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いちダンサーの、第一子出産の記録〜出産は波乗り〜〜

自分のための記録として。記憶が新鮮で暇なうちに、残します。痛くないとか言ってるけど、産後1日経過した今はバリバリ、筋肉痛や縫合部の痛みに襲われています。。

9/9
予定日超過2日目。翌日が満月なので、その日に産まれたらいいなってなんとなく思ってた。
午前中、野川公園まで歩く。川のそばや芝生の上を歩き、少し踊ったり。今まで何だかんだ言って、自分のことや家のこと、やること、ばかり優先で日々を過ごしていた気がして。この日また新たに、お腹の子と二人きりで過ごす時間をつくって「一緒に産まれよう」って、伝えられた気がする。
2時間半ほど歩いて帰宅。そうめんを準備。
昼食後、1時間半ほど昼寝。
夕方近所まで買い物。夕飯作る。
空き時間は本を読んだりしていたかな。
思えばこの頃から、陣痛は始まっていたかもしれない。うんちをぐっと出したくなる感覚が、訪れ始めていた。
夕飯を食べ終わって20:00。いつもならちょっとテレビ見てまったりするけど、お尻の感覚が座っていられず、すぐに食器洗い。20:30、アイスを食べながらSF映画鑑賞が始まっていたが、まったく集中できず。これは前駆陣痛ってやつかもしれない。とりあえずいつもと違う感覚が起こっているので、横になったり適当に過ごすよ〜と家族に伝える。
21:00、たまの鈍痛を感じつつ、「陣痛」検索しつつ、うつら眠る。
22:00、シャワーしようと起き上がる。シャワー中も鈍痛がやってきていた。
各種マッサージ済ませて布団に入る。なんとなく、入院グッズ確認をしたかも。
23:00だったか23:30だったか、あたりから、鈍痛のカウントを始めると、きっちり約7分間隔。
9/10の0:30。
眠れるか眠れないかと言われれば、眠れないなこれは。という判断で、病院に電話。症状など伝え、帰宅になる可能性もあるが、一度検診で行くことに。夜間病棟か〜。車で向かう途中、雨が降り出した。
1:10病院着。まず内診。子宮収縮はあるけど子宮口はまぁ前回よりは開いてますね、程度。
モニターチェック。やはり一定間隔で訪れる陣痛。夫に腰をさすってもらっていた感覚を思い出しながら、自分でさすって耐える。40分間と言われていたが、20分ほど経ったところで入院を告げられる。
pcr検査、鼻ブスっとやって結果待ち。Osonoさんのファーストアルバム聴きながら過ごす。
3:00前頃、陰性結果でようやくLDR室に移動。
湯船浸かったり食べたり飲んだり、できるうちにしといてくださいねーと言われ、置き去り。
とりあえずベッドに横になり、コロコロを使って陣痛に耐える。いけそうだったので湯船に浸かる。浸かってる間は少し楽に。あがって持参したおにぎりを数口かじっとく。塩かけるの忘れた。
4:00過ぎから陣痛が強くなっていたのかなぁ。というか部屋が暗いし夜だし眠いし、ナースコール押さない限り誰もいないので、自然と瞼を落とし、半睡状態でひとり過ごしていたと思う。寝て起きて痛み逃しの繰り返し。お尻のとこにテニスボールを当てるっていうのがよく言われていたけど、わたしはいまいちだった。とにかく脱力する方向。あと、身体中のホルモンというかリンパがバグってる気がして常に浮腫みが激しい感じだったので、リンパ節をゴシゴシするのが自然と痛み逃しになってよかった。部屋中を歩き回ったりもしたけど酔いそうになってやめたり。四つ這いで歩き回って、そのまま床で寝たり。いろいろ自由に試せたかな。
5:30頃助産師さん来て、陣痛の強度は増してることを伝え。触ってもらうだけで、身体が落ち着いたのを覚えている。6:00になったらまたモニターしますね、と告げられて再び一人に。
相変わらず半睡状態で、でもほんの一瞬、深く寝ちゃったんだな。で、あ!って思ったらグッと力んでしまって、水風船がパッシャン!て割れる音が股でして。わたし大パニック。羊水撒き散らしながらトイレに駆け込み下を脱ぎ、もうめちゃくちゃ。バスタブの非常ボタンを押すが反応なく。ベッドのナースコールを押して「ゆうさんどうされました?」「はっ破水しましたたぶん、ウ“ーーッ!!!」これがたぶん、5:45頃だったのだと思う。
助産師さん来て、子宮口を見てもらう。「9cm、、、!ゆうさん、もう9cm開いてる!ちょっと待ってね!!!」助産師さん顔面蒼白。そこからもうドタバタガッシャン。
助「9cmだけどまだ何も準備できてないの!来れる人全員来て!!!」「〜さん、授乳指導一旦ストップこっち来て」
私「う“ーーーッ」
助「まだだよ、まだだよ、はぁーーっ」
私「はぁーーっ。」
波にひたすら耐える。
「痛いよね、もうちょっと待ってね、りらーっくす」
痛いよね?と聞かれて、や、痛かないです。とどこかで冷静に考えた。陣痛からそうだったけど、わたしの感覚では終始、出産は痛みではなかったと、はっきり言える。出ようとするものを出す。アドレナリンも含め、これはただただ、生理現象なのである。
分娩Goサインが出るまでの間の、自分の雄叫びが凄すぎた。出そうとして出る声ではない。これもまた、出てしまう、声。わたしの声であるれけど、もっと脈々と繋がれてきた、生命誕生の声、だったと思う、、!
気づいたらベッドが分娩台になっていて、オーディエンスも勢揃い。
、、じつは事前のイメージというか意気込みとして、入院してからLDR室での陣痛〜出産までは、助産師さんズに向けた8時間のパフォーマンスと思っとこう。と考えていた(なんだそれ)。バースプランはテクシート。音源も適当に用意して。これ以上延長にならないといいなという希望で。実際は無観客暗闇の病室で半眼で悶えるただの妊婦でしたね。でもついにコアタイムきたッ!て感じ。

子宮口10cm。テクチームもようやく準備が整ったらしい。(オーディエンスなのかテクニカルなのか)
助「もう赤ちゃん自然にゆっくり降りてきてるから、いきみたくなったら力入れていいですよ。」
波乗りもクライマックス。訪れる胎内の波に、身体が震えながら勝手に応えている。
声はもう、そんなに出ない。必要がない。
手足末端の痺れがけっこうあったので、休息タイムで手首足首ぐるぐる、指をぱらぱらで分散。
「はい今吸って、吐いて、りきんで〜〜」
ていう誘導に従うイメージあったけど、もはや無く。とにかく身体がわかっている。なるようになり、助産師さんたちはひたすら見守ってくれた。「すごい!ゆうさんすっごい上手!!そうそう!」「お尻だけよじらないでちゃんとつけて」て感じで褒められて伸びるわたしの本領発揮。
必要な時だけ数回いきんで、「頭が出てしまったあとは、体はもう自然に出てくるよ」と教えてくれた。どぅるどぅるんと体が出て、びしゃーっと羊水が出て。なんともかわいいかわいい産声が聞こえた。
赤ちゃんが出る少し前に、産声録音できますよとわたしのスマホを手にとってくれた方がいたので(これもテクシートのおかげ)、冷静にスマホの解除番号を伝えたら、数人が笑ってくれた。股全開、頭見えてる辺りだもんね。

赤ちゃんが出たあとは、直ちにさまざまな処置が行われる。ひとつずつ何が行われているか、過程を教えてくれたけど、まず臍の緒を切った感覚はわからなかった。
胎盤はお腹を押してもらって、ずるっと出てきた。胎盤見たいと希望を出していて、とりたて朝一を見せてくれるイメージしてたけど、「いったん計測しますのできれいにして後ほどお見せしますね」と言われ胎盤退場。何事も計測&清潔が肝心ヨネ!

赤ちゃんを束の間、胸に抱かせてくれて写真撮ったり。
痛かったのは、むしろこの後。
会陰切開はせずに済んだのだけど、結局内側を縫わなくてはならないのだね。麻酔して、縫合の時間がそれなりに長くて。ていうか麻酔をしていようが、触れ方の雑さとかってわかるものなのですよ。やっていただいてるのに申し訳ないけど。イテッ。とか漏らしちゃった。この時間がわたしにとっては一番苦痛だったかなぁ。
セッション相手も(着地)それぞれの仕事を済ませると「お疲れっした!」て感じで次第にはけていき、「9cmです!」の時からいちばん励まし続けてくれた助産師さんが、その朝の最後までケアをしてくだすった。もう忘れられたかも、と思いつつ、「あの、胎盤ってまだ見られますかね、、」と聞いたら、持ってきてくれた。厚手のビニール袋に入って胎盤再登場。助産師さんと一緒に、臍の緒と胎盤のさわり心地や色味を、ビニール越しにしばし楽しむ。わたしの体内で生成され、赤児を育て、放出されたたんぱく質。医療業界では産業廃棄物扱い。ビニール袋に入った我が胎盤を手に持つと、現代医療と自然分娩が手を繋いだひとつのカタチって感じで、あれはあれで感慨深かった。(写真撮り損ねた)
あとは、凹んだお腹を見て触って、確かなひとつの終わりを実感。拳大くらいの出っ張りがあって、これが子宮ですよ、触れるの今だけですよと教えてくれた。
自宅で本陣痛と判断できたのを23:30として、陣痛から7時間。破水から40分。分娩自体は20分くらいだったのかな。
十五夜満月を迎える日の朝、快晴の出産でした。

最後に、出産に立ち会ってくださった助産師・小児科医の皆さま、応援してくれていた家族・友人たち、産道を出てきてくれた息子に、心から敬意と感謝を。

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