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桜の頃を忘れず

今年の春に看護主任になった。
一般的に考えると昇進、ということになる。
これまでの行動を評価してもらえたのは素直に嬉しい。
しかし、今まで以上に考えること・悩ましいことが増えたのも事実である。
春、この桜を見ながら主任としての立居振る舞いはどのようなものか、理想を描いた。
現実は容易くはないが、理想をもって、希望を失わずにいきたい。
備忘録として、このnoteを始めてみた。
誰かの気づきの一助になれることがあれば幸いである。

今年の3月に、主任へ推薦することを師長から言われた。
「うららさんを主任にって推薦します。後日部長と面談があるからね」と、有無を言わせない様子だった。
特に深くも考えず、私は主任になった。
後悔はしていない。
教育は元々好きだった。後輩育成について考えるのは楽しい。
しかし経営についての知識は皆無だった。
今でも苦手意識が強く、研修を通して知識としては知ることができても。実践には程遠い。
主任になって5ヶ月が過ぎたが、まだまだ名ばかりである。

なぜ決意を新たにしたかというと、同部署でもうひとりの主任をしていた先輩が退職されたからだ。
中途半端な時期に申し訳ないとは言っていたが、家庭の事情とあっては致し方ない。
むしろ、家族のためなら退職時期など構っていられないと思うため、先輩のことは個人的に応援している。
話は逸れたが、つまり私の所属部署は主任が私だけになったということだ。
先任でいた先輩は看護師としても7年ほど先輩であり、私自身も慕っていた。
その人がいなくなることが発表になって病棟が震撼するほどのカリスマ性もあった。
彼の後を担うとあって、私自身も研鑽に努めなくてはならないと感じている。
一般内科 3年、脳神経外科 2年、循環器内科 6年目、となった。
知識はある方ではない、と思っている。
技術が突出してできるかというとその自信もない。
どうやら人柄枠で昇進した気がしている。
先輩のようにカリスマ性はない。
先輩のようになれるとも思っていない。
私なりのスタイルを築いて、スタッフも患者さんも過ごしやすい病院つくりに貢献できたらよい。

そう思って、自分のことを書き留めようと思った。
そんな私だが、新人の時は何回か仕事をサボったことがあるし、患者さんの命には関わらない範囲で手を抜くこともあった。
今、働き始めて辛い思いをしている新人さんには、自分の心を守りながらうまく乗り越えていってほしい。
大丈夫。なんとかなるものだから。

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