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韓国俳優のファンミに思うこと②ファンミとは

本当はファンミに行きたいのです。でも物理的な理由でそれは叶いません。
本当はどうしても行きたいのです。それを前提に書きます。

アラフィフの私が小さかった頃、というか20代半ばくらいまでは、アイドルや俳優といった芸能人は、テレビや映画の画面、または雑誌や写真集などの印刷物を通して見るものでした。バンドや歌手であればライブがあったでしょう。でも彼らは常にステージの上にいるのであって、自分と同じ目線に、しかも目の前に来てひとりひとりに握手やハイタッチをしてくれるなどということはありませんでした。

しかし昨今、日本や韓国のアイドルや俳優を見ると、ある程度ファン層が固まった芸能人はみな「ファンミーティング」と呼ばれる催しを開催しています。
社会と関りを持たず、ほどんどテレビも見ない私は、完全に世間の流れから外れていて、このような社会現象に気づかずにいました。

しかし時は流れ、いつの間にか芸能人は、ファンひとりひとりと相対すべき存在になっていたのです。

よく考えたら、このような芸能人のあり方は、AKB48が活躍し始めたころに確立された気がします。
握手会(当時はまだハイタッチではなく握手してもらえる時代でしたね。)に参加したいがために、同じCDを何枚も購入するオタクの姿をワイドショーで見たことがあります。
そのときは、どこか別の惑星の生物くらいにその人たちのことを見ていたのですが、今になって分かるのです。

あのアイドルオタクの人たちの気持ちが!

もし経済的に許されるなら、私も推しのカレンダーを何冊も買って、何度もハイタッチ会に並んだでしょう。
目の前で見てみたい!推しの手に触れてみたい!その一心で、歳も忘れて馳せ参じたでしょう。

でも、よく考えてみてください。
1日で延べ1万人とハイタッチする芸能人の側を。

それは、小舟で太平洋の荒波に漕ぎ出でるが如し。
タッチしてもタッチしても次から次へと押し寄せる波。

芸能人にとっては丸一日の大航海でも、ファンにとっては一瞬の出来事なので、そこに命かけて(命までとはいわずとも、かなりそれに近い心境で)行くわけです。
ハイタッチ会と言っても実際には、ひとりひとりのファンとのミニコミュニケーションの場になるわけです。
あるファンはハングルで自分の名前を書いて行き、あるファンはカフェ巡りで買ったグッズを持って行き、あるファンは思いっきり日本語で話しかける。母国語ならまだしも日本語で、しかも方言で話しかける人もいるでしょう。

コミュニケ―ションの神様でも相当疲れます。

「あれ、今の何だったかな?」と思って笑顔が消えた瞬間に、次の人が目の前にいたりするので、一瞬も気が抜けません。笑顔が消えた瞬間にハイタッチされた人は相当へこむでしょう。だから常に笑顔で優しく微笑んでいないといけないのです。

どんなに人が好きでも相当疲れると思います。
好きとか嫌いとかの問題ではなくて、人のコミュニケーションの能力の範疇を超えてるわけです。

私だったら絶対無理。
100人くらいのところでめまいがして倒れているかもしれません。

でも私の推し君は1日で延べ1万人をやってのけたわけです。
しかも次の日にはコンサート2回。
疲れた顔など見せずに、すべて完璧なコンディション。(インスタで動画見てる限りですが)

その超人的な体力と能力に、本当に頭が下がります。
すごいよ、推し君、あなたは。
(続く)




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