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【無料記事】第9回オンライン気づきのサーラー・レビュー


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4月24日に第9回オンライン気づきのサーラーが終了しました。

タイ仏教のコミュニティ、ウィリヤダンマアシュラムのサーラー=集会所の鐘の音のもと気づきのトレーニングの仲間たちとチャルーン・サティをする1時間を過ごしました。

みなさんの体験や疑問をシェアする時間には、「気づきがあるからこそ感じる、気づいている自分が消える不安」や「職場でプレッシャーを与えてくる相手との関わり方」などこれからも振り返りを続けたい大事なテーマが共有されました。

詳しくはこの後のレポートをご覧ください。

次回のオンライン気づきのサーラーは

5月26日(水曜日)の開催です。

この日はタイ仏教3大祭りのひとつ、ヴェーサック祭りの日です。

ご僧侶の読経や説法、そして気づきの仲間の気配たともに、また気づきの学びの時間をご一緒できればと思います。

チャルーン・サティオンラインコミュニティスタッフ

ひろ
さとみ
鉄平


気づきのサーラー9回目(シェア会) 

 参加者19名(内スタッフ3名)

シェア会ででたお話の要点です!

🌿Aさん
・東京は緊急事態宣言が出たためマイナスな面にフォーカスしがちだ。
・日本人が宇宙へ飛び立ったニュースを見て、未来への希望にもフォーカスすることも忘れてはいけないと思った。


🌿Bさん
・人の心は完全に分かるわけではない。
・でも人の心を分かろうとすることは出来る。
・人の心を分かろうとする人って凄いなぁと思った。
・プラユキ師のダンマパダに参加した。


🌿Cさん
・周りに悩まれている方がたくさんいる。
・自分はこの様な瞑想会に参加させて頂いているので、過去のことをクヨクヨ悩んでも仕方がないと言ってしまうことがあるが、それでいいのか?

(s)教えてあげたいなぁって言う気持ちが起こっていると言う理解でいいか?

・相手の気持ちを楽にしてあげたい。
・でも言ったとしても返って傷つけてしまうかもしれない。
・だったら黙って聴いてあげるだけでいいのか?

(s)これはスティサート師の受け売りだが、助けてあげたい、苦しみを除いてあげたいという気持ちは心から思う気持ちなので先ずは自分でちゃんと自覚すること。とても大切なこと。
友達の立場だと、今言ってる言葉が「教えてあげる」という感じだと、そんな感じに受け取られ兼ねない。
言葉じゃないと思う。
その方のそばに、今ここでただそばに居るって感じ。
その時に、素直に心からフッと出てきた言葉だったら、同じ言葉でも相手は素直に受け取ってくれるかもしれない。
今ここにいて、その方とともにいるってことをしっかり実感した上で話すというのはありだと思う。
その方のモヤモヤした感情と一緒にいるという練習をする。
もし、それを言うタイミングではないと思ったら、黙って。
もし聴くのが辛いなぁと思ったら、「今ちょっと聴くのが辛い」とその人にフィードバックしてもいい。

・“寄り添う”だけでいいんですよね?

(s)その姿勢が伝わっていればいいと思う。


🌿Dさん(初参加)
・仕事場で長い間話し合いをしても、毎回お互い怒ってしまう結末に至ってしまう方がいる。
・話し合おうとしても感情としては、お互いに分かって貰えず、毎回、お互いに納得出来ない形で終わってしまう。
・その様な関係を何とか改善したい思いで、プラユキさんのサイトに出逢い瞑想を続けている。
・今日は、何とかこちらから怒りを爆破させることはなかったが、この後はどうすればいいのかわからなかった。
・いつもは家族に話しをするが、話しをしても堂々巡りになる。
・今回、サーラーに参加して良い方向性が見つからないかなと思い参加した。
・憎しみの気持ちを相手に見せてしまうこともある。
・相手が憎しみの気持ちで来た時に、「なんで⁉︎」となってしまう自分がいる。
・お互いの怒りの根っこが違うのかなぁと
・一緒にやって行くのか?別れるという選択もある。
・別れるにしても気持ちよく終わりたい。

(s)当日はアドバイス出来ずに申し訳ありませんでした。
瞑想を続けていることにより怒りを爆発することがなかったとのことで、
そこで一歩仏道の道を歩まれている成果が現れているのではないでしょうか。その後の動き、考え方についても、仏教を正しく学ばれることと瞑想を続けて行くことで、玉ねぎの皮の様に、自らの不要な茶色の皮が徐々に剥けて行くことで、自ずと答えが見つかるのではないかなぁと思います。瞑想実践頑張って下さい。
 (この場を借りてFBさせて頂きました🙏S.H)


🌿Fさん
・手動瞑想を始めて1年。
・始めは半信半疑だった。
・最近、脳波計で脳の状態を観てみた。
・普段行っている静かに座る瞑想の時は上がったり下がったりするが、
手動瞑想では良いスコアが出た。
・自分で落ち着いていたと思ってたことが、実はそうではなかったことがわかった。
・次に普段の瞑想で、すごく調子が良いと思ってやっていたが、スコア的には悪く、次に少し良い加減にやってみたら良いスコアが出た。


🌿Gさん
・カンポンさんのご命日でスティサート師とアチャン・トゥム、今日の黒木さんの話しを聴いて、自分の気づきを高めていくトレーニングを淡々と続けていこうと改めて思った。
・ツッコミを入れたくなる場面に、思い留まっていられるのも仏教の学びがあるお陰だと思っている。
・カンポンさんの2冊目の本に黒木さんが書いた
『カンポンさんに会う時は自分がどう見られているかをあまり心配しないでよかった。目の前の人をそのまま見てそのまま話す人だった』という感想に感動した。


🌿Hさん
・みなさんはこの様な体験をしたことがあるのかを聴いてみたい。
・歯を磨いていたとき、突然何か“これは自分じゃないな”みたいな怖いイメージ、この先どうなっちゃうんだろうな?みたいなことがあった。
・この様な感覚は、瞑想をしていると起こることなのかなと思い、みなさんも体験したことはあるのかなぁと思い訊いてみたい。

(s)自分を意識した時にそれが無くなったらどうしようという恐れを感じたことはあります。これは思考とリンクしているなぁと感じる。
“この私がある”と強く思う事で、“なくしちゃったらどうしよう”と感じたり、生老病死へ向かう時の変化する時に対する恐れを感じたことはある。
恐れが出て来たことを感じたら、私は体に戻ります。
そして“あ、生きてる、生きてる”みたいな。

・スティサート師に質問した時も「体は自分の自由にならないから、自分のものではない」と言われたが、イヤ、でも違うだろうといつも思っていた。
・イヤ、これ、私のですよ。って。
・でも突然歯を磨いていて、突然来たんですよ。
・これ、自分じゃないってことが突然来たから、え⁉︎これだったらみんな怖いんじゃないかなって思って。
・逆に、いるのにいないみたいな感覚に襲われたから。
・テーラワーダに小さい頃から培っていれば当たり前のことなのかもしれないけど、自分は準備が出来ていないので。

(参加者さんより)
道場で武道の型をやっている時にそんな体験をすることがある。
武道は型を決めたらその型を自然に練り込んで行く。
そうすると、考えることなく体が勝手に動く
それを続けていくと、勝手に体が動いちゃうみたいに感じる。
それをあんまり続けて行ってしまうと、頭がちょっとズレる。
一瞬自分じゃない様な感じになり、気持ち悪い感じになる
そのあとて自分に戻すために自分の頬を叩いたりして確認をして終わるのがセオリー。


🌿Iさん
・仕事の会議で人の話しを聴いている時、自分が気にしていることを話されていたりすると、その他の話しを聴いてなかったりすることに気づくことがある。
・それが最近感じたことが、人の話しを聴く時に、気づきを持って聴くことって大事なんだなと思った。
・それが出来てないことが多いので、そこを意識していきたいなと思った。


🌿Jさん
・眼を開けて手動瞑想をする理由は日常の練習だよとスティサート師が言ってた。
・自分はいつも白い壁を観て手動瞑想しているが、今日は映像を観ながらだったので、適度なお経の音や、少し動く感じが、ちょうど手動瞑想と日常の間ぐらいになってて、日常に近い感じで練習できている感じでいいなぁと思った。
・お経の切れ目に雑念が浮かんでくるなぁ、と思ったら手に戻して。


🌿Kさん
・初めて参加
・NHKの心の時代、私も拝見しました。
・すごく良かった。
・箕輪先生とアスリートの為末さんが、まさに仏教の確信というか、
・気づきが大事だということを凄く強調されていて、
まさに浦崎さんから聴いていたこととか、
カンポンさんがお話しされていたこととか、
マインドフルネスと変わらないなぁと、
今でもまさに通用することをよく話されていて、
分かりやすく嬉しかった。
・今日は初めて指の瞑想も含めてやってみた。
・手動瞑想も指の瞑想もそれぞれ良し悪しがあるなぁと思った。
・指の方は入りやすいが、気づきを体に戻すということでは手動瞑想の方が戻りやすいと思った。
・すごく感銘を受けたことが、悩んでいる人に寄り添うだけでいいんですか?の質問に、浦崎さんが「その姿勢が伝わっていればいいと思う」ということを仰ってて、黒木さんが「カンポンさんが目の前の人に全力で評価しないで安心していられるのがすごく良かった」と仰ってて、キリスト教の神父さんの話しに通じた。
・キリスト教のインマヌエル=神と共にいる、寄り添うという意味。
・問題解決で寄り添うことが大事だということで、自分の中でそれって普遍的というか、いろんな文化圏、宗教間的にも普遍的に繋がるような話しの様な気がして感動して聴いていた。


🌿Lさん
・最近コロナ離婚などという殺伐とした様なことをよく耳にする。
・うちの家族は逆に、統一性が元々無くバラバラな性格だったりしているにも関わらず、多様性が一致して家の中にステイホームしていくっていう中で、みんな適当に穏やかになったという様な経験が出来ている。
・コロナで大変な思いをされてる方々には失礼な言い方になるかもしれないが、何かしらの現象によって得るものはあるのかと思う。


🌿Mさん
・NHKの心の時代の箕輪先生の仏教瞑想論を読ませて頂き素晴らしい方だなと思っていましたが、為末さんもかなりマインドフルネスを研究されている様だと思った。
・禅のお坊さんがコロナの時代で心をどう持ちましょうかの連続のシリーズをやっている。
・キリスト教も含めて心の時代さんがこのコロナをどう生きるかという形で、生きるってことはどういうことなのかということを、それぞれのケースと立場から見直して、マインドフルネスからの視点でもそう言う場面が出てくるということが、皮肉ではあるが、善い教えがそういった形で残るといいんじゃないかなぁと思っている。
・noteでスティサート師が『サマタ』と『ヴィパッサナー』の違いが本当に分かりやすくて理解も進み感動している。
・今日の瞑想ではハンドスキャンとボディスキャンとかをやっていて、指の感覚や周りの騒音などに気づいて、感じとり、それを観るを意識してやっていた。
・鬱の主婦の方がパンの生地を練っている時が一番落ち着くということがサマタ的なことに通じるものがあるのだろうなぁと思った。


🌿Oさん
・今の自分を感じるというのが基本かなと思う。
・今日はタイのサーラーの中を子供さんがウロウロしてたりしているのを観て、ゆるゆる座っていてもいいんだなぁと思った。
・お話しを聞かせてもらって、言葉で伝えようとしている。
・そうすると言葉の世界ということができてしまい、
そこにドップリとはまり込んでしまうと息が苦しいと思うことに気づく。
・そこから離れると、息がしやすい世界が待っている。
・息がしやすい世界に来ると、いろんなことに寄り添うことができる感じがする。
・息苦しい世界にいると、寄り添うつもりになってるが、実際は寄り添ってないというか、形だけでやってる感じがある。
・まず自分がここにいることを実感して体に戻ったりして、息がしやすい世界に行かせてもらって
・そこで寄り添って、ただ側にいるって感じで、
息がしやすい世界と息苦しい世界を行ったり来たりして時は進んでいるのかなぁと思う。
・そういうことにちょこちょこ気づいて行くこと
そういう積み重ねがとても良いとスティサート師も言われてたので、そうだなと思った。
・日常の小さな気づきをとっても大切にしている。

                         (以上です)

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タイ仏教、主に森の寺スカトー寺住職パイサーン・ウィサーロ師の説法を中心にタイ語から翻訳。東北タイ、カオヤイに住む浦崎がお届けします。

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