人間の暇と退屈について哲学の考え方から書かれた本


暇と退屈の倫理学を読みました。オードリーの若林さんが帯を書かれていてそのフレーズが

國分先生、まさか哲学書で涙するとは思いませんでした...

上記だったのでタイトル買いならぬ帯買いしました。自分の理想の生活と共通する部分が沢山あったので、自分の解釈などnoteに残していきます。

1つ目の結論

個々人にとって暇と退屈について理解はもちろん、付き合い方も異なるので本書を読んで自分で考えて欲しいというものだった。一概に趣味も仕事も性格も異なるから何かをしなさいとは言えないよなぁ。

2つ目の結論

贅沢すること。浪費を受け取ることである。
必要の限界を超えて物を受け取ることを本書では浪費と定義している。
物の受け取りには限界があるのでどこかで止まることになる。

相対する概念として消費を挙げていて、観念を対象としていつまでも終わらないもので消費を求めれば満足が遠のくと書かれている。

浪費の具体例でいえば僕にとっての知識欲が浪費の対象になるだろうか。
自分にとっては可能の限り摂取したいが能力を超えた量や概念の難解さによって限界が訪れるから。

消費の具体例であれば理想の生活だろうか。広い家と赤い高級な外車と綺麗な嫁がいて毎日贅沢な飯を食べているのが仮に理想の生活だとする。
すると満足を求めて消費すれば逆に退屈になりそうだ。まぁそんな生活をしたことがないから分からないが。
無いものねだりの、僕にとっての酸っぱいブドウなのかもしれない。

贅沢するには訓練しなくてはならない。
例えば英語を話したいと思えば、単語を覚えたり英会話に通うなど教養を身につける努力をするなどだ。

3つ目の結論

動物になること。
1つの環世界に浸る高い能力を持ち、とりさらわれている状態になることと定義している。

若林さんの別の著書(表参道のセレブ犬)で書かれていた"没頭"と同じ意味だろうなぁ。
僕にとっての詰将棋も「動物になること」が発生しやすい趣味なのよ。

読んだ自分の感想としては

何かに没頭するのは素晴らしいこと。
それが満足を得れる(足るを知る)ことが出来るものならなおさら良い。

上記のような自分の気持ちを上手く文章にして似たようなことを考えていた先人が居たことに感動した。

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