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プリクラと社会性

およそ1年ほど前に、ダウ90000の演劇公演「また点滅に戻るだけ」を配信で見た。
それまで名前こそ知っているもののどんな内容の作品を世に送り出しているか知らなかったので、興味本位でチケットを買ってみた。
内容はさておき、自分と同世代の人達ならではの小ネタが要所要所でふんだんに散りばめられておりその度にクスッと笑える、はずだった。
いかんせん全体を通してピンと来なかったのだ。
そもそも舞台がゲームセンターで、プリクラを巡って軽快なやり取りが繰り広げられるのだが、自分の場合中学校から地元でないところに通っていたので昔馴染みのゲームセンターもなければ思春期に友人達とプリクラを撮ったことすら一度たりともない。むしろそういったものはキラキラした青春を送った人達のためのものであって、休み時間ですら外に出ることなくクラスの隅っこでひっそりと自分の空間を紡いでいたような人間には全くもって縁のないものだと決めつけていた。今となってはこうした二元論に落とし込んで自ら分断を生んでいた過去の自分にすら呆れているのだが。

ともかく、一緒に出掛ける友人すらまともにおらずただひとりだけで楽しむ術のみを身につけ、苔が山ほど生えてきそうなほどじめじめした世界を生きてきた自分が、齢27にして職場の同期らとプリクラを撮ることになるのだから人生は分からないものである。
無数のマルチバースのどこを探しても見つからないようなビジュアルに加工された自分の顔の奥深くに隠された困惑の表情をぼんやりと眺めながら、生きていればこういう世界線も交錯するものなのかと未だに驚きを覚える。

職場に見学に来てくれた学生さんから、「どういう方が採用されていますか」「共通点はあると思いますか」と問われることがよくある。
むろん自分は採用担当者ではないので断定的なことは言えないのだが、これらの問いについて考えれば考えるほどなぜ自分が採用されたのかますます迷宮入りする。あちこちで自分のことを「ドラフト最下位」や「飛び道具枠」などと半ば自虐するように形容して話しているが、他の同期と自身を比較したうえで心の底から自らをそのように思っているのもまた事実である。働き始めて間もない頃から知識面も技術面も誰よりも劣っているどころか社交性も人間的な器も欠けていると感じてきたし、多彩な魅力に溢れたメンバーの中にひとりどこを切り取ってもポンコツの烙印を押さざるを得ないようなアラサーを加えてみようとなった経緯を教えてくれと幾度となく思ってきたことか。
一方で、知識や技術だけでなく人間としての部分も足りていない自分が周りから多くのものを吸収できる環境であるというのも、これまた今感じていることでもある。
目の前の業務に対する姿勢。貪欲に知識や技術を習得せんとする向上心。他愛もない会話の応酬。次々にアイデアが出てくる企画力。
長らくひとりの時間軸を生きてきて積み重ねてきた方法論でしか仕事もプライベートも生きられなかった自分が、周りにいる同期ひとりひとりの個性より醸成されている強みから学び刺激を受け今まで足を踏み入れたことのない世界に連れて行かせてもらっているように思う。
意外とプリクラもそのひとつなのかも知れない。

宇多田ヒカルの「道」の『人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』という歌詞が以前にも増して強く刺さる。
少なくとも今自分は置かれている環境に感謝し、不足している社会性を少しずつ補おうとしているのは周りに生かされている証なのだと思う。この先またひとりで突き進むとなった時、その足取りが以前より確かに強く逞しくなれるように今できることを真摯に取り組みたい。そんな気分だ。

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