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【無料記事】スティサート師の説法~気づきの瞑想修行の秘訣(1)チャルーン・サティ(ティエン師スタイルの瞑想法)は本当にブッダの教えに沿っているのか?



タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。

今日また新しい説法を訳します。
今日から6月。
タイミングのいいところで月替わりになりましたので
今日は無料公開といたしますね(^^)/

登場いただくのは、再び
スカトー寺副住職&ウィリヤダンマ・アシュラム
リーダー僧のスティサート・パンヤーパティポー師。

先月5月に行われた説法のうちのひとつを
お伝えします。

タイトルが

 「気づきの瞑想修行の秘訣」

今日の部分のタイトルを

「チャルーン・サティ(ティエン師スタイルの瞑想法)は本当にブッダの教えに沿っているのか?」

としました。

スティサート師ご自身が感じられた
率直な疑問。そしてその疑問を
解いていかれる様子をお話されています。

 この記事は、継続有料マガジン
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<2020年5月3日@夕べの読経後の説法
 ウィリヤダンマ・アシュラム>

(35:26~42:24)

皆さま、こんばんは。


今日のお話は、瞑想修行についてのお話
特に気づきの瞑想についての秘訣について
お話したいと思います。

瞑想修行を実践なさっている方の
多くが関心あることだと思いますし
また有益でもあるかと思います。

この秘訣というものについてですが
それもまた各々少しずつ実践してみて
それが正しいかどうか、試してみて
判断いただきたいものでもあります。

なぜなら、各々、各人の秘訣
というものもあるでしょう。

それぞれ性格が違いますし、
方便とするものも違うでしょう。

ですから今日は、私自身の体験からくる
瞑想修行における秘訣ということを主に
お話させていただこうと思います。

秘訣ということをお話する前に
修行における課題・問題についてをお話しようと
思います。

修行者がまず陥りやすい課題・問題。

それには何があるでしょうか?

大きなもののひとつに「疑問」
があると思います。

疑問、不確かなこと。

私自身も修行を始めたばかりの頃は
疑問だったり、不確かなことが多かったです。

なぜなら、修行というイメージ。
これはタイ人に関して、と言ってもいいかも
しれませんけれども

修行とは、目を閉じて座ること。
あるいはボリカム(言葉を使った文言)を唱える。
プットーと心の中で唱える。。

または、サマーティ(定;集中)で
心を静かにさせなければならない。。

考えない、思考を生じさせてはいけない。。

そのようなイメージを持たれる方が
多いかと思います。

しかし、この気づきの瞑想。
自分自身を感じるという瞑想ですね。

これは多くの人にとって
慣れ親しんでいないタイプの瞑想法
だと思います。

瞑想修行を経験したことのある人にとっても
このスタイルの瞑想法は、最初
奇異に感じるかもしれません。

これはその、瞑想修行を表面だけみたら
という点でなのですけれども、

具体的には、この瞑想法は
目を閉じなくてもいいですし
思考を起こさないように、と思考を禁じるわけでもない。
そして、心が静かになるようにしなければならない、
というのでもなく、動いてはいけない、というのでもない。。

特にルアンポー・ティエン師が編み出された
スタイルの手動瞑想だと
手を動かしますからね。

じっとしてはいませんから、多くの人が
イメージする瞑想修行とは違う、と思うことだろうと
思います。

私自身も最初は疑問を感じてばかりでした。

このチャルーン・サティ(気づきの瞑想)で
本当に悟ることができるのだろうか?

この方法で、
サマーティ(集中)は生じるのだろうか?

この方法で
パンヤー(智慧)は生じるのだろうか?

皆さんもこうした疑問を感じたことは
ありますか?

こうした疑問が生じること。
それらは修行を始めた時に起こることかと
思います。

この方法で実践して、
本当に効果があるの?と。

これらの疑問は基本的な疑問といっても
いいでしょう。

そしてまた別の疑問もわいてきます。

実際に手動瞑想をやってみて、少しずつ
実践してみると

あれ?自分は本当に自分自身を感じることが
できているのだろうか?

という疑問です。

サティ(念:気づき)があるの?ないの?
自分自身を感じているの?感じていないの?

正しく瞑想がやれているのだろうか?
間違っているんじゃないだろうか?

と、自分自身の瞑想修行について
疑問を感じることがあります。

先ほど申し上げた
瞑想法そのものに関する基本的な疑問。

それらはブッダが伝えられたことが記されている
書物を読むと、疑問が解決していくことでしょう。

私自身も疑問に思っていました。

動きを通して、気づきを高めるということ。
体の姿勢を通して、自分自身を感じるということ。
それは果たして
ブッダが本当に教えたことなのだろうか?

そのように疑問を感じて
マハーサティパターナスートラ(大念処経)を
読んでみました。

すると本当に書かれているんですね。

腕を伸ばすとき、自分自身を感じる。
腕を曲げるとき、自分自身を感じる。

前に歩くとき、自分自身を感じる。
後ろに歩くとき、自分自身を感じる。

左に曲がるとき、右に曲がるとき。。

ものを食べるとき、飲むとき、
話すとき、何かを考えるとき、など
具体的に大念処経に
書かれているのでした。

これは私自身
学問、知識というレベルにおける
疑問の解決になりました。

ルアンポー・ティエン師が伝えてくれたことは
ブッダが伝えてくださった教えに沿っている。。

ブッダが伝えていないことを
ティエン師が新しく伝えているのではなく
変な教えを新たに付け加えて
教えておられるのでもないのだ。。

そのように私は疑問を解決することが
できたのでした。

ティエン師が編み出された手動瞑想の14の型。
それ自身は、ひとつの型として
方便としてのものであると。

私たちが日常においても、練習しやすいように
工夫された方便なのだと理解できるようになりました。


             (続く)

。。。。。。。
浦崎感想

    このnoteを継続購読してくださっている方は
 すでにご存じだとは思いますが

 スカトー寺で推奨されている瞑想のスタイルは
 ルアンポー・ティエン・チッタスポー師という
 お坊さまが編み出された手動瞑想、
 そして自然なスピードで歩く歩行瞑想です。

 いずれも動きを伴いながらの
 瞑想法なので一般的な瞑想法とはちょっと違った
 スタイルですね。

 スティサート師の手動瞑想実践の
 動画がありますので、15分バージョンを
 以下に紹介しておきますね。



    私自身も最初は、
 この動きは何だろう?と不思議に思いましたし
 どんな意味があるのだろう?とか
 ブッダが手動瞑想を教えられていたはずはないから
 この瞑想法で大丈夫なのだろうか?

 と感じたこともあります。

 しかし、この疑問はおそらく
 誰しも生じる基本的な疑問なのだな、と
 今日のスティサート師のお話を伺っていて
 感じました。

 大念処経。
 私たちが今、ウィリヤダンマアシュラムでも
 唱えるお経の中にもこのお経がはいっていて、
 たしかに体の動きを通して、自分自身を感じる方法が
 具体的に書かれています。

 なるほど、これのことかーと思いながら
 ひとつひとつ、ブッダが伝えられた教えの真意を
 確認していく大切さもまた
 教えていただいている気がします。

 さて、今回の説法は
 瞑想修行の秘訣。

 スティサート師はほんとうに正直に
 修行で感じられたことを伝えてくださるので
 私自身もハッとするお話が多いです。

 ともに学んでまいりましょうね!
 


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