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あるチベット尼の気づき:居心地よさを求めて、居心地がわるくなる


タイの森の寺、スカトー寺の住職

パイサーン・ウィサーロ師のお話をタイ語から訳しています。

私がとても好きなお話。
今、ここで心からリラックスして生きる
ヒントあふれるお話の部分を
リライトして無料記事としてアップします。

 (この記事で
  cakesの第2回クリエイターコンテストに応募します☺️)

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(2015年9月27日 夕べの読経後の説法より抜粋)

時間がなくなっていったあるチベット尼の話


こんな話があります。

昔、チベットに
ある尼(女性の出家者)さんがいました。

その尼さんは、森で修行をしていました。

所有しているものはほとんどありません。
衣くらいのものです。

彼女は、時おり
その衣をヘビに食われて、
穴が開いてしまうことがありました。

穴が開いてしまうと、
村人にお願いして針と糸を貸してもらい
穴をぬいました。

しかし、穴をふさぐとすぐにまた
ヘビに穴をあけられてしまいます。

衣は当時、
あまり手に入らないものでしたから
特に大切にしなければいけません。

彼女はだんだん、衣を自分でぬうのが
わずらわしく感じてきました。

布をぬってばかりいたら、時間のムダだわ!
修行の時間がなくなっちゃう!
と、思い始めるようになりました。

そして、
どうしたらいいだろうと、解決策を考えます。


ふと、あるアイデアが浮かびます。

そうだ!
ネコを飼って、ヘビが近づかないようすればいいんだ!

そして、村人にお願いして、
ネコを1匹飼うことにしました。

ネコを飼い始めたら、次にまた
問題が発生しました。

ネコにミルクを与えなければなりません。
また村人にお願いして、ミルクをもらいました。

托鉢(たくはつ:村の中を歩いて食事をもらいに行くこと)
に行ったときに村人にミルクを分けてもらい、
ネコに毎日あげました。

しかし毎日ですから、
村人に申し訳ないと思うようになりました。

そして次にまたアイデアが浮かびました。

そうだ!
ミルクを出す牛を飼えばいいんだ!


そうして、今度は村人にお願いして、
牛を一頭もらって飼うことになりました。



牛をもらうと、今度は
牛が食べる草を用意しなければなりません。

その草を集めていると、また飽きてきました。
時間もなくなっていきました。

また何とかしよう、とアイデアを考えました。

そうだ!
自分の代わりに、草を集める人をお願いすればいいんだ!


また村人にお願いして、人を紹介してもらうよう頼みました。

尼さんが勉強を教えてあげるから、
かわりに草を集めてほしいと条件をつけると
12歳くらいの子が興味をもってくれました。

その子が来たときに、また問題が生じました。
尼さんと一緒に暮らすことはできませんから、
その子が住む小屋が必要になります。

尼さんは、その小屋を村人と一緒に作っていました。

ある日
悩みを抱えたある人が、彼女のもとを訪れました。
そして相談事をはじめました。

彼女はイライラしてこう答えました。



「私は忙しいの! 時間がないのよ!
 それがわからないの?

 この子が暮らすために小屋をつくらなくちゃいけないの。
 それは、草を集めるためにやっているの。
 草を集めないと牛がちゃんと育たないし、ミルクが出なくなる。
 ミルクが出ないと、ネコにやらないといけないから困るでしょ。

 ネコがいてくれたら、ヘビがよって来てこないし
 ヘビが寄ってこなければ
 私の衣に穴をあけることはないんだから!」



と言いました。

しかし尼さんは、あれ?
説明していて、はたと気がつきました。



そうだった、、、
はじめは衣に穴があいて
つくろうのがめんどうで始めたんだった。。

なんで私は、こんなに自分を
忙しくしてしまっているんだろう?

なんでそんな小さな問題を、
自分でこんなにも大きくしてしまっているのだろう?

もう、やめよう。


その後、彼女はネコも牛も飼うことをやめて
元のシンプルな修行生活に戻りました。

すると、十分な時間が生まれました。

時々、ヘビに衣をかまれることがあっても、
今の彼女は気づきをもって、
笑顔で丁寧にその穴をつくろうことができます。



幸せな時間です。


穴があいたら、またつくろえばいい。
シンプルに、それだけでいい。

そう気づきました。
何も不満な気持ちが起こりませんでした。

以前は、
穴があかないように、ヘビにかまれないようにと、
いろいろと防衛策を考えて
頭も行動もグルグルと思考が渦巻いてしてしまっていました。



穴があいたなら、その時また直していけばいい。
そうしたら一針一針衣をぬう時間も、
修行の時間であると気づいていきました。

かつては、布をつくろう時間は修行ではない、
時間のムダだと思い込んでいたのです。

この話は、とても考えさせられます。



居心地よくしたい、という思いが強すぎると
居心地よくするための様々な行いが、
人生を忙しくしてしまうからです。



心地いいことをしたい。
心地いい場所に住みたい。
心地いい家が欲しい。
暑さも寒さもコントロールできるエアコンが欲しい。

食べ物もいつでもおいしいものを食べたい。
いつでも簡単にどこへでも行けるようにしたい。
なるべく歩かないで。
なるべく疲れないで。



居心地よさを求めて、居心地わるくなっていく


しかし
この居心地よさを達するためには、お金が必要です。
ですからお金をかせぐために、時間を使う。

居心地よい家を買って、ローンを長期間組む。
それを払い終えるまで、ひたすら働いて返す。

小さな家では、満足できなくなり
もっと大きな家を買って、もっと大きな額のローンを組む。
そうなると、ますます時間が無くなっていく。

居心地よさを求めたのに、
それによって、
居心地がどんどん悪くなっていく。


そういうカラクリがあるのです。

最後には、休む時間もなくなり
家族と一緒に過ごす時間もなくなってしまいます。

私たちは、なぜ仕事をするのでしょう。
居心地がよくなるためですよね。
なのに、結果、居心地が悪くなる。
どういうことなのでしょう?

これは私たちが、「問題」をどうとらえるか
ということに関係してきます。



尼さんは、衣に穴があくことを「問題」ととらえていました。
しかし、彼女は今、それが苦ではなくなりました。

必要以上に問題化してしまうことの方が
問題でした。

解決を外側に求め続け、
自分をますます忙しくしていきました。

本当の問題は、
それを不満に思っていた内側の方だった。。
それに彼女は気づくことができました。

何かを問題ととらえる時
外側に解決を求めることだけに
目を奪われてはいけません。

はたして心の方はどうなのか。
心を調整していくだけで、解決することがあるのです。
その視点を持つようにこころがけてみましょう。

忙しさから解放され、
シンプルで心も軽やかになります。

ブッダは、「適切な居心地よさ」を伝えています。
居心地よすぎると、体が怠けてしまったり
好きなものばかりを食べて
ひいては寿命を短くしてしまいます。

あるいは、寿命は短くならなくても
人生の中でわずらわしさが増えてきます。

時間がない!時間がない!と
たくさんの人が口ぐせにしています。

時間はどこにいってしまったのでしょう。


昔は、今よりかなり不便だったのに
時間は豊富にありました。

生活水も汲まなければならなかったし
ご飯を炊くのにも時間がかかったでしょう。
移動する際にも、歩いていきました。

不便な生活をしている村人から、
「時間がない」
という言葉は聞いたことがないですね。



便利な生活の人は、
「時間がない、時間がない」
と嘆いています。



子どもと一緒にいる時間がない。
家族と一緒にご飯を食べる時間がない。
休む時間がない。
好きなことをする時間がない。

時間はどこに行ったのでしょう?
過度な居心地よさを求めることで
あなたの時間を奪っていないでしょうか。

どうぞふり返ってみてください。

。。。。。。。。。。



浦崎感想

私もこのチベット尼さんのように
居心地良さを求めて、居心地悪くなってはいないだろうか?

そんなことをふりかえさせられた
お話でした。

何かがあることを想定して準備するのは

大切なことかもしれませんが

それを恐れの気持ちいっぱいのままで行うと
自覚のないまま、忙しさが増してしまうのかもしれませんね。

今ここで、やっていることに
気づきを向けることこそ修行。

普段から、心がけていきたいものです。


応援やサポートをいただくたびに、これからも翻訳や執筆を続けていこう!と励まされています。