映画『数分間のエールを』レビュー
【生き方を迷っている人たちに贈られるエール】
頑張れば夢がかなうとは限らない。才能があれば成功できる訳でもない。努力しても努力してもたどりつけない場所はあるし、どれだけすぐれた能力でも求められていなければ発揮しても意味がない。
世界はことほどさように残酷だ。その残酷さに人は夢を諦め、才能を捨てて違う道を歩み始める。それが人によっては新しい夢へとつながる道になっているかもしれないし、別の才能を求められて発揮できる場所へと導いてくれるかもしれない。
そういうことがあるから、夢を諦めるなと言えない。才能を捨てるなとも叱れない。その人にとって最高の人生かどうかはその人にしか分からない。それも人生の終わりに近づいた時でしかはっきりしたことは言えない。それほどまでに長く重たい人生に、外から何かを言うなんてできはしない。
けれども、頑張ればかなう夢はあるし、才能が認められる場所もある。だから、頑張り続けることを止めはしないし、才能を求め続けることを叱ることもしない。そして応援し続ける。励まし続ける。エールを贈る自由は誰にだってある。
贈られたエールを受け取った人がどう使うかもやはり自由だ。無視しても良いし突き返してもいい。それでも、届いた言葉のほんの僅かな熱量が、触れた指先のほんの微かな感触が、誰かに次の1歩を踏み出す力を与えて、叶えたかった夢を叶えることにつながったら、発揮したかった才能の見せ場へとたどり着かせたら、なんだかとてもホッとする。
だから、自分は迷いながらも応援し続ける。悩みながらも励まし続ける。そうする意思を、権利を、勇気を、義務を改めて感じさせてくれる物語が、2024年6月14日公開のアニメーション映画『数分間のエールを』(監督・ぽぷりか、副監督・おはじき、アートディレクター・まごつき)だ。
高校生の朝屋彼方(声・花江夏樹)は、MV(ミュージックビデオ)を作ってネットで公開しては、観てくれた人から感想をもらうことで喜ぶ日々を送っていた。同級生で軽音楽部に所属する中川萠美(声・和泉風花)からも、組んでいるバンドの演奏にMVを付けて欲しいと頼まれるほど、彼方はその腕前を評価されていて、自身もそれなりの手応えを感じていた。
自分が楽曲に付けるMVが、その楽曲をより広く、そして遠くへと届けることに役立っているに違いない。そんな自負を抱きながら、次に作るMVのイメージを探していた彼方はある夜、雨が降りしきる路上でアコースティックギターを弾きながら歌う女性を見かけて、引き込まれた。
この楽曲にMVを付けたいと思った彼方は、その場を逃げるように去っていった女性が同じ学校で教師をしている織重夕(声・伊瀬茉莉也)だったと知って、追いかけたり迫ったりしてMVを作る許可をもらおうとする。すでに音楽で身を立てようとする夢は捨て、教師として生きていこうとしていた夕も、彼方の熱意に押し切られ、次に出るライブハウスで演奏する楽曲にMVを作るところまでは認める。
彼方には夕を喜ばせる自信があった。その楽曲を最後に音楽の道を諦めると告げた夕を引き戻す自信があった。受け取った楽曲の歌詞を吟味し、どのような映像が相応しいかを考え抜いて考え抜いて当てはめて、1本のMVを完成させた。
徹夜も辞さない忙しいスケジュールの中、萌美から頼まれたMVも作りながらの夕のためのMV作りは、とても充実したものだった。重ねた努力にも十分すぎるものがあった。だから、完成したMVには自信があった。夕に見せれば、素晴らしいできに喜んでくれると思っていた。楽曲はネットを通して世界中に広まり、夕は音楽教師からミュージシャンへと羽ばたいていくと期待していた。けれども。
現実は努力に甘くはない。才能に優しくもない。自分のひとりよがりな思いが、世界の誰にでも通じるものではないことを、彼方は強く思い知らされる。そして見渡して、努力が報われず、才能が求められない残酷さを突きつけられる。自分が絵を諦めMV制作の分野に移るきっかけを作った同級生の外崎大輔(声・内田雄馬)が、才能に加えてとてつもない努力を積み重ねていながら、それでも届かない世界があるということを知った瞬間に、彼方が抱いた絶望感は果てしなく激しかっただろう。
だったら諦めてしまって良いのか。だったら見捨ててしまって良いのか。そこで彼方が選ぶ生き方に、きっと大勢が惹かれることだろう。努力しても届かず、才能もない自分にもできることがあると感じ取ることができるだろう。誰かを応援するために数分間のMVを作り続けようとする彼方の生き方から、自分も思うように生きてみようと思うだろう。
『数分間のエール』とはそんなアニメーション映画だ。生き方を励ましてくれる68分のエールなのだ。
脚本を手がけたのは花田十輝。自信が絶望に変わり、困難に光明が射す起伏の激しいストーリーを、68分の中によくまとめあげたと感嘆する。『ガールズバンドクライ』で怒り、嘆き、迷いながら自分が自分であることを貫こうと足掻き、ロックを歌う井芹仁菜や、『響け!ユーフォニアム3』でどこかにあった他人事といった意識をぬぐいさり、吹奏楽への自分の思いを叫んで部長としても、人としても成長した黄前久美子を描きだした脚本家だと思わせる。観れば誰もが強く感化されるストーリーを持った作品だ。
その一方で、映像としても新しさを感じさせてくれる作品だ。3DCGによって作られながらも、ピクサー/ディズニーの3DCGアニメーションのようなルックとも、トゥーンシェードなりセルルックと呼ばれる2Dアニメーションのような輪郭線を持った平板なルックとも違っている。デフォルメされたイラストレーションのようなキャラクターが、作画アニメーションのように切れ味を持って動いて、ルックこそ違うもののセル調のアニメーションを見慣れた目に違和感を与えない。
監督のぽぷりか、副監督のおはじき、アートディレクターのまごつきが組んだユニット「Hurray!」によってこれまでに作られたMVの特徴。それが、ストーリーを持ちながらも、そのままのルックで長編アニメーションになったという意味で、ひとつの新しさがある。MVやショートムービーの分野で名を挙げて、長編アニメーション『サマーゴースト』を送り出したloundrawに続くクリエイティブの才能の現れと言えるだろう。続く後進の登場にも期待したくなる。
映像表現の中にも工夫がある。彼方がMVを作る場面で、状況的にはPCに向かって映像制作ソフトを操作しているものが、映像的には空間に立って手で彫刻のようにキャラクターをモデリングし、背景を作り、色を作って乗せていっている。VRアーティストのせきぐちあいみが、バーチャルリアリティーの空間に立体的な絵を描いていくような操作を、1本のMVでまるまる行っている感じだが、空間コンピューティングが実用化されれば、それが普通になるのかもしれないと思わせてくれる。
また、「Hurray!」も仕事にしてきたMVという映像のジャンルが、楽しさと同時に困難さも抱えていることも感じ取れる。そこに楽曲があって付けるMVの場合、楽曲の歌詞が持つ意味であり伝えようとしているメッセージを汲み取って、マッチする映像を作ることが必要だ。それは正しいアプローチだが、そこにMVクリエイターの自我は不要かそれとも必要かといった問題が浮上する。
思い込みや思い違いは良くないが、思い入れを乗せることで新しい発見につながることもある。言うなりになる下請けでもなく、言われたことを確実にこなす職人でもない、アーティストとしてのクリエイティブへの情熱なり感性を発揮できる微妙な線を、追い求め探り続けているMVクリエイターに、君たちは間違っていないと励ますようなメッセージが感じられる。
68分と大長編とは言えない時間の中に、これだけの密度でストーリーを入れ込みメッセージ性を盛り込んだという点でも、意欲的なアニメーション映画と言えるだろう。そんな映画を彩る音楽もまた素晴らしい。夕の歌唱部分を担う菅原圭の歌声は強く心に刺さってくるし、フレデリックが担当した主題歌の「CYAN」は疾走感に溢れて、立ち止まることなく突っ走り続ける青春を生きるキャラクターたちを煽りつつ、観る人たちの気持ちも鼓舞する。
とても1度では全部を味わいきれない密度を持ち、要素に溢れた『数分間のエールを』。だから観るのだ。2度、3度と。そして励まされるのだ。自分が自分であるために必要な生き方を。(タニグチリウイチ)
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