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パイサーン師タンマヤートラでの説法~不便な中でやりやすいこと、便利な中でやりにくいこと~


今年12月1日~8日まで

東北タイのチャイヤプーム県内で行われた

タンマヤートラ(法の巡礼)で

パイサーン師がお話しされた説法が

ネットにアップされましたので

少しずつ翻訳していきます。

今日も、昨日と一昨日に引き続き

タンマヤートラ2日目の朝に

お話しされた説法からの抜粋です。

今日のテーマは

「不便な中でやりやすいこと、

 便利な中でやりにくいこと」

としました。

ずっとこのnoteをお読みくださっている方は

もうこのタイトルだけで

ピーンとくるかもしれませんね!

さて、それは

どんなことでしょうか?

タンマヤートラでの一つひとつの体験は、

皆ここに収斂されるのかもしれません。

。。。。。。。。。。
(2017年12月02日 朝の読経後の説法より抜粋)

心は、鍛錬せずに放っておくと

勝手に自分をの心を苦しませるものを探して

それを増幅させようとします。


心を苦しませるものと出会うと

もっと戯れたり、じゃれあったり、引き寄せたくなるのです。


しかし、体は逆です。


体は、苦しませるものと出会うと

すぐに引き離し、手放そうとするのです。


熱い火を触ってしまったとしましょう。

その時、体はどうしますか?


火は熱いと知らない幼い子供であっても

パッと火から手を離すでしょう。


足もそうです。

石を踏んだり、トゲが刺さったりすると

すぐに足をそこから離そうとしますね。


よく洞察してみてくださいね。

体は苦しませるものに出会うと、それを排除しようとします。


体と心は、このように真逆なのです。


例えば、好きな音楽を聴いていたり、好きな映画を見ていた時に

誰かの携帯電話の音がしたとします。

どこに心は向いていきますか?


携帯の音は嫌だな、と思うでしょうね。

なのに、その音ばかり気になってしまいます。


今もそうですよ。

今皆さん、説法を聞いていますけれども

上で撮影しているドローンの音が気になって仕方がない、、

という人がいるかも知れませんね(笑)


嫌いな音の方に、心を何度も何度も近づけてしまう。

そしてどんどん苦しみを膨らませてしまうのです。


どうぞそんな時には、

心を苦しませない機会にしてみようと

自分を試してみてください。


音が生じても、「嫌だ!」と拒否せずに

手放してみる練習です。


邪魔だな、という思いが生じたら、それに気づいてみましょう。


そうすると苦しみを観る人になり

苦しみにはまらずに居られるようになりますよ。


寒さ、熱さ、疲れ、痛み、煩わしさ、、


それらの外側のものに出会っても

心にまで苦しみが生じないことを鍛えることができるでしょう。


私たちは自分を感じ、自分を知り、

気づきが間に合っていくことで、心が鍛えらえていきます。


心の鍛錬のやり方は、体に学んでいくことです。


苦しみが生じたら、それを手放す。

ただ観る、ただ知るだけで十分ですよ。


タンマヤートラの歩みの中では

いろいろと不便なことが生じてくるでしょう。


トイレ、寝る場所、人の多さ、暑さ、寒さ。。

それらに出会っても

普段は便利さを享受することが多いので

心を鍛えずに済んでしまうのです。


不便さに出会った時に、自分の心はどのように反応するのか。

そして心苦しませずに、手放していけるか。


そうしたことをこのタンマヤートラの中で

鍛えていきましょう。


もうだいぶ明るくなってきました。

説法を終わりましょう、

という自然からの合図が来たようですね(笑)。


それでは今日もまた、一歩一歩

気づきを忘れずに歩んでまいりましょう。

                (終わり)

。。。。。。。。。。。。。。

浦崎感想


より便利に、快適に。。

それらを疑わずに普段生活していると

見えてこないもの、鍛えていきづらいものがあるのだと

タンマヤートラに参加して、より実感します。


心を鍛える、というとどこか抽象的ですけれども

物理的に不便な環境に身においてみると

すぐに自分の心がどう反応するかが観えてきて

「あ、これが苦しみか!」と

自分の心の動きが手に取るようにわかってきますね。


自分の心が作る苦しみ。

私自身、今回の自分の心の動きで学んだことがありました。

タンマヤートラでは、何百人も歩いているのに

場所によっては、休憩場所にトイレが1つしかないこともありました。

その情報を参加する前に聞いたとき、

「えー!大変。トイレを我慢しなくちゃいけないかも。

 大行列になって、私我慢できるかなあ」

という思考が頭をよぎりました。


でも、実際に歩いてみると、

私のその不安は杞憂に終わりました。


なぜなら、参加している何百人が一気に

同じ時間にトイレに行きたいとは限らないからです。

ほぼ5キロごとに休憩場所がありましたので

行きたい人もいれば、行かなくても大丈夫な方もいる。


体の調子も人それぞれで、

無理しすぎないペースで、歩いているのを感じて

「あー、あの心配は自分で勝手に作り上げていた

 イメージだったんだ」

と気づきました。


現実と思考は違う。

そのことを、何度もこのタンマヤートラの中で味わいました。


不便さの中にいる方が、学びやすいものがある。

タンマヤートラが終わり日常に戻った今でも

この学びはしっかりと生きています。


さて、明日からはまた

新しい説法を訳し始めますね。

タンマヤートラの旅、一緒におつきあいください!

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