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父の靴下

きょう、病院に行って、帰ってきた。
看護部さんから「これはもう不要のものです」と、最初に入院したときの下着一式を返された。
人工呼吸器をつけて2週間。
もういらないのか、今はいらないのか。
家に帰って母と下着を整理していたら、靴下があった。
ちょっと毛玉がついたアーガイルの紺色の靴下。
お父さんの肉体を感じた。
涙があふれた。
もういらないのか。今はいらないのか。
父の肉体が消えることを認められない。
母も泣いている。
お父さんかわいそう、かわいそう、かわいそう…。

まだ生きてるんだ、それなのにこんなに悲しい。
身近なひとの死をうけいれることはこんなに難しい。

友達の励ましのメールに「貴重な学びの時間だから大切に過ごすよ」と返した。
その通りだけど、耐え難い緊張がある。
しかしそう思って検索すると、私と同じ気持ちで父母の命をみまもる人たちが大勢いる。
コロナ禍でもっと緊迫した状況のなかで苦しんでいる人がいる。
老親でなく子どもの命のことで悩んでいる人がいる。
戦争で身に迫る危険に震えている人がいる。

知らなかった、知らなかった、知らなかった…。

全部ほんとうのことだ。

母には泣いた方がいいよ、と言っている。
悲しみはあらわさないともっとつらくなるから。
母は嗚咽している。父の下着やコートを抱きしめている。
涙はつきないが、それでもずっと泣いていることはできない。
呼吸はいずれととのってくる。

いつか自分も死ぬのだと思う。
今泣いている、母をも送り出すのだと思う。
その瞬間とその後のことを考える。

お父さんの靴下はまるまっている。
母は泣き止んで、それをいつもと同じように箪笥にしまった。

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