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新しい君が来たから君とサヨナラする

その日、私は子供のようにワクワクしていた。まるでクリスマスにサンタがやってくる時のように。

仕事から家に帰って夫が作ってくれた3日目のポテトサラダをアレンジした料理を2人で向かい合っていざ食べようとしていた時。

ピンポーン

来た!
季節外れのサンタがやってきた。家のチャイムの音に狂ったように吠え出す愛犬たちをドードーと抑える私に代わって夫が玄関へ向かいサンタさん、もとい配達のお兄さんから荷物を受け取った。

「〇〇 〇〇さんにお届け物です」

今時珍しく丁寧に下の名前まで言ってくれたが間違っている。昔はよく間違われたけれど、久しぶりにそんなふうに間違われたわ。なんて聞き耳を立てながら愛犬を抱えていた。

ガチャとドアが閉まると箱を持った夫に「お誕生日おめでとう」と言われプレゼントが入った段ボールを受け取った。

欲しかったものがもう私の手の内にある事でワクワクは募るばかりだがとりあえずご飯だ。夫が作ってくれた夕食を食べお風呂に入り、準備万端にしてから丁寧に封がされた段ボールを開封した。

段ボールを開けて出てきのはリンゴのマークが描かれた箱。それを見て心がときめいた。

その箱から出てきたのはiPad。
iPad 第9世代。

私はいつのまにかアップル製品に囲まれるようになっていた。iphone、MacBook、apple watchそしてiPad。
「やっぱアップルはええなぁ」とか言う気はないけれど、使い慣れているというのが一番だ。今から新しい事を覚えるのは労力がいる。しかし、使い慣れてはいるが使いこなせていないので宝の持ち腐れというやつだ。

iPadが欲しいと思ったのは、1番にnoteを見たいと思ったからだ。いつもnoteはスマホのアプリで見ているが、スマホだとシンプルに画面が小さい。たまにパソコンで見る時もあるけれど、ブラウザ版のnoteがあまり好きではない。画面に対して情報量が多いのがなんだか扱いづらく感じてしまう。

iPad版のアプリがあると知った時、ちょうど良さそうと思った。私は持っていたiPad Air第1世代の検索窓に「note」と入力し出てきたアプリをインストールした。何度ボタンを押してもインストールされない。古い機種だからいよいよおかしくなってしまったかと思いながらよくよく見ると〇〇バージョン以上が対応ですと書かれていた。

私が10年前に買ったiPadはもうアップデートする事ができなかった。動画を見たりする事は今でもできるのだが新しいアプリを取ることができないものも多く、もうこのたった10年しか経っていないiPadが使えないのかと落胆した。

夫が1年前に買ったiPad Airを指差しながら俺の使ったらいいよと言ってくれたけれど、noteを書いていることは知っていても何を書いてるか言ったことがないもので、万が一ログアウトし忘れて見られたら小っ恥ずかしい。それだけは避けたいから「いい、いい」と即座に遠慮した。そして私は新しいiPadを日々夢見ることとなった。

欲しいと思ってから何ヶ月が経ったろう。
YouTubeでiPadを紹介する動画を見たり、何の気無しにAppleのホームページをのぞいてみたり。諦めきれない性格の私はねちっこかった。

iPad 無印という存在を知った。
無印ってなんだね?と思ったら AirでもないProでもないノーマルなiPadのことだった。それを無印と呼ぶそうだ。その新しく出た第9世代。

64Gが39800円という金額を見た時、安いっ!と思った。けれどよくよく考えてみると我が家の経済状況で4万円が安いわけがない。AppleのiPadというブランド、元が高いので安く見えてしまうという錯覚に過ぎない。

私は更にこのiPad第9世代のYouTubeを見続けた。夫にまた見とん?と言われるほど見続けて、遂に先月誕生日で買ったら?と言ってくれた。

ありがたくその話を受け入れる事にしたが誕生日と言えど4万円は高額なので、自分で半分は出すということにした。

とりあえず買う事を決めて電気屋さんに訪れた。その時初めて知ったのだが、何軒まわってもどこにも売っておらず品薄状態だったのだ。

その安さからかなり人気なようだった。私の周りに学校に通う子供いなかったので無知だったのだが、今は学校やらで使うのでそっちにごそっといっちゃうんですよ的な話も店員さんにされた。なるほど、今の子はこんな高価なものを使って勉強してるなんて幸せだなと思いながらすぐ手に入ると思っていた私は困り果てた。何ヶ月も待たされて誕生日が過ぎてしまうかもしれないなと諦めていた。

電気屋さんにApple Storeで買うのが1番早いですと言われて、その日ホームページを見ると2週間後予定というので速攻で注文した。


それが遂に届いたのだ。ちゃんと2週間後に。私の誕生日はまだ少し先なのだけれど。

iPadの箱を前にして、開けちゃっていい?誕生日まで待った方がいい?とウキウキしかなり鬱陶しいだろうくらい夫に詰め寄るが、待てないでしょ?と一言言われそそくさと開封した。

箱を開けてiPadを取り出す。
美しい。
事前に買っておいたケースを取り付けフィルムを貼る。YouTubeでオススメを調べて買っておいたものだ。

画面とフィルムの間にゴミが入り米粒くらいの気泡が浮かび上がっていた。フィルム貼りには完敗したが光が点けば問題ないので全て無かったことにした。

iPadの設定を終え、私はnoteのアプリをとった。スマホのアプリの大きい版として私が求めていたもののような気がして嬉しい。読みやすい気がするし書く時も以前買った折りたたみキーボードを使って書けそうだ。

良き良きとニマニマする。

他にも、このiPad一つで本を読んだり(本は紙派だが)、動画を見たり、絵を書いたりできる。絵が壊滅的にヘタな私でも可能性は無限大だ。


新しいiPadの君と戯れていると私の目に入った10年前から一緒だったiPadの君。
私が貧乏性な性格からか高額なものは丁寧に扱ってきた。ずっと使ってきた君も新しいiPadとは姿形がわからないほど美しい状態だ。

できればモノは壊れるまで使いたい。ずっと使い続けた君に「もう無理だよ」と言われるまで使い続けたかった。けれど、そんな気持ちは無視して壊れる前に使えなくなるものもあるのだなと君を見てしみじみ悲しくなった。

君の行く末はまだ決めてないけれど、もうすぐ君とのお別れの時かもしれない。
今までありがとう。

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