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カムキエン師の説法~もし私が気づきを捨てなければ、気づきは私を見捨てない(2)何が生じても、無駄がない


このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。

2015年8月23日に亡くなられた
スカトー寺前住職
故カムキエン・スワンノー師の説法です。

今月8月は
カムキエン師の誕生月でもあり
ご命日がある月でもあるため
スカトー寺、そしてバンコクの
スワンモーク・クルーンテープにて
師の遺徳を偲ぶイベントがいくつも開かれています。

生前のカムキエン師の説法も
たくさんアップされておりますので

そのうちのひとつを
訳していきますね。

今回の説法のテーマは

「もし私が気づきを捨てなければ
  気づきは私を見捨てない」

です。

今日の部分のタイトルを

「何が生じても、無駄がない」

としました。

サティ、気づきについての
カムキエン師のお説法。

こういう視点で
お話が展開していくのか、、と

これまた
納得の内容です。

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