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この先も住み慣れた家で暮らすために

私の住む街は坂道だらけだ。家に帰るには急な坂を上る必要がある。家に着く頃には息も絶え絶えに呼吸は乱れふくらはぎの筋肉はいつも悲鳴をあげている。

昨年引っ越して来たばかりだというのに、夫はもう既に「引っ越したい」と坂を上る度に言う。
正直なところ、この街を気に入って住んでいるわけではなくて、家を購入する時に妥協案として選んだ場所だった。

そんな坂を仕事に行く平日は毎日下ったり上ったりして、それはもはや修行の日々である。


ある日私は仕事帰りにその坂を上っていた。車が1台通れるくらいの幅の坂を上り始めると目の前に買い物バッグがそこそこに膨らんだ荷物を肩にかけたおばあさんが歩いていた。私の前をゆっくりとそして時々立ち止まりながら歩くおばあさんを斜め横に見て歩きながら考えた。

荷物持ちましょうか

この言葉をおばあさんにかけるかどうか。

私もおばあさん程ではないが多少の買い物をして手にはバッグを持っている。そして、私もそんなに体力がある方でもない。このご時世知らない人に何かされるのが嫌な人もいるだろうし。
それに以前、「持ちますよ」と声をかけたらひったくりだと思われたなんて話もうっすら聞いたことがあった。もしそんな事になれば豆腐メンタルな私はその日は眠れぬ夜を過ごし、1ヶ月ほどはその道を通る度に思い出してはため息をつくだろう。どうするべきか。豆腐メンタルに加えて人見知りな私は脳内会議をしながら緩やかなカーブにさしかかった。

カーブを曲がった私の視界に入ったのは同じように肩に買い物バッグをかけてゆっくり歩くさっきとは違うおばあさんの姿だった。

私の脳内での会議は終了した。
ただでさえ勇気のない私がどちらかだけに声をかけるなんてできない。何もできなくてごめんなさいと思いながらその場から離れたくて私は少し早歩きをして坂を上っていった。

すると再び私の前には杖をついたおじいさんがまたしてもゆっくりとやはりたびたび立ち止まりながら坂を上っていた。単なる道に手すりなんかもあるわけもなくただ自分の足で踏ん張って歩くしかない。転ばないだろうかと心配にもなる。けれどあいかわらず何もできない私はただひたすらに早歩きで家を目指した。

そんな私もいつもより少し早く歩いたせいか家まであと50mくらいだというところで力尽き、それはまるでフルマラソンを走り終えた選手のように両手を膝に乗せ前屈姿勢になって乱れに乱れた呼吸を整え、道端で少し休憩して家に入った。

荷物をテーブルの上に置いてようやく整ってきた呼吸をしながらさっきの光景を思い出した。

「しんどいやろなぁ」
私でもヒィヒィ言いながら上るあの坂を高齢者の方が上っている。
ただただそこには自分の帰るべき家があるからだ。

この街は高齢者が多くご近所も引っ越した際に挨拶に行くとほとんどの方が私の親よりも上の世代の方が多かった。

私も数十年経ってこの坂の上に建つ家で暮らし続ける事ができるのだろうかと心配になった。

そして、あの言葉を思い出した。
今の家を買う時に前に住んでいた住人に初めて会った時のこと。

「私はまだここに住みたいんですけど、妻がね...もう坂が嫌だっていうもんですから」

そう少し寂しそうに話すおじいさんとそれを聞いて申し訳なさそうな表情をするおばあさん。

そういえば前の住人も坂が原因でこの街から去っていった。

おじいさんがこだわって建てたとしきりに話していたその家は他の家に比べると比較的新しかった。きっと老後を過ごす事を考えた上でこだわって建てられたのかもしれない。

けれど、家までの道の「坂道」がネックとなって前の住人は思い出の詰まった家を泣く泣く手放し、別の街に引っ越した。

今、その家に住んでいる私たち。
この街に住みたいから住んだわけではないけれど、住めば都なんて言うようにきっと長年住んでみれば住み慣れた家や街を離れるのは辛いだろう。
だからきっと皆、高齢になっても必死であの坂を上るのだ。


坂や狭い道が多くある場所はここに限らず山ほどあるだろう。こんな事で大切な思い出が詰まった家を手放さなければならないのは心苦しいことだ。

今では商業施設や駅なんかのバリアフリーは少しずつ進んでいるのかもしれないけれど、こういった住宅街の道はいつまで経っても昔のままだ。高齢者はもちろんベビーカーを押したり車椅子に乗ったりなんて危なっかしくてできっこない道だ。

急な坂、狭い道、そして個人が所有する土地が混在する中で道を安全にしようなんてかなり難しい事だけれど、いつかそれぞれの大切な家に続く道が安全で快適になる日が来ればいいなと願っている。

住みたい街の思い出の詰まった家にいつまでも住み続けられるように。

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