スティサート師の説法~修行において皆が経験すること(3) 観る人が生じてくると、観られるものの中に「私」を見つけ出すことができなくなる
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
ご登場いただくのは、再び
スカトー寺の副住職でウィリヤダンマアシュラムの
リーダー僧
スティサート・パンヤーパティポー師。
月一回のバンコクでの瞑想会
先月(2020年9月)にお話された説法を
今日から訳します。
説法のテーマは、
「修行において皆が経験すること」
です。
今日の部分のタイトルを
「観る人が生じてくると、
観られるものの中に『私』
を見つけ出すことができなくなる」
としました。
知ること、感じること、観ること。
細やかで丁寧な言葉を使われる
スティサート師の説明が
今日も光ります!
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