カンポンさんの説法~がっかりした時こそ挑戦のはじまり(13)思考に気づいても、思考にひっぱられたり、もっと考えたくなってしまいます。どうしたらいいいのでしょうか?
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
登場いただくのは、お坊さんではありませんが
お坊さん以上の働きをなさった
故カンポン・トーンブンヌムさん。
事故で全身麻痺の障害を負い、失意のどん底から
仏教・気づきの瞑想実践の出会いを経て
心の苦しみを超えていかれた方です。
60年の彼の人生の歩みや生き方、
一点の苦しみもない笑顔や、
ご自身の体験に基づいたわかりやすい説法に
励まされる方は、今なおたくさんおられます。
生前になされた珠玉の説法は
まだまだたくさんありますので
そのうちの一つを訳していきます。
説法のテーマは
「がっかりした時こそ挑戦のはじまり」
今日の部分のタイトルを
「思考に気づいても、思考にひっぱられたり、
もっと考えたくなってしまいます。
どうしたらいいいのでしょうか?」
としました。
今日も質問者のお答えに応じてくださる
カンポンさん。
どのような答えが返ってきたでしょうか?
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「月刊:浦崎雅代のタイの空(Faa)に見守られて」
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