、しました。
今日の話は
ちょっと私たちの先入観を覆すような
お話かもしれません。
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