スティサート師リトリート中の説法~お話と日本の方からの質疑に応えて(15)「ただただ知る」というのは、五蘊(ごうん)がひとつひとつ観れるということを言うのでしょうか?
このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
スカトー寺副住職で
ウィリヤダンマアシュラムのリーダー僧
スティサート・パンヤーパティポー師のお話です。
今年のゴールデンウィーク
5月1日から5日まで
ご縁ある日本の方がアシュラムに来られての
瞑想リトリートを開催いたしました。
今日からは
2日目の朝のプログラムの部分を
訳していきます。
今回のテーマは
「お話と日本の方からの質疑に応えて」
今日の部分のタイトルを
「『ただただ知る』というのは
五蘊(ごうん)がひとつひとつ観れる
ということを言うのでしょうか?」
と、しました。
今日は
EさんとFさんの質問です。
学びをどんどん
咀嚼しようとなさる姿勢。
本当に大切ですね。
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