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スティサート師の説法~修行とは、生じてきたことから学ぶこと(8)手動瞑想や歩行瞑想。それらは何のために行なうのでしょうか?


このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。

スカトー寺副住職で
ウィリヤダンマアシュラムのリーダー僧である
スティサート・パンヤーパティポー師。

毎月1回バンコクの
タムディールンロート会館で行われている
1日瞑想会。

そこでの先月(8月)の説法を
お届けいたします。

説法のテーマは

「修行とは、生じてきたことから学ぶこと」

です。

今日の部分のタイトルを

「手動瞑想や歩行瞑想。
 それらは何のために行なうのでしょうか?」

としました。

瞑想修行の原点を
思い出させてくれるお話。

そして
実践していくことで
自ずと出てくる結果についても
言及くださいます。

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