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【無料記事】カンポンさんへのインタビュー by ニー仏さん《2015年10月19日》 (1)私が絶望を感じたときに、はじめて支えになったもの

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タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。

ご登場下さるのはかなり久しぶりの登場。
いまは亡き
カンポン・トーンブンヌムさんです。

カンポンさんはお坊さんではありませんでしたが
全身麻痺の障害を負いながらも
気づきの瞑想で心を鍛え、人生の後半を
苦しみなき状態で歩まれた稀有な方です。

カンポンさんは2016年に亡くなられましたが
今なおカンポンさんの生前の説法は
多くの人に読まれたり、聞かれたりしています。

今日から訳す説法は、
日本の方がカンポンさんへインタビューされたときのものです。

インタビュアーは、
『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)などの
優れた著作を書かれたニー仏さんこと魚川祐司さん。


ご存じの方も多いと思います。

実は、魚川さんがやっていらっしゃるツイキャス
(twitcasting) にカンポンさんが登場されたことがあるのです!

2015年10月、当時タイに住まわれていたニー仏さんが
カンポンさんの静養先を訪れてくださいました。

その時のツイキャスが残っています。
カンポンさんが亡くなられる約半年前の音声となります。

ニー仏さんの許可を頂きましたので
noteでも記録として大切にアップしていきたいと思います。

この音声の存在を知らない方が
多いかと思うので、秘蔵(?)音声です(^^)/

2本ありますので
カンポンさんのお声も聞きたい方は以下からどうぞ。

http://twitcasting.tv/neetbuddhist/movie/209501493

(タイでカンポンさんと)


 (タイでカンポンさんと2)


まずは
カンポンさんと2の方から少しずつ訳していきます。

名インタビュアー・ニー仏さんの鋭い質問あり
カンポンさんの絶妙なお答えありの
貴重なインタビュー内容となっています。

お楽しみください。

本日は最初ですので、
全文無料で公開しますね。

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http://twitcasting.tv/neetbuddhist/movie/209785000

(0:01-10:58)


ニー仏さん  →(ニ)
カンポンさん →(カ)
浦崎     →(浦)

(ニ)では、そういうわけでよろしくお願いします。
 
   今日も当然カンポンさんがタイ語でしゃべってくださって
   浦崎さんがタイ語から日本語に通訳してくださいます。

   基本的なことだけざっとご説明しておくと
   カンポンさんという方は、タイでは実はすごく有名な方で

(浦)はい。

(ニ)浦崎さん曰く、タイの乙武洋匡さん、ぐらいの感じで。

(浦)はい(笑)

(ニ)有名な方で。テレビにも出たことありますよね。

(浦)はい。

(ニ)あと、映画にもなってるんですよ。カンポンさん。
   映画になってて、タイ国中で有名だし、
   あとラジオ番組にも出られたりして。
   
   でも今は、体調が一時非常に悪くなって
   あんまりメディアには定期的には出ていられない。

(浦)そうですね。もう出ていないですね。

(ニ)ただ今日はわりと、体調が良いということで
   出ていただいているということです。
   カンポンさんは、今年63歳になるのかな?

(浦)60歳ですね。

(ニ)今年60歳。

   元体育教師だったんだけど、プールの飛び込みのときに
   脊髄を損傷して、全身が不随になった。

   今、手は結構動くようになっているんだけれど
   とにかく車椅子で、一時は絶望されたんだけれど

   そこから仏教の気づきの瞑想をされることで
   ご自分だけじゃなくて、周囲の人にも元気を与えるような方に
   なっていかれた、ということですね。
   
   今は、肝臓のガンになられて、ターミナルつまり
   末期の状態だったんだけれど、余命3か月のはずがもう
   1年生きていらっしゃる。

   それでは基本的なことからなんですけれど
   日本人の方のために、同じ説明もしていただきたいんですけれど

   カンポンさんが、はじめて
   全身が不随になったというときに、
   すごく絶望されたと思うんですけれど

   そこから元気を取り戻すきっかけになられたのは
   どういうことで元気を取り戻したんでしょうか?

(カ)そうですね。
   はじめのきっかけですか。
   
   私はもう一生障害者として
   生きなければならないのだ、と知って
   その時はもう心が折れてしまったような
   感じでした。
 
   悲しくなりました。
 
   しかしそれもなお、私が生きようと思えたのは
   母ですね、そして父です。

   とても大切でした。
   このお二人がいてくれたこと。
   
   お二人の様子を観てみると
   私以上に苦しんでいたんですね。

   父と母、それが私にとっては
   とても大切な存在でした。

(ニ)お父さんとお母さん。

(カ)母が言ってくれた言葉がありました。
  
    「そうなっちゃっても
    また元に戻ることができるよ。治るよ」

   と。 また父が言ってくれた言葉もありました。
 
   「大変ではないよ。
    障害を負って生きなければならなくったって
    幸せになることはできるんだからね」

   そんな言葉を語ってくれて
   私を励ましてくれました(笑)

       そうやって父も母も励ましてくれたわけですが

        両親は、私たち兄弟が小さいころから
  何か病気になったり、不注意でケガをしたときにも
  決して責めることはありませんでした。

       体に痛みやケガあっても
  心まで苦しみを増やすように、圧力をかけるということは
  なかったんですね。

       ですから、私が全身麻痺の障害を負うことになっても
  それ以上に私の心を苦しませるような言動を
  することはありませんでした。

       その姿を見ていましたから。

       私も自ずと励まされ、生きる勇気が湧いてきました。

        両親からの励まし、周りの人からの励ましというのは
  とても大切ですね。

     兄弟姉妹たちもそうでした。(訳注:カンポンさんは5人兄弟2番目)

     誰も私を責めることはありませんでした。

(ニ)自分で自分を責めちゃったり、というのは
   なかったんですか?

(カ)はい、ありましたよ。

           自分で自分を責めるということは
           ありました。

            私は大きな過ちを犯してしまった、、と。

            私自身、両親からの期待を
            受けていましたからね。
   
           その期待に沿うことが
          できなくなってしまいました。

   私は自殺したい、という思いにはなりませんでしたが
   
   よく私、聞かれるんですね。
 
   事故に遭った時、自殺を考えましたか?

   ってね。

   でも私は、自殺は考えたことはありません。

   なぜなら、もし私が自殺を考えるようなことがあれば
   一番大変な思いをするのは
   両親だと思ったからです。

   もうその時だって、両親は十分
   苦しんでいたんですから
   自殺を考えたり、自殺しちゃったら
   彼らの苦しみをさらに大きくさせてしまうだろう。

   そうなったら本当に酷いことだ、、と
   思っていましたね。
                (続く)

。。。。。。。。。
浦崎感想

  今から6年前の懐かしいツイキャス。

  この日は、私がはじめてツイキャスというものを知った日でも
  ありました。

  ニー仏さんに教えてもらって
  「ここからでもラジオのように配信できるんですよ!」
  ということで、急遽カンポンさんのインタビューが
  はじまった2日間でした。

  カンポンさんのこれまでを振り返り
  当時どんな心境であったのか。

  カンポンさんが気づきの瞑想の実践に取り組む
  前の様子を今日の部分では語られています。

  事故後、生き続ける力となったのが
  両親の存在であり、兄弟姉妹などの周囲の人だった。

  これは本当に正直なお気持ちだっただろうと
  思います。

  私自身、カンポンさんのお父さん、お母さん
  お姉さん、妹さん、弟さんの方に
  もお会いしたことがありますが

  皆さん穏やかでやさしく
  いわゆるタイの大家族の普通の方たちだなあ、と
  感じていました。
 
  経済的には貧しくても
  心のつながりを大切にしている。

  そんなご家族の姿勢が
  カンポンさん一大ピンチのときの
  生きる支えとなった。

  そんな姿が感じられます。
  
  明日からもこのインタビュー。
  文字起こし続けていきます。

  カンポンさんのタイ語を改めて聞きながら
  日本語文字起こしをしていますので
  通訳時の表現とは若干違うところもありますが
  ご了承くださいませ。

  では明日からもどうぞ
  お楽しみに。

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