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スティサート師の説法~観察する人 vs 監督する人 (4)結局のところすべてが「症状」である


このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。

スカトー寺副住職で
ウィリヤダンマ・アシュラム、リーダー僧の
スティサート・パンヤ―パティポー師の説法を訳します。

今回の説法のテーマは

「観察する人 vs 監督する人 」

です。

今日の部分のタイトルを

「結局のところ
 すべてが『症状』である」

としました。

カムキエン師が
何度も伝えてくださったというこの言葉。

智慧ある眼で観えてくると
どんなふうに観方が変化していくか。

今日もまた
丁寧な解説が続きます。

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