カムキエン師の説法~もし私が気づきを捨てなければ、気づきは私を見捨てない(1)ただそれは、見せてくれているもの
このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
今日からは新しい説法を訳します。
2015年8月23日に亡くなられた
スカトー寺前住職
故カムキエン・スワンノー師の説法です。
今月8月は
カムキエン師の誕生月でもあり
ご命日がある月でもあるため
スカトー寺、そしてバンコクの
スワンモーク・クルーンテープにて
師の遺徳を偲ぶイベントがいくつも開かれています。
ちょうど今8月20日は
朝から大きなイベントが開かれています。
生前のカムキエン師の説法も
たくさんアップされております。
そのうちのひとつを
訳していきますね。
今回の説法のテーマは
「もし私が気づきを捨てなければ
気づきは私を見捨てない」
です。
今日の部分のタイトルを
「ただそれは、見せてくれているもの」
としました。
パイサーン師、プラユキ師、カンポンさん、スティサート師ら
多くのすばらしい弟子たちを育まれた
カムキエン師。
師の足跡から学ぶ月間にちなんで
私もささやかですが
訳を通して法を伝える実践をしてまいります。
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